徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

一時帰国(2024年初夏)-妻籠馬籠編その2

2024-07-21 20:09:40 | 日本


車で馬籠宿まで送ってもらった私たち。9時くらいに中津川駅を出発し、馬籠宿到着は9時半くらいだった。
馬籠宿はガイドをしている友人の知人の方に案内してもらった。

まずは「桝形」。敵が攻め込みにくくするために道がほぼ直角に2回曲がっている。坂道の桝形は馬籠宿の特徴らしい。

よく写真で見る水車小屋を見てさらに坂道を上る。お店でお土産を見ながら歩いていたら、さすがに友人の知人はガイドをしているだけあってあちこちに知り合いがいた。

木で作ったものを売っているお店があり、そこにも入ったら、そこもガイドをしている方の知り合いが店主のようで、ドイツから来ている人を案内していて、そのドイツ人(ソクチくん)が木工が好き、と言う話をしたようで、私たちが友人へのお土産を選んでいるときに店主が2階から

15センチ四方くらいの木材

を片手に降りてきて、ソクチくんにプレゼントしてくれた。

木材は

樹齢300年

くらいのキソヒノキ(ゆっくり育つので年輪の幅が狭い)だそうで、『廃材だけど

看板に使った残り

だから質はいいの』ということで、年輪がぎっしり詰まったものだった。
もちろんドイツに持ち帰った。そしてランプシェードの飾り部分になる予定。

馬籠宿出身の島崎藤村の実家は本陣で、本陣とは大名や旗本など

身分の高い人が泊まった建物

だそう。
せっかくなので日本滞在中に島崎藤村の作品を入手したかったけれど、入手できなかった。「夜明け前」かなにかは授業で読んだ気もするけれど、一部分だけだったと思うので、全部読んでみたい。

馬籠宿は120年から130年前くらいに火事があり、その後再建されたそうで、言われてみれば全体的に新しくてきれいだった。

展望台まで歩いたところで友人の知人のガイドさんとは別行動。妻籠宿を目指して友人、ソクチくん、私の3人で歩き始めた(10時半過ぎスタート)。
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新しい入居者

2024-07-20 14:37:55 | Weblog


日本から戻ってきた日、テラスでお茶をしていた大家さんと話をした。大家さんが『

新しい入居者がいる

んだけど、かまわないかしら』と言った。
新しい入居者?アリ?と密かに思った。私たちのアパート、毎年アリが出ていた。配水の管に沿ってアリが移動しているようだったけれど、2年前にセントラルヒーティングの管の水漏れを直したときに穴もふさがったのか、去年はアリが出なかったけれど、今年は日本に行く前日にアリが出ていた。毒を置いたりして対策をして日本に行ったけれど、ダメだったのかしら、と思っていたら、大家さんが『

シカ

なんだけどね』と付け加えた。なんでも庭に2頭来るのだとか。

ワクワクしながら待ったけれど、全然見当たらなくてソクチくんと『私たちが戻ってきてブラインドを開け閉めするからもう来ないのかもね』と話していた。
が、大家さんは時々『シカ、見た?連絡しようかと思ったけれど週末の朝8時前だったから連絡しなかったんだけど』と言うので、ちょくちょく来ていたのだとは思う。

そんなこんなでやっと今日、シカを目撃できた。
窓越しに写真を撮っていたら、シカが私に気が付いてどんどん家のほうに近づいてきた。好奇心旺盛らしい。近くの犬が吠えて庭から出て行ってしまったけれど。

その後、少し小さめのシカもやってきた。親子なのだろうか。

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一時帰国(2024年初夏)-妻籠馬籠編その1

2024-07-09 15:14:32 | 日本
ソクチくんは『日本でハイキングしたい』と以前から言っていたけれど、私がそれほどハイキング好きではないので、いつも却下していた。
が、今回、実家の両親から『実家に泊まるなら、小旅行と実家滞在をいい具合に繰り返してほしい』と要望があり、

妻籠馬籠(中山道)

を歩くことにした。

調べてみたら、岐阜県の馬籠宿から長野県の妻籠宿に向けて歩く方が坂道が楽だそうで、とりあえずホテルは中津川に取り、バスで馬籠宿に移動、歩いて妻籠宿、そこからバスで南木曽駅に移動することにした。宿場町での宿泊も考えたけれど、「バストイレ共同はちょっと…」と、私もソクチくんも思うので、中津川のホテルで決定。

実家と中津川の間に高校の時の友人がに住んでいて、去年『遊びに来る?』と声をかけてくれたけれど、出国間際すぎて行けなかったので、今年中津川へ行く途中に遊びに行った。

彼女の家にお邪魔した前日、彼女も含めた高校の時に仲の良かったグループで地元で会った。その時に『馬籠宿に車で送っていくから、私も一緒に歩いていいかな?私、歩いたことないんだよね』と聞かれたのでもちろんOKした。ちなみに、妻籠馬籠を歩いたのは家にお邪魔した翌日だったので、結局彼女とは3日連続で会ったことになる。

彼女の家に遊びに行っているときに、『ねぇ、妻籠まで歩いて、

また馬籠まで歩いてくれるよね?

私の車、馬籠宿に置きっぱなしになるんだけど』と聞かれた。それもそうだな、と思ったけれど、馬籠妻籠間は

8キロ

くらいある。往復したら約16キロか。頑張れば行けそうな距離か。
と話していたら、友人が『妻籠馬籠のガイドをしている人がいるから、今から家に行って聞いてみよう』と言い、そのガイドをしている人の家に行った。
運よく家にいたので、「往復歩くのはどうか」聞いたら、やはり『それは大変だよ』と言うことだったので、

友人は車を中津川駅に停めて、彼女も一緒にバスで馬籠宿へ行き、妻籠宿まで歩いてバスと電車で中津川駅に戻ってくる。もし、バスに乗り遅れたら私たちを馬籠宿まで車で送り、馬籠宿の散策を一緒にしてそこで解散

ということに決定した。

が、友人と別れてホテルに戻った後、そのガイドをしている人(ドイツ語勉強中)が友人を通じて『明日は仕事がないので、僕が車で3人を馬籠宿に送って行って、3人で妻籠宿まで歩いて、また僕が妻籠宿に車で迎えに行きますよ』とありがたい提案をしてくれたので、お願いすることにした。

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イチゴの収穫

2024-07-08 11:31:35 | 植物成長日記


去年、あお家のテラスでトマトを育てた。トマトが成長しているときから

イチゴ

の芽が出始めていた(コンポストを使っているから?)ので、トマト終了後、トマトは引き抜いたけれど鉢はそのままにして今年に持ち越したところ、

実がなった!

日本から戻ってきた後、3日おきくらいに数個収穫している。小さいけれど甘くてとてもおいしい。
このまま来年に持ち越す予定。


ドイツでは4月から6月がアスパラとイチゴの旬で、あちこちにスタンドが立つ。あお家に一番近いスタンドは値段ちょっと高めのチェーンスタンドで、去年は

500gで4.99ユーロ

のイチゴが最安値だった。

今年はそのスタンドはチェックしなかったけれど、ちょっと郊外の専門店の脇に出ていたスタンドでは500gで3.99ユーロで、前日に収穫したものを

2.99ユーロ

で売っていた。見た目に違いがわからなかったので安いものを購入した。
おいしかった。

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一時帰国(2024年初夏)-兄に会うその2

2024-07-06 14:47:16 | 日本
兄と合流後、お昼ご飯を食べて兄のアパートへ行った。アパートで義姉とも合流。

体調不良だった父が心配だったので連絡してみたら、

庭仕事中

だった。回復したようで何よりだけれど、無理はしないでほしい。
せっかくなので、父とビデオ通話をすることにした。父が一番兄宅訪問を楽しみにしていたので、私が兄に「父に部屋を見せたらどうか」と言ったら、『あおがやってよ』というので、『私がやると

物入とか開ける

よ』と答えたら、『いいよ』と言うので私がスマホをもって兄のアパート内をうろうろすることになった。

リビングの物入を開けたらクリーニング済みのスーツがきれいにかかっていたので、『きれいにしてるね』などコメントしながら歩いていたら、兄・義姉・母・ソクチくんの4人が『本当に物入開けているんだけど…』と引いていた。
いや、私、『物入も開けるよ』って宣言したよね。そして『いいよ』と許可ももらったよね。

寝室が趣味の部屋になっていて作りかけのプラモデルもあり、なかなか面白かった。完成品はあるのか聞いたけれど、「まだない」とのことだった。あまり趣味にさける時間もないんだろうな、と思う。

兄宅では2時間ほどお茶をしてお暇した。
長時間の外出で母の体調がどうなるのか心配だったけれど、無事行って帰ってこられてよかった。

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一時帰国(2024年初夏)-兄に会うその1

2024-07-04 14:48:53 | 日本
実家から電車で約3時間の場所に兄が単身赴任している。両親(特に父)が『住んでいる場所を見てみたい』というので、兄に会いに行くことにした。

高齢者2人+外国人の引率

できるかな、と心配していたら、当日出発間際、父が『体調悪い。今日は家で寝ている』と言い出した。それはそれで心配だったけれど、寝ていれば大丈夫というので、母とソクチくんを連れて3人で出かけた。

実家から兄宅までは名鉄とJRを乗り継いでいく。ソクチくんと私は交通系ICカードを持っていたけれど、母は持っていなかったので、名鉄とJRでそれぞれ往復切符を買った。

名鉄で豊橋駅に到着し、JRの切符を購入するためにいったん改札を出た。往復切符を購入して電車に乗車。
しばらくして母が私に帰りの切符を預けた。よく見たら

名鉄の切符は「往き」

となっていた。
あれれ。私の手にあるのは名鉄に乗車したときに自動改札機に通したときの穴が開いている「往き」の切符。本来豊橋駅で回収されるものではないだろうか。そして、「帰り」の切符が今手元にないといけないのではないだろうか。

どうやら入場記録のない「帰り」の切符を豊橋駅の自動改札機に通して

問題なく通過

できてしまったらしい。

目的地で下車した後窓口で駅員さん(JR)に事情を話した。
『名鉄さんは入場記録がなくても自動改札通れるんですね』と、駅員さんもびっくりしていた。

何時ごろどのあたりの自動改札を通ったのか伝え、豊橋駅の駅員さんが

自動改札機の回収箱のチェック

をしてくれることになった。『見つからなかったら、すみませんがまた切符を買ってください』と言われたけれど、お手数をおかけして申し訳なかった。

豊橋駅に戻ったときに窓口で聞いてみたら

見つかっていた!

最近は紙の切符を使う人は少ないだろうけれど、それでも余計な仕事を増やしてしまって本当に申し訳なかったけれど、切符が出てきてよかった。もしまた両親と出かけることがあるならば、私が切符の管理をしようと思う。

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北ドイツに散骨に行く

2024-07-03 18:54:11 | Weblog


『自分が生まれた島の海に散骨してほしい』と生前言っていたソクチくんの叔父が亡くなり、先日北ドイツへ散骨をしに行ってきた。

Norddeich Moleというブレーメンの北北西あたりの海岸から船に乗り、島には上陸せずに島の沖合で散骨をした。

(たぶん)土や砂でできている骨壺をゆっくりと海に沈め、参列者が花びらを海に投げ入れ、その場所を船が3周して鐘が鳴り、私たちは叔父さんとお別れをした。

鐘は8回鳴らされた。

その昔、船乗りたちは30分の砂時計を使っていて、砂時計を反対にするたびに鐘を鳴らしていたそう。8回鐘が鳴る(4時間経つ)と仕事の交代を行ったそうで、「8回の鐘=仕事の終わり=ゆっくり休んで」の意味があるらしい。

船長さんのスピーチは散骨の手順や鐘の意味の説明で、短いものの、その手順や鐘の意味するものの一つ一つが亡くなった人への敬意を表すもので、とても感動的で良いお別れができたと思う。

海岸沿いに石碑のようなものが立っている場所があり、そこに散骨した人のプレートがはめられていた。石碑は島ごとに分かれていて、プレートには名前、生年月日、死亡年月日、散骨日、散骨場所の緯度経度、散骨した船の名前が彫られていた。


自分の生き方、死に方など、いろいろと考えさせられた1日だった。
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