徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

タンデムくんと再会-再会・フラット・お別れ編

2008-03-31 22:18:23 | タンデム


週末、タンデムくんに会いに行った。土日で行くつもりだったけれど、『金曜の夕方から来てもいい』と言ってくれたので、金曜の夕方から遊びに行った。

DBでスペシャルプライスがあったので、

往復ICEで38ユーロ

でチケットを買えた。

17時少し前に到着する電車のチケットを買った。タンデムくんはまだ仕事かな、と思ったけれど、

私の乗ったICE、遅延

したため、彼がホームで待っていてくれた。スイスはハグのあとのキスが3回らしく、私たちもキス3回。そして、すぐに彼のフラットの向かったけれど、彼のフラット、とても広かった。

バス、トイレ、キッチン、ゲストルーム、リビングルーム、ベッドルーム+クローゼット

彼が普段生活に使っているリビングルームには机と食事用の小さなテーブルセットとソファが、ベッドルームにはオーディオセットとベッドがあるだけ。まぁ、いくつか植物も置いてあったけれど。一方、普段使わないゲストルームは

ゲストルームと言う名の実質、物置部屋

だった。まぁ、普段使う部屋があれだけ贅沢な空間の使い方をしていたらそうなるのかも。

で、私はそのゲストルームを借りて寝たわけだけれど、ベッドはなく、マットが置かれているだけ。しかも、そのマット、

ダブルサイズ

おかげでゲストルームの半分を占めていた。残りの半分は物置状態。そして、

ドアが閉まらない

いや、がんばれば閉まったけれど、普通に開け閉めすると、マットにドアが当たる。

玄関を入ってすぐ、彼の書いた絵がかかっていた。『絵』といっても、彼の手形。リビングルームにも絵が何枚かかかっていて、

ここに泊まった人、少なくとも僕と一緒に朝食をとった人は体の一部を使って絵を書かないといけないルールなんだ

と彼が言い出した。リビングルームにかかっている絵のうち、2枚はゲストが書いたらしい。素材はアクリルで、色は赤、青、黄の三原色+白、黒。で、私は写真の作品を作った。オレンジの部分が私の右足の指。まぁ、美術が苦手だった私にしてはまぁまぁにできたのではないかと自画自賛している。ちなみにこの作品、

トイレにかかっている

時々、道路に『ご自由に持ち帰ってください』というものが出されていた。今回の2泊3日の間でタンデムくんは、観葉植物(土、鉢付きで多分50kgくらい)、ワイングラス大小各10客くらいを持ち帰った。新品ではないけれど、まだまだ使えるものをリユースして部屋を作っていくのも楽しいかも。

私が帰るとき、タンデムくんは近くのSバーンの駅まで送ってくれ、そこでやっぱりハグとキス3回。が、タンデムくんが、『もう1回』と言うので、もう1回キスしたら、その間、

足を踏まれた

もちろん、踏み返した。その日、ハイキングに行ったので、私の靴は泥だらけ。彼は、靴を履き替えたので、きれいな靴。さすがに嫌だったらしく、すぐに私の足から離れた。

半年以上会わなかったけれど、途中、連絡が途絶えたけれど、こうして前と変わらずに会えたことがうれしかった。
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スーパーで

2008-03-28 04:15:03 | Weblog
ドイツのスーパー、品質チェックは

自己責任でどうぞ

と言う感じ。傷んでいる野菜や果物、賞味期限の切れたパンなど普通に陳列されている。以前、キュウリを買おうと思って手に取ったら

水が飛んだ

傷んでいた、というより、『腐っていた』というほうが近かった。

こんなことがあり、買い物をするときはじっくりチェックするようになった。なのに、先日、ある食品を買ったとき、レジで、キャッシャーの人がレジのスキャナーを通した後、ビニール袋にその商品を入れた。そんなことは初めてだったのでとても驚いた。

何事かと思ったら、レジの前に商品を置くベルトコンベアみたいなところに私が買った商品の中身がぽろぽろと落ちていた。

買った商品は食品

なのに、何も言わずにそのまま商品を渡された。日本ではまずありえないと思う。衛生的に。そして、何か毒でも注入されていたらどうするのよ。

しかし、ここはドイツ。ちゃんと確認しなかった私が悪い、と言うことなのでしょうね。

しかも、レジでビニール袋に入れてもらった商品をバッグに入れたとき、

商品の中身がぽろぽろと落ちてきた

あれれ。ちゃんとビニール袋を閉じたのに…

そのビニール袋も破れていた

さすがドイツ。キャッシャーの女性も破れたビニール袋に気づいたけれど、何も言わず、『新しいビニール袋を使いますか?』すらなかった。

で、その中身がこぼれた商品、私は『危ないかなぁ』とも思ったけれど、食べてしまった。
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教授の日本出張

2008-03-21 05:02:17 | Weblog
教授が会議に参加するため、日本へ行った。コミュニケーションのない私たち。私は、

教授が日本へ行く日、戻ってくる日は知らされていなかった

かろうじで、日本へ行くことは先日のワークショップで日本から来た研究員に教えてもらっていた。

2日間くらいしか滞在しないらしいよ

と。忙しいから仕方ないのかもしれないけれど、片道10時間、時差8時間で滞在日数2,3日、というのは厳しいかも、と思っていた。
が、先週の金曜、同僚とのふとした会話で、教授がその日、日本に向けて出発したことが分かった。で、月火が会議。結局、少なくとも4,5日は日本に滞在したことになる。日本についてよい印象を持ってもらえたかしら。

月曜日、教授にメールを書いた。送信した直後、自動返信で教授からメールが届いた。

出張中なので、このメールは出張期間中、またその後も読みません

そのメールでは20日まで出張中になっている。そして、ドイツは21日からイースター休暇。仕方ない、休暇明けにメールするか、と思っていたら、今日返信があった。戻ってきたのか?

今日、ポスドクが私のオフィスにやってきた。

『闘魂』と書かれたTシャツを手にしながら

教授の日本土産か?論文の話をした後で、そのTシャツを指差しながら、「この漢字、読める?どういう意味?」と聞いてきた。どうやら教授はそのポスドクに、

これはサムライらしい

と言ったらしい。考えようによっては大きく外れてはいないと思うけれど、どこで誰にそういう説明を受けたのでしょう?

そのポスドク、日本でポスドクをしていたこともあるので、漢字も少し知っているが、この2つの漢字は読めなかった。『闘』を指差して、「これは門でしょ。中は何?ちょっと書いてみて」というので書いてみた。

あ、左側は『豆』だね。右側は長さを表すんだよね

…『寸』ですか?確かに長さを表す単位の1つですね。よく知っていますね。『魂』に関してはまったく知らない、と言っていた。ちなみに、意味については、

fighting soul, fighting spirit

だと伝えた。そして、「どんなときに使うの?」と言う質問に対しては、

何か、大きな目標を達成したいときに一生懸命がんばるときに使う、かなぁ?

抽象的過ぎてよく分からなかったらしく(私もよく分からない。使ったことないし)、「例えば?」と聞いてきたので、

大学受験とか

と答えてみた。あっているのでしょうか。それとも『サムライ』と大差ない答えなのでしょうか…
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バラ-1ヵ月後

2008-03-20 05:52:51 | バラ


タンデムくんにもらったバラからずいぶん新芽がでた。そして、1つだけつぼみがつき(写真右上)、最近、そのつぼみが膨らみ、少しだけ色が見えてきた。

バレンタイン当日、「色がついているつぼみは1つだけ、固いつぼみが3つくらいだけ生き残っている」と書いたけれど、その後、よく観察してみたら、

色が着いているつぼみは折れていて、結局生き残っているのは固いつぼみ1つだけ

だった。今咲いているバラはこの唯一生き残っていたつぼみ。到着して2週間くらいで咲き、まだ咲いている。長持ちしてくれてうれしい。でも、やっぱり花が重いのか、茎が曲がってしまうのが残念。
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数学

2008-03-20 05:24:52 | 勉強
今私がいる研究室は物理と気象の部屋。数学とは縁を切りたくても切れない仲。私は一応理系の学部を日本で卒業したけれど、数学は苦手。しかも、入試に微分積分は出題されなかったので、微積に関してはセンター試験対策しかしなかった。

日本での大学時代も、積分や微分方程式といったものが教科書に載っていたけれど、幸い、自分で解くことはなく、意味さえ理解していればよい、と言う感じで数学は流してきた。

が、修論を書いたとき、教授に

数式、1つでいいから入れて

と言われた。まぁ、体裁よくするにはやはり数式があったほうがいいでしょうね、ということで、参考文献から引っ張ってきた。ただ引っ張ってきただけだけれど、これが私の限界。

今、論文投稿をするための準備をしているけれど、時間が経てばたつほど自分の論文のアラが目立ってきた(基本的には「うん、予想通りだね」という結果なので、大きくは間違っていないと思う)。

それを修正するために数学が必要となってきた

最初は三角関数。定理の名前も覚えていないし、何と何が分かればココの角度を求められる、というのもすっかり忘れていた。ネットで検索し、何とか求めたいものを求めることができた。

次は積分…
資料に数式があり、左辺のこの値が既知で、右辺はこことここが既知で、これを求めたい、でもインテグラルがついているからどうしたらいいかわからない…

ネットで探してみてもよく分からない。仕方ない、と思い、同僚に聞いてみた。

これとこれが分かっていて、それは関数なんでしょ。簡単だよ

と言い、これがこうで、こうなるでしょ、だからこうすれば求められるよ、と説明をしてくれた。
が、理解が追いつかない私。混乱している私を見て彼が、

ここの分かっている表と、ここの関数、必要な定数をくれれば計算してあげるよ

と、救いの手を差し伸べてくれた。
彼に資料一式渡したら、

これは、15分もあれば終わるね

へぇ。そうなんだ…数学が得意な人がうらやましい。
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年齢

2008-03-11 05:05:16 | Weblog
2004年にドイツに来たとき、クラスメイトの平均年齢はおそらく26歳くらいだったと思う。あれから3年以上経ち、結婚したり、子供ができたり、ライフステージが大きく変わった人が多い。

私は2004年から着実に3つ年を取り、もうすぐ誕生日を迎えるから、日本を出たときの年齢+4となる。

日本を出たときの年齢+2ならまだ就職も大丈夫

と思っていたけれど、今はかなり心配。就職先、見つかるのだろうか。

私は年齢に対してそういう心配、不安はあるけれど、多分、「人間(女性)として」の不安は少ないほうだと思う。むしろ、逆に、「今のほうが20歳の自分よりも自信がある」とすら思う。確かに、容姿に関しては、衰えているに違いないけれど、内面に関してはかなり満足している。だから、トータルで考えると、「今のほうがいい」と思っている。そして、根拠はないけれど、「今日よりも明日のほうがいい」とも思っている。

同じプログラムにドイツ人の女の子がいた。2004年当時、彼女は24歳で、私は彼女のことをとてもかわいい、と思っていた(今もとてもかわいい)。その彼女が、プログラムが始まってすぐ、

私が一番若い(年下)と思っていたのに

と話していた。私は「へぇ。年齢を気にするんだ」と少しびっくりした。当時、私は、「欧米人は年齢を気にしない」と思っていたから。誕生日パーティをしても、「あぁ、また年取っちゃったよ」と言っていたのが印象的だった。

そして先日、近くに住んでいるクラスメイトが集まったとき、彼女も来た。「当時は24歳だったね」という話から、

もう私、27だよ、終わってるよ…

と言い始めた。誰かが、「まだ若いよ」と言ったら、

24は『とても若い』、26は『そこそこ若い』、でも27は若いとはいえない。あお、ごめんね~~

と言い出した(もちろん、笑いながら)。なので、「心配しなくてもあなたも何年か後には30になるよ」と言ったら、

私はならないの

ときっぱり言い切った。彼女が特別なのかもしれないけれど、やっぱり年齢って気になる人にとっては気になるんだ、と思った。
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再会

2008-03-10 05:28:55 | Weblog
私が参加したプログラムが終了して約1年半が経った。クラスメイトはドイツの別の街でインターンシップをしている人、自国に戻った人などなどさまざま。

クラスメイトのインド人の1人がランチに招待してくれた。集まったのは、7人(1人はコーディネータ)。私を含め、6人は同じ市内、あるいはごく近くの街に住んでいるからたまに会ったりしていたけれど、1人は同じ州内だけれど、そんなに近くない街で働いているから、ほぼ1年ぶりの再会となった。

ランチを終えて、近況を話している途中でクラスメイトの1人が撮影した卒業式のビデオを見た。

誰々は今どこで何をして、誰々が結婚して、誰々は子供ができて…

という話をした。みんながんばっているようだった。

クラスメイトの1人が、

私たちのときはいい具合に人種(国籍)が混ざっていたと思うわ

と言い出した。1カ国から多くても2人だけ、と言うことで、

ドイツとインドから2人ずついただけで、後は1カ国1人だったでしょ

と。私は「あれ?なんか、誰かを忘れている気がする…」と思い、しばらく考えた。

パキスタンだ!

とひらめき、「パキスタンからも2人いたよね?」と言ってみたら、その場にいた全員が

え?優等生だったNのほかに誰かいた?

と。あれ?私、勘違いしてる?と思い、恐る恐る「Aもいたよね?」といったら、

あー、Aね。完全に忘れていたわ

と。確かに、授業にはあまり来なかったり、ちょっと問題が多かったりしたけれど、忘れちゃうんだ。彼はまだ市内にいるらしいけれど、クラスメイトの誰ともコンタクトを取っていないらしい。私、忘れ去られていなくてよかった…

ランチ後、翌日に試験を控えているホストのクラスメイトを置いて、残りのみんなで街でお茶と散歩をし、解散。

次回会うのは、4月のバーベキュー。結婚式のために国に帰るクラスメイトが帰国前に計画してくれた。
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愚痴

2008-03-07 04:33:10 | 勉強
ワークショップが終わり、私の義務の残りは論文投稿だけとなった。年末に、ポスドクに「全部一度に書かなくていいから。少しずつ書いて、書き直して、でいいから」と言われたこともあり、3週間ほど前にそのポスドクにドラフトを送った。

案の定、返信なし

私の契約、3月までなんですけど。とても3月中には終わりませんね。4月以降は定期がないので、あまり学校には行きたくないし、帰国の準備もしないといけない、という状況なのに。私はひそかに、「私、ドイツ人じゃないし、英語もイマイチだから面倒見てもらえないのかなぁ」と思っていた。

ワークショップの合間に同じ研究室のインド人と話す機会があった。彼の話を聞いてびっくり。

ドイツに来てすぐ、論文のドラフトをポスドクと教授に送ったんだけれどさ、返信が戻ってきたのって、18ヵ月後だったんだよね

………1年半、待たされたんだ。そして、面倒見が悪いのは私に対してだけではなく、他の人に対してもだったんだ。私の数週間待ち、ってたいしたことないんだ。

彼はドクター論文を先日、4本目の論文を今日、ポスドクと教授に送信し、時間ができたせいか、

僕のオフィスでコーヒーを飲まないか

と誘ってくれた。あいにく、本日は

ストライキで市内交通ストップ(2度目)

で、学校に私はいなかったので、

明日朝8時半に彼のオフィスでコーヒーを飲むことになった

朝早いよ。
彼は、論文を書いていたとき、朝5時から研究室で働いていたらしい。だから、朝8時半って、どうってことないのでしょう。



教授とドイツの研究所の人がやり取りしているメールがccで私のところにも送信された。衛星データに関することだったので、教授がポスドクなど、関係者をccに入れたらしい。

全部ドイツ語

私以外全員ドイツ人なので当然なのですが。面倒なので半日くらい放置していたら、教授宛の返信が私のところにもやってきた。仕方ないので、大まかな内容だけでも把握しよう、と思い、自動翻訳を使いながら読み進めた。そして発見した。研究所の人が教授にデータの何かをお願いする文章の中で、

そっちの研究室でこれをする人はいる(あお?)

と私の名前がフルネームで入っていたのを。
私の契約、3月で終了、と言うのは念を押しておいたほうがいいかしら。というより、12月の時点で教授から「4月以降は契約できない」とはっきりいわれたんだけれどな。

///追記///
先ほど、教授から私宛に英語でメールが入った。
「先方が持っているデータ、多分足りないから、ftpサーバーにアクセスして、どのデータを供給できるか確認して」と。

そんなことで先方は私の名前をフルネームで書いてきたのか??

まぁ、実際、データの管理をしているのは私しかいないので、文句言わずにしますけど。教授もちゃんと英語で指示を出してくれたし。

明日はこれで1日つぶれそうだ。別のことをしたかったのに…
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私の日本語

2008-03-06 04:45:37 | 勉強
今回のワークショップで日本人研究者とは当然、日本語で会話をしたわけだけれど、日本語の衰えをひしひしと感じた。自分では、普段日本語を話しているから、問題ない、と思っていたけれど、まず、

尊敬語、丁寧語、謙譲語

をうまく使えない。初めて会う人だし、年齢的も、キャリアも私より上なのに、きちんとした日本語で話せなかった。時々、友達と話すような砕けた日本語がぽんっと出てきて自分でもびっくりした。

2つ目の問題は、

専門用語を日本語→英語にすぐに変換できない(逆も)

例えば、「この衛星は静止衛星ですか?」と聞かれたけれど、(静止衛星?……Geostationary satelliteか)と時間をかけたうえで、ようやく「はい、静止衛星です」と答えられた。

日本語の会話の中に英単語を織り交ぜるのは好きではないから、できるだけ英単語を適切な日本語に直して、話そうとするけれど、うまく置き換えられない。例えば、ドイツではよく「colleague」を使うけれど、これをそのまま「同僚」とするとちょっと違う。日本語の語彙も増やさないと。

3つ目の問題。

難しい話ができない

今回一番驚いたのは、長い日本語の文章を正しく話せなかったこと。

普段英語で話をするときも語順はおかしいけれど、日本語でもおかしい…

研究の話をしたときは、英単語を日本語に置き換えながら日本語の文章を作っていたせいか、主語と述語があっていなかったり、不自然な日本語の文章が出来上がったりしていた。

私の日本語力にとても不安を感じたワークショップだった。
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ワークショップ-ポスター発表

2008-03-03 16:16:49 | 勉強
先日のワークショップで私も人生初のポスター発表をした。内容は修論抜粋なので、特に分析する必要もなく、比較的楽だったとは思う。

面倒を見てくれているポスドクと年明け早々に話をしたとき、

内容をがっちり固めるのではなく、少しずつ手直ししながら進めていこう

と言われていた。なのに、ポスター発表1週間前にドラフト(レイアウトなし)を送ったけれど

返信なし

確かに、彼がコーディネートしているプロジェクトのワークショップだから忙しいのは分かるけれど、でも、見てよ!!と思いつつ、週末に突入した。水曜日が発表の日だから、もう残り時間が少なくなり、

土曜に催促のメールをした

そうしたら、日曜の夜に添削されて戻って来た。

レイアウトを終えたら教授ともう1人のポスドクに送信し、彼らの意見を取り入れ、火曜の夕方にプリントアウトしよう

とのコメントつきで。確かに、教授のチェックは必要だし、もう1人のポスドクも発表者の1人になっているから、確認してもらわないといけないけれど、そんな時間、あるのか?

私は、翌日の午前中はベビーシッターのため、学校には来られないので、月曜の夕方、早いうちに教授とポスドクに送信し、火曜の午後1時までにコメントを返してもらうべく、月曜はコーヒーを飲むまもなく大忙しだった。

なんとか夕方に教授とポスドクに送信できた。が、

果たしてコメントは返ってくるのか?

と疑っていた。このとき、コメントが返ってこない確率は95%と思っていた。ポスドクも教授もワークショップの準備で忙しいはずだから。

翌日。昼過ぎに学校でメールのチェックをしたら

教授からコメントが!

教授のコメントは3つついていて、その内2つは表現や単語についてだったけれど、もう1つが、

今回はこれでいいけれど、こっちのデータを使ったほうが面白いのでは?

と言うものだった。私は衛星データのほかに、別のデータを使っていて、今回のコメントはその別のデータに関してのものだった。しかし…

これで修論も提出しているし、提出してからかれこれ4ヶ月ほど経っているし、なぜいまさら…?

その後、ポスドクに英語をざっくりと直してもらい終了。途中でやはりポスターをプリントアウトするというドクターの学生に「やり方わからないから、一緒にお願い!」と頼み、PCルームが閉まる5時直前に2人でPCルームに駆け込んだ。

そして、ポスターは発表当日にピックアップ。

なんともぎりぎりなスケジュールだった。あまり好きではないなぁ。
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