徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

秋の旅行-ホテル編その2

2016-10-31 02:02:00 | 旅行


クヴェトリンブルクではMaria Auroraに1泊した。今回の旅行で泊まったホテルの中で一番広かった。建物も木組みで素敵だったし、街中にも近かった。

ホテルの入り口に『部屋の鍵を受け取るには、マルクトプラッツにある系列のホテルに電話してください』と書いた紙が貼られていた。Usingenでもそうだったけれど、人件費節約のため、スタッフが常駐しないホテルが増えてきている気がする。

さて、電話をすると、ホテルのスタッフが入り口横に設置されている金庫の暗証番号を教えてくれて無事に鍵を入手。

部屋はちょっと広めの

玄関

みたいな場所(部屋との境にもドアがある)があり、そこにクローゼットがあったので上着を掛けようと扉を開けたら

扉が外れた

。入り口のドアも隙間が大きく、外の明かりが玄関にも入ってきた。

部屋の天井の電気は本来はベッド近くにあるスイッチでもつけたり消したりできるのだろうけれど、まだ配線がうまくいっていないようで

玄関入り口脇

のスイッチでのみ操作可能だった…



アイゼナハではHotel Hännesburgに泊まった。ホテルは坂の上にあったけれど、街中にも近く、Wartburgにも歩いて30分くらいで、立地は良かった。オーナーもものすごく感じが良かった。

泊まった部屋のカラーが

青緑色

ぽくてソクチくんは『なんでその色を選んだんだろうね。

カビの色

ぽいよね』と失礼なことを言っていた。また、ベッドのフレームが金属なので、ちょっとぶつかると「ゴーン」と音がして笑えた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の旅行-ホテル編その1

2016-10-29 15:52:54 | 旅行
今回の旅行で泊まったホテルは全部で4軒。



まずはUsingenのHotel zur goldenen Sonne。

チェックインは17時以降と遅めだったけれど、16時ごろにUsingenに着いた私たちは『チェックインできるかどうかフロントに行ってみよう』とホテルに行った。

ドアに「スタッフがいるのは17時から20時です」と張り紙がされていたので、1時間ほど散策に出ようとした。
その時、ソクチくんが駐車場の掲示板の張り紙に気が付いた。『ホテルのレストランのシェフが体調不良で、その間に建物をリノベーションするので、

しばらく休業

します』と書かれていた。レストランだけは思うけれど、ソクチくんは『この書き方だとはっきりしないよね。ホテルも休業の可能性もある』と言い出した。

とりあえず17時までは様子を見ようと、散策に出たけれど街が小さすぎてあっという間に散策終了。夕食のレストランも探そうと思ったけれど、

カフェとピザのテイクアウト

のお店が多く、レストランは1軒のみしか見つけられなかった。

結局、『17時にホテルに行って、ホテルが休業だったら他のホテルを探さないといけないから、軽食のあるカフェで軽い夕食を済ませよう』ということになり、

17時に夕食終了

となった。

さて、ホテルに戻ると若い男の子がいた。名前を伝え、チェックインしたいというと一度オフィスに入った後外に出て

郵便受けから封筒

を取り、その中から

部屋の鍵

を取り出した。ホテルのスタッフは常駐していないのに、リノベーションの工事の人がホテルに出入りするので、その安全対策だとは思うけれど、どんなシステム…

とりあえずホテルが営業中でよかった(ホテルも順次リノベーション中だった)。客室も、リノベーションが必要だね、と思う部分もあったけれど、基本は清潔でよかったと思う。




次はゴスラーのGästehaus Graul。とても清潔で部屋も広く、今回の旅行で一番いいホテルだった。立地もよく、旧市街までも十分歩いていける。

朝食はコンチネンタルだったのでそれほど期待していなかったけれど、

パン、ハム、チーズ、ジャム、野菜、ゆで卵

と、大満足。

ただ、シャワーの周りにあるガラスは(一部)すりガラスだけれど、

バスルームの窓が普通のガラス(無色透明)

(しかも、窓が大きい)なので、電気をつけると外から丸見えだろうな、と思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の旅行-フルダ編

2016-10-27 15:11:13 | 旅行


ソクチくんの友達の家に立ち寄り、彼もいっしょにフルダ観光をした。私のガイドブックに載っていた「フルダで見るもの」は、市宮殿(Stadtschloss)と大聖堂(Dom、写真)の2つ。まず大聖堂が見えたので行ってみたけれど、コンサート中で入場できなかったので、ふらふらと歩いてStadtpfarrkirche(教会)へ。

内装は主に白と紫っぽいピンクなので明るくてかわいらしい教会だった。

大聖堂の内装も主に白だったけれど、Stadtpfarrkircheと比べると若干地味目立ったような気がする。

大聖堂の向かいにはStadtschlossがある。司教領主の居城だったらしい。現在は市役所としても使われていて、中には戸籍役場(Standesamt)も入っていて結婚の際に使う部屋が見学できたけれど、とても素敵だった。

メインの建物内ではないけれど、ここで

ドイツ語コース

も開催されているようで、『こういうところで勉強できるのなら行ってもいいなぁ』と思った。

歴史的な部屋(Historischen Raeumen)も見学できる。その中でも鏡の間(Spiegelsaal)はとても素敵だった。小さい部屋だけれど、天井まで鏡が貼られ、きらきらと光が反射してとてもきれいだった。



写真の部屋はもともとはダイニングとして使われていたようだけれど、現在はこんな感じでちょっとした講演ができそうな部屋が他にもいくつかあった。

1階には皇帝の間(Kaisersaal)がある。ドアを開けたら

すぐに降りる階段

があり、危うく転ぶところだった。皇帝の間という割にはシンプルだな、と思っていたら、ソクチくんの友達が『これがKaisersaal?

小さくない?

写真(受付でもらったパンフ)で見るともっと大きく見えるけど』というので、パンフの写真を見たら本当に印象が違ってびっくりした。



最後は大聖堂見学前から気になっていた大聖堂隣の教会(Michaelskirche)へ。9世紀前半に建てられた教会で、

中は円形

になっていて、神様の周りに人が集うスタイルで、これが本来の教会のスタイルなんだろうな、と思った。

私のガイドブックにはこの教会については触れられていなかったけれど、この教会がフルダで一番記憶に残った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の旅行-アイゼナハ編その2

2016-10-24 04:06:55 | 旅行


写真は世界遺産に登録されているヴァルトブルク城(Wartburg)。1067年に城塞として建てられ、その後増築され、現在残る主な部分は1170年に後期ロマネスク様式で建てられた。

見学は英語またはドイツ語のガイドツアーで。内部の写真は別料金(2ユーロ)で撮影可。騎士の間(Rittersaal)や食事の間(Speisesaal)は質素でびっくりした。



写真のエリーザベトの間(Elisabeth-Kemenate)は金色のモザイクで装飾されてキラキラしていた。もちろん、モザイクは城が建築された当初からあったものではなく、1902年から1906年の間に加えられたもので、聖女エリーザベト(heilige Elisabeth)の人生の場面を描いたものらしい。この部屋はもともとはRittersaalと対になっていたらしい。

ガイドツアー終了後は各自展示物を見て回り、ルターシュトゥーベ(Lutherstube)へ。途中の渡り廊下も木製で質素な感じがまたよかった。

Lutherstubeは、ルターが10か月間、聖書の翻訳をした部屋。部屋には暖炉や机が置かれていたけれど、これらはルターが実際に使用したものではなく、ルターやデューラー(画家)と同年代のWillibald Pirckheimerのものだったらしい。

Wartburgには塔もあり、無料で登れたので登ったけれど、

天気が悪すぎ

て眺めは良くなかった。

来年は宗教改革から500年らしく、いろいろなイベントの告知がされていた。Wartburg内では、当時の印刷機(と思われる)ものでルターとWartburgを印刷したものを即売していたけれど、その印刷機には

2017

と書かれていた。来年が本番なのか。

Wartburgはとてもよかったので、また機会があれば訪れたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の旅行-アイゼナハ編その1

2016-10-23 04:07:00 | 旅行
アイゼナハに到着したのは午後2時過ぎくらいだった。

大渋滞と運転の荒さ

にびっくりしたけれど、私のガイドブックに「アイゼナハは自動車の街としても知られている」と書かれていてなんとなく納得した。渋滞だったのはシフトチェンジの時間だったのかな。

ホテルに荷物を置いた後、早速散策に出た。アイゼナハはマルティン・ルターが学生時代に住んだ家があることとバッハが生まれた街などとして知られているけれど、まさか

同じ学校(ギムナジウム)

に通っていた(もちろん時代は違う)とは思わなかった。そのギムナジウムの名前は

Martin Luther Gymnasium(マルティン・ルター・ギムナジウム)

だった。ちなみに、ルターは1498年から1501年、バッハは1692年から1695年に通ったらしい(学校の入り口に表示があった)。



ルターの家(Lutherhaus)は木組みの美しい家(写真)だった。中の展示でルターの生涯と業績を知ることができ、キリスト教や聖書に関心のある人にはためになると思う。

ルターの業績は、もちろん聖書をドイツ語に翻訳したことだけれど、当時、すでにドイツ語版の聖書はあったらしい。が、ルターは

誰にでも読めるドイツ語

に翻訳し、この聖書が広く庶民にもいきわたったため、このルター訳の聖書が

近代ドイツ語の基礎

となった。



写真はバッハ一族がかつて所有していたバッハの家(Bachhaus)。写真は築600年以上の建物だけれど、この建物の向かって右側に

モダンな新館

が建っていた。中の展示室も一部モダンでびっくりした。展示は、当時のキッチンや居間などのほか、バッハと同時代の古い楽器が紹介されていてとても興味深かった。特に面白かったのは

バイオリンと(たぶん)トランペットが一体

となっている楽器。普及はしなかったと思うけれど、アイディアが面白いと思った。

その他、クラヴィコードやチェンバロなどの生演奏もあった。1台のオルガンは、空気を送るペダルがオルガンの横にあり、演奏者が自分で空気を送れないので、

観客の1人

がペダルを踏み共同演奏をした。

ショップには音符の書かれた鉛筆や消しゴム、ボールペンなど、普段使いできそうなかわいいグッズも売られていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の旅行-クヴェトリンブルク編

2016-10-20 19:33:21 | 旅行


クヴェトリンブルクの旧市街もユネスコの世界遺産に登録されている。クヴェトリンブルクも小さな街で、おもな見どころは旧市街の木組みの家と聖セルヴァティウス教会(Stiftskirche)なので、やっぱり半日くらいあればぐるっと回れる。

私たちが行ったときは天気が悪かったけれど、それでも木組みの家はきれいだった。写真はマルクトプラッツの市庁舎。



Stiftskircheは坂の上にあるので登っていくとレンガ色の街を眺めることができる。

教会の見学には受付で日本語の資料を貸してもらえた。それによると、この教会が建てられたのは

日本では鳥羽上皇の時代

だったらしい。高校時代、もっときちんと日本史の勉強をしておけばよかった。
資料はとても詳しく分かりやすく書かれていた。祭壇横の小さな部屋にも宝物が展示されていた。祭壇に敷かれていた絨毯は受付横の階段で2階に上がった部屋で展示されている。

この教会は、その前に建っていた修道院の再建で、その修道院は

皇帝の血縁者

が開院したため、その修道院は

クヴェトリンブルクから税金を集め、コインを発行できる

特権があったらしい。

この教会には派手ではないけれど庭もあり、バラが咲いていてきれいだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の旅行-ヴェルニゲローデ編

2016-10-16 00:48:23 | 旅行


ヴェルニゲローデも木組みの建物がたくさんある。旧東ドイツの時代によく破壊されなかったな、と思う。写真はマルクトプラッツに立つ市庁舎。ゴスラーと同様、小さな街なので、半日強あればヴェルニゲローデ城と街歩きができる。

はずだったのに、私たちは

ランチを含めて3,4時間

の滞在になってしまったので、ヴェルニゲローデ城は今回は泣く泣く諦めた。



マルクトプラッツ周辺の道は、どこに行ってもたいていかわいい街並みを見ることができる。建物がまっすぐでないところがまたかわいい。

今回は街歩きだけに絞ったので、ほぼすべての道を歩きつくしたと言ってもいいくらい。目的を持った見学は、街で一番小さい家(Kleinstes Haus)、一番古い家(Aeltestes Haus)、傾いた家(Schiefes Haus)。Kleinstes Hausは、間口約3メートルの家で、内部は見学可能になっている。1階と2階が見学可能で、2階には人形がたくさんあり、

ひな人形の五人囃子の1人

も飾られていた。

この家に入った時、犬(小型犬)連れの年配のご夫婦も一緒に入った。家の管理人さんと犬連れの奥様の会話。

管理人さん:『犬は抱っこしてくださいね』
奥様:『どうして?』
管理人さん:『以前、2階でおしっこをしてしまった犬がいて、それ以来同じ場所で犬がおしっこをしてしまうんです』
奥様:『(少しイラッとした感じで)あら。うちの子はそんなことはしないわ』
管理人さん:『それでも抱っこしてください。掃除するのは私ですから』

その後も奥様は少し文句を言いつつもしぶしぶ犬を抱っこしたけれど、見学中、ずっと文句を言いっぱなしだった。管理人さんに『抱っこしてください』と言われれば「そういうものだ」と思って抱っこすればお互い嫌な気持ちにならないのに。

Aeltestes Hausは15世紀に建てられたものだけれど、外観もきれいにリノベーション済みで

Ferienwohnung(休暇用に貸し出すアパート)

になっていた。ヴェルニゲローデにはFerienwohnungがかなり多かった。

Schiefes Hausは、17世紀に水車小屋として建てられ、水車を回す水路の水が家の地盤を蝕み、傾いてしまったらしい。実際に見るとかなり傾いているけれど、写真を撮ると傾いているのが

家なのかカメラなのか

分からない。


ヴェルニゲローデでは

3mおきくらいに犬のフン

が歩道にあった。フンがなければもっと印象が良かったのに。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の旅行-ゴスラー・ランメルスベルク鉱山編

2016-10-14 03:01:38 | 旅行



ランメルスベルク鉱山の博物館(Rammelsberger Bergbaumuseum)へ行った。10世紀ごろから銀や銅、鉛などが採掘され、ほぼ資源が枯渇した1988年に閉鎖された。

博物館では鉱山の歴史、技術、鉱物、経済、坑夫たちについて詳しく知ることができ、ソクチくんは結構楽しんでいた。博物館の建物はテーマ別にいくつかに分かれていて、私たちは2つしか見ることができなかった。

坑道はツアーで入ることができ、私たちは200年ほど前の坑道を歩いて回るツアー(所用時間1時間15分程度)に参加した。



集合場所には坑夫たちが使用していた作業着が天井からつるされていた。ワイヤーで作業着を上下させる。当時使われていたコーラやたばこの自動販売機もそのままあった。

私たち見学者も安全のためにヘルメットを着用する。坑道の天井は低いところがあり、私も2,3回ヘルメットをぶつけた。



写真は坑道の入り口。中はもちろん見学用に電気が通っているけれど、それでも暗い。坑夫は鉱山に入り採掘するのにオイルランプを使ったけれど、そのオイル代は給料から引かれたらしい。なので、

5人で1つのランプを使用

してオイル代を節約したらしい。採掘場でガイドさんが電灯を消し、ろうそく1本だけ灯したけれど

はっきり言って真っ暗

だった。この暗さの中、よく作業できたな、と思う。そして、その1つだけ灯しているランプが天井からしずくが落ちたりして消えることもあったという。そんな時は本当に真っ暗なので、再びランプをつけるまでに

30分ほど

かかったという。賃金は出来高制なので、仕事ができない間は当然ゼロ。8時間勤務で、その間にトイレに行ったりするとその間もゼロ。厳しい。トイレと言っても、当然単なる桶だったりする。そして、その桶を

誰かが外に持っていく

必要がある。見学の最後に

とても急な階段(ほぼはしご)

があり、それを登るのも大変だったけれど、当時は本当のはしごだったわけで、片手に桶、片手ではしごをつかんで数十メートル登るのはきついな、と思っていたら、どうやら当時は

若者または悪いことをした人

の仕事だったらしい。

ガイドさんの説明では、坑夫は8時間鉱山で採掘をするけれど、採掘前と採掘後に1時間ずつ礼拝したり、採掘後は

無料でシャワー

を浴びることができた(オイルランプのオイルは有料だったのに)りで、結局トータルで15時間程度拘束されたらしい。

この鉱山には、水車が4つ(水路は1本)あり、水を最大限に利用している。4つの水車の内の2つは鉱石を運び上げ、あとの2つの水車は地下水排水ポンプを作動して地下水を排水していたらしい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の旅行-ゴスラー・旧市街編

2016-10-12 01:43:47 | 旅行


ゴスラーの旧市街とランメルスベルク鉱山はユネスコの世界遺産に登録されている。旧市街の建物の約3分の2は1850年以前のもので、そのうち150以上の建物が1550年以前の物らしく、

どの通りを歩いても素敵

だった。比較的まっすぐで狭い道路が多く、写真ではその素敵さが激減するのが残念。ランメルスベルク鉱山が最盛期を迎えるのが1500年ごろで、そのころから木組みの家が豪華に装飾されたらしい。



皇帝居城は11世紀にハインリヒ3世により建設され、現在の城は19世紀に再建された(写真)。ドイツに現存する宮殿様式の建物の中では最も規模が大きいらしい。

城の2階の帝国の間にはドイツの歴史が描かれた巨大な壁画がある。壁画にはヴィルヘルム1世やフリードリヒ1世(バルバロッサ、Barbarossa)などの皇帝たちに混ざって

眠れる森の美女(Sleeping beauty)

の絵もあった。イマイチ関係が分からなかったのでソクチくんに聞いてみたところ、

『フリードリヒ1世は十字軍の遠征中に亡くなり、家臣たちが戦争が終わったらフリードリヒ1世の遺体を持ち帰ろうと、遺体を茹でて3か所に埋めてさらに遠征に行ったんだけど、戻ってきたらどこに埋めたのか分からなくなり、遺体を持ち帰ることができなかったんだ。人々はフリードリヒ1世の死を信じることができず、『バルバロッサはどこかで生きている、永い眠りから目覚めるときが来る』との伝説が生まれたんだ。眠れる森の美女も100年後に永い眠りから覚めているから、そういう意味じゃないかな』

とのことだった。なるほど。

ゴスラー旧市街は2時間もあれば歩いて回れる小さい街で、私たちは約1日滞在したけれど

全く足りない

と思った。私はゴスラーを気に入りすぎて

ここに住みたい

とまで思った(空港まで遠いので現実的ではないけれど)。ゴスラーはぜひまた訪れたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の旅行-ヘッセンパーク編

2016-10-11 03:01:10 | 旅行


ヘッセンパーク野外博物館(Freilichtmuseum Hessenpark)は、主にヘッセン州内の古い建物を移築して保存・展示をしている。

面積は広いけれど、入場者は主に入り口周辺のマルクトプラッツに集中し、その他のエリアは閑散としている印象だった。特にマルクトプラッツにあるパン屋さんはいつ見ても行列ができていた。

1日あれば、すべてのエリアを回り、入ることができる建物すべてに入れる感じだった。建物内の展示は、薬局などはいい感じに展示がされていたけれど、例えばカメラやビデオカメラなどが展示されてる場所は

所有するものすべてを展示しました

という感じがして残念だった。もう少し時代ごとに分けてどのようにカメラが発達したのかなどの説明があればいいのに、と思った。

私たちが行った日は天気が良くなく、来場者が少なかったためか、実演が少なかったのも残念。大工さんや鍛冶屋さんの仕事場は閉まっていて見学もできなかった。

その代わり、ちょうど収穫祭の時期だったので、たくさんのスタンドが出ていて楽しかった。ニンニクをたくさん使ったピザを売っているスタンドがあり、時々すれ違う人がニンニク臭かったりした。



見学した実演は、馬が2頭で鋤を引いて畑を耕すのと、蒸気エンジンで脱穀機(写真)を動かして脱穀するものなど。脱穀機はとても大きく、脱穀機の上で女性が2人、脱穀機に小麦を投入していた。


閑散としているエリアには、まだこれから組み立てられるであろう建物がたくさんあった。それらのエリアにも入場者が訪れるような建物、展示、お店などを配置してほしいな、と思う。マルクトプラッツにあるお店では、博物館の外でも購入できるものがたくさん売られていたので、博物館内でのみ買えるものをぜひ売ってほしい。

今回、お店、教会、風車、職人さんの工房などを見たけれど

学校

がなかった気がする。全部回ったつもりだったけれど見逃したのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする