徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

以心伝心

2005-10-30 18:40:51 | Weblog
やはり「以心伝心」は日本のもの、だな、と感じる。ここではいろいろな国籍の人が入り混じり、「言わないと分からない」ということが当然。「察する」なんてありえない。

しかし、先日ドイツに長くいる日本人の人2人と会ったとき、2人とも口をそろえて

その頭は何のためについているのか、と言いたい

と言っていた。面白い言い方だったけれど、私は

頭は相手の気持ちを「推測」するためについているのではなく、言われたことを「理解」するためについている

と言ってみた。

実際、「言わないと分からない」けれども、感情的にならずに言えばしこりも残らない。ただ、その場では納得してくれても、その行動が次から変わるか、といえば、習慣、ということもあり、変わらないことが多い。そして、1ヶ月もすれば言われたことすら忘れている・・・

というわけで、その頭は言われたことを「理解」するためについている、と言っていいものかどうかは分からないけれど。まぁ、そういうことにしておきましょう。

日本では言わなくても相手が「察してくれたこと」をわざわざ口に出して言わないといけない、ということはとても疲れる。疲れるけれども、言わないと分からないから言うしかない。

話はそれるけれども、日本人は「察する」ことができるから多少英語が不自由でも生活できると思う。クラスメート何人かで話していて、一番英語のできない私が話している人の趣旨を理解し、そのほかの人が理解できない、ということがよくある。

これも、「察する」ということだろうな、と思う。「言わないと分からない」文化の人は、1から10まで言われないと本当に分からないのだと思う。

ただ、これも悪い点ばかりでなく、本当に相手の意図を正しく汲み取る、ということができる。私の場合は「推測」なので私の思い込みが入ってしまい、後から、「あ、違ったんだ」ということがあったりもする。

「察せない」人たちと話をするとき、私は「どうして1から10まで説明しないといけないのよ!少しは自分で考えてよ」といらいらすることもある。

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