徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

ストックホルム旅行-教会編

2009-06-30 03:11:12 | 旅行
<リッダーホルム教会>



対岸に市庁舎が見える。国王、女王の菩提寺。2つくらい、とても小さな棺があり、よく見たら1歳くらいで亡くなった人のものだった。

ドーム型の屋根、高い尖塔が印象的だった。


<大聖堂>

現国王と王妃が結婚式を挙げた場所。王族が行事に出席するときにのみ使用される玉座が2つあったが、やっぱり豪華。

私が見学した日は夏至祭当日で、11時から礼拝があり、おそらくそれに備え、パイプオルガン奏者が練習をしていた。途中で演奏が止まったりしたけれど、きれいな音色を聞けてラッキーだった。


<ドイツ教会>



『ドイツ』教会というだけあって、教会行事の案内はスウェーデン語+ドイツ語だった。スウェーデン語は英語に似ている単語もあればドイツ語に似ている単語もあったけれど、まぁ、当然、何一つ分からない。そんな中、ドイツ教会に行き、ドイツ語表示を見たら、全部がわかるわけではないけれど、大体意味が取れ、

ほっとした

ドイツ語にこんなに親近感を覚える自分にちょっとびっくり。

写真はドイツ教会内部。外観はとても地味だったけれど、内部は思いのほか、きらきらしていた。説教台も素敵だった。


というわけで、私が行った教会はこの3つ。リッダーホルム教会のみ有料。そして、内部撮影禁止。
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ストックホルム旅行-市庁舎編

2009-06-29 04:34:47 | 旅行


毎年12月10日に開かれるノーベル賞受賞祝賀晩餐会に使用される市庁舎。ガイドツアーでのみ見学できる。ネットで調べたら英語のガイドツアーは10時から1時間ごとだったので、10時のツアーに参加しに行ったら、

9時からのツアーもあった

情報って大切。

ツアーに申し込みに行ったら、『母国語は何ですか?』と聞かれた。アンケート?と思ったら、

日本語の資料

をくれた。A4の紙に片面印刷のものだったけれど、ありがたい。理解が深まるわ。

で、それを見ながらツアーガイドの説明を聞く。

最初はノーベル賞受賞祝賀晩餐会会場のブルーホール。もともとは屋根をなくして広場にしようと思ったけれど、雨でも使えるように屋根を付け、空の色と同じ色(青)に塗って開放感を持たせようと思ったけれど、レンガ色が素敵だったので、レンガのままにした。が、

『ブルーホール』という名前はすでにマスコミに流れ、使われていたのでそのままブルーホール

になったという。

市議会室(天井がバイキングをイメージしたもの)を見、フランス製タペストリーがかかっている小さい部屋を見た。ここで結婚式が執り行われるらしい。2時間で24組、つまり、

1カップルあたりの持ち時間は5分

流れ作業的だなぁ。

続いて鏡の間。ここからは外庭を見ることができ、明るくて素敵。窓と反対側の壁には時の王さまの一番下の弟が書いた絵がある。これらの絵は、

反対側の窓から見えるメーラレン湖の風景と同じ

らしい。



そして、最後に黄金の間。ノーベル賞受賞パーティの舞踏会会場。何の手違いか、柱の下約10cmほどはモザイクが貼られていない(写真でも見える)。そのため、

一部、絵が切れている

部分(天井のほう)がある。

ちなみに、この広間(2階)にエレベータがあり、ノーベル賞受賞祝賀会の晩餐会の食事はこの広間にエレベータで運ばれ、その後、ウエイター、ウエイトレスが手で持ち、1階の晩餐会会場まで運ぶらしい。

この市庁舎、古そうに見える(中も)が、建てられてからまだ100年たっていない。建築家が『古く見えるように』としたらしい。

ストックホルム市には『市長』は公式にはいないらしい。では誰がhigh-rankingか、というと、

財政担当のトップ



塔にも登ってストックホルムを見渡したかったけれど、他にも回りたいところがあったので断念。次回行くことがあれば登ろう。

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ストックホルム旅行-観光シーズン編

2009-06-28 03:56:46 | 旅行


『夏至に北欧』という考えだけで下調べ等せずにストックホルム旅行をした。なので、

夏至祭(midsummer)やその前日(midsummer eve)が祭日

なんて知らなかったし、ストックホルムの本格的な観光シーズンは

夏至祭明けから

なんて思いもよらなかった。そして、この夏至祭前日はとても重要な日らしく、ノーベル博物館(写真右側の建物)は休館だったし、泊まったホテルの朝食時間は、通常、休日、土日は8時からのはずだったけれど、夏至祭前日だけ

8時半から

だった。夏至祭当日は朝8時から朝食が取れた。考えてみれば、長くて暗い冬を越し、1年でもっとも日が長い日(周辺)だから特別と言えば特別か。

そのほか、博物館の開館時間が長くなったり、ガイドツアーの頻度が多くなったり、観光用ボートが頻繁に出たり、

国会議事堂の観光

できるようになるのも夏至祭明けからだった。国会議事堂は、一応ネットで調べたら、夏至祭前は『土日の13:30からガイドツアーがある』とあったので、期待して行ったら、議事堂のドアに

6月22日からガイドツアー始まりますよ

と張り紙がされていた。残念。

実際に日が長いのは夏至前後(朝は4時前には、夜は22時以降でもまだ明るかった)だけれど、観光シーズンは夏至祭明け~8月いっぱいくらいなんだな、と思った。もし次行く機会があれば7月か8月にしよう。

写真は旧市街(ガムラ・スタン)にある大広場。

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ストックホルム旅行-ホテル編

2009-06-27 02:48:45 | 旅行


今回泊まったホテルはHotel BentleysのSingleroom Standard。ホテルを探すにあたり、いろいろなホテルのウェブサイトを見ていたら、

窓なし

の部屋が多くのホテルで存在することに気がついた(もちろん安い)。さすがに私は窓なしの部屋に泊まる気はなかったので、窓ありの部屋で、中央駅から近いホテルで安いところを選んだ。

泊まったホテルは確かに街中の歩行者天国の通りにあるけれど、

通りの端の端

で、思ったほど繁華街の中ではない(だから静かでよかった)。それでもロケーションはよく、中央駅にも地下鉄の駅にも近いし、王宮のある旧市街にも歩いて行ける距離だった。

部屋は

驚きの狭さ

だった。確かに、そのように案内には書かれていたので分かってはいたけれど、実際見たらびっくりした。テレビ、机、ベッドがあり、クローゼットはなかったけれど服をかける棚みたいなものはあった。さすがに長く泊まると狭さに慣れる。

ランプは枕元、天井、机の上、と3か所あり、よかったけれど、最初の日、天井のランプ3つのうち1つと、机の上のランプが切れていた。ちょっと暗いな、と思ったので、翌日、『ランプを交換してね』と置手紙を残して出かけたら、

ちゃんと交換されていた

素晴らしい。

ドイツでは、『交換してほしいタオルは床においてね。タオル掛けにかけてあるタオルは交換しませんよ』という表記がなくても、そういう傾向が強いけれど、泊まったホテルでは、

タオルはすべて交換

してくれる。私は『まぁ、これはまた使ってもいいか』と、タオル掛けにかけたままにしておいたタオルがあるけれど、交換されていた。
ドライヤーは部屋にはないけれど、言えば快く貸してもらえた。
レセプションは24時間人がいるみたいだけれど、20時位を過ぎたら入口のドアに鍵がかかる。私たちゲストはチェックインの時、

そのドアを開けるPINコード

を渡され、24時間、いつでも出入りできる。

朝食は

(ドイツと比べて)充実していた

パンはクロワッサン(これがまたおいしかった)を含め数種類、トマトやパプリカ、チーズ、ハムも複数あり、さらにレバーペースト、スウェーデン名物の魚の卵のペースト、茹で卵、シリアル、フルーツ、クッキーなどなど、盛りだくさん。私が気に入ったのは、

生のフルーツをカットして混ぜてあったもの

私はこれにナチュラルヨーグルトをかけて食べた。ドイツではこういうフルーツはたいてい『缶詰ですか?』というものだけれど、ここのホテルでは生のオレンジ、メロン、ぶどう、リンゴなどで、とてもよかった。

さらには、コーヒーマシーンの横にカップと並んで

紙コップ&プラスティックのふた

が置かれていた。これって、

紙コップに入れて持ち出しOK

ということよね…(実際持ち出している人がいた)なんて太っ腹なホテルなのでしょう。それとも、スウェーデンではこれが普通なのかしら。

ちなみに、宿泊料金は1泊799SEK(75ユーロ位?)。ロケーション、部屋の広さ、朝食を総合すると『物価が高い』と言われる北欧ではお買い得だったかな、と思う。

写真はストックホルムで見かけた電話ボックス。
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ストックホルム旅行-飛行機編

2009-06-26 01:43:44 | 旅行


以前から夏至あたりに北欧へ行ってみたかったので、今年、実行した。前回の反省を活かし(たわけではないけれど)、一人旅。

北欧だったらどこでもよかったので、エアチケットの値段で行き先を決めた。結局いつものジャーマンウィングになった。

今回はジャーマンウィングで初の乗り継ぎ(ベルリン)。出発空港でチェックインの時、乗り継ぎ便もチェックインできたので、ベルリンに到着したとき、トランジットの表示を探したけれど、見当たらない。飛行機を降りたらバゲージクレームエリアに到着し、その後、税関を通って空港ロビーに出る道しかない。『もう一度セキュリティチェックを通るのか』と憂鬱になりながらロビーに出た。空港はテーゲルではなく、もっと小さい空港だったからあまりお店は期待していなかったけれど、

ハンバーガーのお店とキオスク

があるのみ。予想外の少なさ。乗り継ぎ便出発までにまだ3時間くらいあったけれど、ここで時間をつぶすのは無理だな、と思い、さっさとセキュリティチェックを通ることにした。

小さい空港と言えど、

思ったほど小さくないデューティフリーショップ

があった。そこをざっと見終え、次のお店、と進んで行ったら、あったのは

カフェと小さいベルリン土産屋さんと、キオスクのみ

ついさっきまでそこそこ人がいたな、と思ったけれど、飛行機が1便出発したら残された人は

客よりスタッフのほうが人数が多い

しかも、

デューティフリーショップの照明が落ちた

仕方がないので、カフェで出発まで時間をつぶし、ストックホルム・アーランダ空港へ。機内で隣に座った人が『この飛行機はどのターミナルに到着するか知ってる?』と聞いてきた。『知らない』と答えたら、その人はキャビンアテンダントに聞いた。

分からないわ。ちょっと調べてくる

とアテンダント。そうだよね、彼女たち、アーランダ到着後30分でまたどこかに行くんだもんね…

結局ジャーマンウィングはターミナル2に到着した。ここで私も知っておいてよかった。ドイツに戻る時、どこのターミナルに行けばいいか、分からないところだった。

アーランダ空港はストックホルム市内から結構離れている(バスで50分くらい)けれど、空港バスが平日日中は10分おきに出ていて便利。アーランダ空港はターミナルが5まであり、空港バスはターミナル5から順に止まる。


ドイツに戻ってくるとき。
アーランダ空港でチェックインしたら、

スウェーデンでは乗り継ぎ便のチェックインはできない

から、

ベルリンにトランジットカウンターがあるからそこでチェックインするか、もしくはゲートでチェックインして

と言われた。ストックホルムに来た時の感じから言うと、『トランジットカウンターなんてないだろう』と思ったけれど、ここでは『ゲートでもチェックインできるのね』という確認にとどめた。

そしてベルリン。

やっぱり飛行機を降りるとバゲージクレームエリアに到着

今回はジャーマンウィングの案内板を見つけた。それによると、

乗り継ぎの人は一旦荷物をピックアップして税関を通り、チェックインカウンターでチェックインしてね

だった。やっぱり。アーランダのスタッフ、間違ってるよ。そして、

荷物をスルーできない

ことが判明(少なくともベルリン乗り継ぎでは)。ジャーマンウィング、ちょっと前からチェックインバゲージは有料(事前に申し込めば5ユーロ、当日カウンターで預けると10ユーロ)だけれど、スルーできないんだ。ちょっと不便。

ストックホルムからベルリンのフライト、キャビンアテンダント3人とも男性だった。珍しい。ベルリンからの乗り継ぎ便、到着後、子供にコックピットを見せていた。禁止されていないんだ。

今回、4フライト乗ったけれど、どのフライトもオンタイム、あるいは若干の早着だった。さすがジャーマンウィング。きっと、次回の旅行もジャーマンウィングなんだろうな。
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誕生日

2009-06-24 01:21:56 | Weblog


ドイツで5回目の誕生日を迎えた。ドイツでは誕生日を迎える人がパーティを開かなくてはならないけれど、私は面倒なので今年も開かなかった。が、

友達が5,6人、私のフラット近くのバーに集まってくれた

そのバーは生演奏を楽しめるバーで有名らしく、何度か複数の人からそのバーについて、聞いたことがあった。残念ながら生演奏は週に2,3回らしく、私たちが行った時はやっていなかった。代わりに、サッカー中継をスクリーンに映していた。

そのバーは、その昔、日本人オーナーが始めたバーらしく、日本語の名前が付いている。その後、オーナーは変わったけれど、ちょっと有名なバーになっていたので、名前は買えず、そのまま引き継いだらしい。なので、日本語の名前のバーだけれど、日本酒などは置いていなく、現オーナーの出身国のギリシアの料理やお酒を楽しむことができる。

写真はもらったバラとプレゼント(バスグッズ)とカード。パーティを開催したわけではないので、プレゼントは全く考えていなかっただけにびっくり&うれしかった。バスグッズを選んでくれた子が、『気に入るかどうか分からないけど、よかったら使って。私は使ったことないし、

臭いも分からないけれど

』と、見た目だけで選んだことが発覚。でも、オレンジ色ベース(オレンジ色大好き)でとてもかわいいので、うれしい。今使っているものがなくなったら使ってみよう。

カードも当然うれしい。もちろん英語もあるけれど、それぞれの母国語でお祝いの言葉を書いてくれ、読めないけれど、気持ちが伝わってきて、『友達ってやっぱりいいもんだなぁ』と思った。


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パソコンを待つ

2009-06-20 03:09:34 | 勉強
ずいぶん前にオーダーしたPCがやっと先月末、研究室に到着したらしい。で、システム担当の人がいろいろインストールしたあと、私に引き渡しとなる予定。

『今週中にはあおが使えると思うから、

机の上、片づけておいてね

(あおの机の上、散らかっているよね)』とシステム担当ではないポスドクに言われたのがかれこれ

2週間前

しかし、いまだに私のところには届いていない。私的には、別の人のPCを使っているので仕事に差し支えがないので、システム担当の人にプレッシャーをかけることはしていない。

まぁ、私が使っているPCの持ち主は、私が大量にメモリを使い、彼の仕事ができないため、

相当不満

らしいけれど、私がその持ち主に『本当、申し訳ないです。PC使うでしょ?』と聞いても、

今はメールくらいしか使っていないから。あおのPCが届いたら、『届いた』と連絡くれればいいから

という返事のみ。その一方で、ドイツ人同僚には不満を漏らしている。そういうやり方が私は不満。私には『不満ないよ』らしきことを言っておきながら、第3者に『あおが…』というのはありなのか?

彼自身、仕事が進まなくて困っているのなら、私に直接『もう少しPCの使い方を何とかしてほしい』とかいうのが筋だと思うし、なによりてっとり早く自分の仕事を進められることになると思うけれどなぁ。

でも、私自身、彼の不満を知ってしまったわけだから、一応、彼がPCにログインしているかどうか、たまにチェックするけれど、

今まで一度も彼がログインしている瞬間に出会ったことがない

彼が『あおが重いジョブをかけているから』と思って遠慮しているのでしょうか。


日本では、PCの入れ替えなどは担当の人がサクサクとやってくれ、2日もあれば元の環境で作動するようになったけれど、ドイツ(私の研究室)って違うのね。使用する人がプレッシャーをかけないといつまでたっても使えるようにならないのね…
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本-若きウェルテルの悩み

2009-06-18 02:14:31 | DVD・本
ライプチッヒに旅行に行ったとき、ゲーテに関するものがいくつもあり、影響されやすい私は案の定、影響され、

若きウェルテルの悩み

を手に入れた。

知識として、
ゲーテ:ファウスト、若きウェルテルの悩み
はあったけれど、読んだことはなかった。

ウェルテルのロッテに対する恋心が書簡形式で書かれている。たいていはヴィルヘルム宛の手紙だったけれど、たまに別の人宛のものもあり、一度で理解するのは難しかった。

名作に対してこういう俗的な感想はどうかと自分でも思うけれど、

ちょっとストーカーチックじゃない?

ロッテは婚約者がいて、その婚約者と結婚するけれど、ウェルテルの妄想は止まらない、と言った感じ。

ゲーテは自分の体験をウェルテルに重ねて書いたようで、ウェルテルの誕生日(『今日は誕生日』と手紙に書いてある)がゲーテ自身の誕生日だったり、ウェルテルもゲーテもロッテから飾り紐をもらったりしている。

『もし生涯に「ウェルテル」が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ』
とゲーテは語ったようだけれど、残念ながら私には今のところ、そういう時期はないし、

これからも来るとは思えない…


私が読んだ『若きウェルテルの悩み』は竹山道夫訳。初版が1951年、1978年に改版されたものだけあって、

若干日本語が難しく、国語辞典も使用

した。

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貯蓄口座開設

2009-06-17 01:28:21 | Weblog
Ph.Dの話が出始めたころから『貯蓄口座を開けたい』と思っていた。それからかれこれ年をまたいで10カ月弱。ようやく開設した。腰が重かった原因はやっぱり言葉。そして、

どこの支店に行ってもいいの?

ということだった。あまりにくだらないけれど、日本でも私は銀行口座は1つだったので、余計に不安だった。大学近くの、普通口座を開けた時に行った支店に行くべきかなぁ、と思ったけれど、引っ越した今、なかなか、行く時間がない。

なので、街中の支店に行ってみた。普通口座を開設した時、

予約を入れてね

と言われたので、今回も言われるのかしら、と思いながら、係の男性に訪ねた。

パスポートと、ここの住所があればOKだよ

との予想外の回答をもらった。さすがにパスポートは持っていなかったので、家に取りに帰り、家に近くの支店に行ってみた。が、やっぱり

予約が必要よ

と言われ、街中の支店に戻った。

その街中の支店のスタッフはみなさんとても親切だった。全部英語で説明してくれたし、私はただ、『貯蓄口座を開設したい』と伝えただけだったけれど、

目的は?どのくらいの期間?

などと聞かれ、最初、アンケートか?と思いながら答えていたけれど、そうではなく、

私に最適なプランを探すのに必要

だった。私は投資には興味がなく(財政的余裕もない)、ただ、貯めるお金を分けておきたいだけだったし、3年という短期ではあまりお得なプランはなかったようで、結局

固定金利

のプランになった。利率はこのご時世、よくないけれど、3年以上預けるとボーナス金利がプラスされる。私は最初にいくらか普通口座から移し、あとは毎月定額を普通口座から移すことにした。毎月移すお金は、私が『ストップしてください』と言わなければ

2034年

まで自動で続くらしい。25年ですか…
そして、万が一、お金をおろしたいとき(私はその口座からお金を下ろすつもりはない、ということでプランを探してもらった)は、

パスポートと、口座開設の時に受け取った書類

を持って支店に行く必要がある。
さらに、解約の時は

3か月前に解約を申し出ること

が必要。3か月かぁ。3か月先を読める生活をしたいよな…

利息の税金は、年間801ユーロ未満(だったかな)なら無税らしい。銀行が当局に代理で一斉に収めるから、もし年間801ユーロ未満だったら返金手続きができるらしい。そして、ほかの銀行に口座を持っていない私は利息が年間801ユーロを超えないから、

今ここでその書類を書いてもいいけど、書く?

と聞かれ、『えぇ、もちろんお願いします』と、お願いし、書類を作ってもらい、私はサインするだけ。これで税金で無駄に持っていかれることもなくなった。

後は、1年に1回、年が明けてから口座の様子(積立+利息)が書かれた紙が郵送されるらしい。楽しみだ。

なにはともあれ、無事開設できてよかった。こんなに簡単ならもっと前からすればよかった、といつもの軽い後悔。
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引き継ぎ

2009-06-16 02:53:51 | 勉強
同じオフィスのオーストリア人が今月末で契約終了となる。まだPh.Dを取っていないから、希望すれば契約延長ができたけれど、彼は

延長したくない

と言い、研究室を去ることにした。まだ休暇が25日分残っているけれど、結局全部消化はできず、今週だけ休暇を取ることにした。

彼が在籍するのはあと半月、しかも、そのうち1週間は休暇、となった先週、教授から彼にメールが届いた。

モデリングチームのポスドクをサポートしてくれ

と。彼(オーストリア人)の研究のノウハウをそのポスドクが引き継ぐことになったけれど、

そのポスドク、先週末は休暇中

私の感覚では、引き継ぐ人はそういう時期に休みを取らない(しかも、ポスドクが戻ってくるときはオーストリア人は休暇)と思ったので驚いた。

オーストリア人が私にアドバイスをくれた。

たぶん、彼はあおに仕事を振るから、Noって言えよ

と。オーストリア人がポスドクに引き継いだ仕事に関しては私は基本的にはノータッチな部分だけれど、おそらく、私にIDLでプログラムを書いてほしい、とお願いしてくるはず、と。

うまくNoと言えるかしら。でも、散々そのポスドクには

それは僕の仕事ではないから

と言われてきている(ポスドクは学生の面倒を見るのも仕事なはずなのに)から、1度くらいは『それは私の仕事ではありません』と言ってもばちは当たらないかな。

で、そのオーストリア人、今月初めに教授に就職活動用の推薦状をお願いした。もちろん教授はOKを出したけれど、案の定、まだ受け取っていない。

どこまでやるか、作戦を練らないといけないよね

オーストリア人も、教授も、相手の出方をうかがっている。順調にいけば数年後には私にもこういう状況が訪れる、と思うとちょっと嫌だなぁ。

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