徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

ローテンブルク観光-クリスマス

2018-12-13 20:48:15 | 旅行


クリスマス村があるお店で有名なKaethe Wohlfahrtがあるローテンブルクに行ってきた。お店の中はいつでもクリスマス用品を売っているため、特に今がクリスマスシーズンだからといって変化はなかったけれど、建物がクリスマスっぽく装飾されていてかわいかった(店の前のプレゼントを積んだ車はいつでも見られる)。

このお店の支店があちこちにあり、

この街の中心部の半分がこの店関連か

と思うほどだった。

ローテンブルクのお店は、壁にクリスマスツリーを飾るのが伝統らしい(写真のお店の2階部分の両側にツリーが飾られている)。



平日のクリスマスマーケットのオープンが11時だったので、それに合わせて行ったけれど、もう少し早く行って街の散策を楽しんでもよかったかな、と思う。

お昼前は観光客はまばらだったけれど、お昼過ぎくらいから増え始め、平日なので「混雑」というほどではなく、観光を楽しめる程度に人がいてよかったと思う。日本人も結構いたし、

日本語や日本円の使用OKのお店

も何軒かあった。

クリスマスマーケットでグリューワイン(やジュースなどの飲み物)を買うと、カップの代金も支払い、そのままカップを持って帰ってもいいし、返却して支払った代金を返却してもらってもいい。

大きなクリスマスマーケットだと、スタンドごとにカップが異なり、代金を返却してもらうには購入したお店に持っていく必要があるけれど、ローテンブルクのクリスマスマーケットは、各スタンドで共通のカップを使用しているようで、何か所か「カップ返却専用ブース」があった。ドイツ語や英語での案内のほか、

日本語で「カップ返却」

も書かれていた。




ローテンブルクは中世の面影を見ることができるので、クリスマスマーケットを一通り見た後は城壁の上を歩いたり、ブルク公園を散策したりした。写真はブルク門。ローテンブルクは1274年に帝国自由都市となったので、この門には、帝国自由都市を表す双頭の鷲の紋章がみられる。




ローテンブルクで何回か

馬車禁止

の標識を見かけた。ソクチくんも『馬車禁止の標識なんて初めて見た!』と言っていた。この標識のおかげかどうか、馬車は1台も見かけなかった。

天気も思ったほど悪くなく、街は小さいので、数時間の滞在でも満足度が高かった。

※ローテンブルク観光はこれで3回目。1回目の観光は2005年2回目の観光は2012年だったらしい。
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秋の旅行-旧西ドイツエリアと旧東ドイツエリア

2016-11-05 00:03:39 | 旅行
旧西ドイツは、旧東ドイツは、と単純にひとくくりにはできないけれど、今回の旅行で感じたことを書き留めておく。

アイゼナハ(旧東ドイツ)からソクチくんの友達のところ(旧西ドイツ)に行くとき、給油の必要があった。高速道路は使わず、下道を使ったけれど、

ガソリンスタンドがなかなか見つからなかった

。私たちが住んでいるエリアを含む旧西ドイツエリアでは、町を突っ切るメインストリートの町の出入り口付近にたいていガソリンスタンドがある(町と町の間には畑が広がり、町を通過したことは確実に分かる)。
が、アイゼナハを出た後、町を10以上通過してもガソリンスタンドが見つからなかった。比較的大きな町でも見つからなかったので、もしかするとメインストリートから離れたところにあるのかもしれない。


旧西ドイツエリアと旧東ドイツエリアのもう1つの違いは

畑の区画の大きさ

。旧東ドイツエリアの畑の一区画は広大だった。ソクチくんは旧西ドイツエリアに入った時、『畑が小さくなってほっとする』と言っていた。見慣れた風景に安心したようだった。
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秋の旅行-食事編

2016-11-02 01:25:33 | 旅行
旅行の始まりはカフェの軽食を夕食にして

5時半には夕食終了

、8時にはホテルですることがなくて

就寝

(ソクチくんは読書)し、普段化粧がのらないのに今回の旅行では肌がしっとりしてびっくりした。

3日目以降からはレストランで肉を食べ、胃が持たれ気味になってサラダにしたり、と歳を感じることも多くなった。

今回、最も記憶に残ったレストランは2軒。
まずはアイゼナハのレストラン。



Hotel Hännesburgのオーナーに、ホテルの近くに

ルターの時代の雰囲気を味わえるレストラン

がある、と教えてもらい、行った。

写真の真ん中よりもやや左に写っている細く巻いてある紙2巻がドリンクメニューと食事メニュー。テーブルにあいている穴は、

先がとがっているコップ

を差し込むための穴。酔って手がコップにぶつかっても倒れない。
電気の明かりもあるけれど、主にろうそくの明かりで、雰囲気はとてもよかった。レストランはそこそこ混んでいたので、遅めに行く場合は予約をしたほうがいい感じだった。

食事自体は、ルターの時代の物もあったかもしれないけれど、私たちが頼んだのはカモ。自家製のLutherbrot(ルターのパン)がラードと一緒にサーブされた。どちらもとてもおいしかった。


2軒目はソクチくんの友達と一緒に行ったレストラン。



レストランには先客がいたけれど、友達と顔見知りで、『一緒に座ろうよ』となり、同じテーブルについた。ソクチくんは、「こういうの(顔見知り程度の人と相席し、会話する)はもう廃れてしまったと思っていたけれど、小さい村ではまだあるんだね」と驚いていた。

先客のご夫婦はスモーカーで、

レストランのご主人がご夫婦を誘って

外にタバコを吸いに行ったりしていた(多分、料理を作っているのは奥さん)。こういうのも地域密着のレストランならではだなぁ、と思った。

私たちが食事中にも別のお客さんが来て同じテーブルに座ったり、食事後は

カードゲーム

をする男性陣がアルコールを飲みながら集まったりと、楽しそうだった。

このレストランで食べたのはSchäufeleという豚の肩肉(骨付き)を2,3時間ほどオーブンで焼いたもの。肉の皮の部分がものすごくカリカリで、この部分が特に美味しかった。

おいしいんだけど、やっぱり

量が多く

、同じテーブルの女の子がハーフサイズを頼んでいたので、私もそうすればよかった、とソクチくんに言ったら、『子供しか頼めないと思うよ』と言われた…

この写真にコールスローサラダが付いて

10ユーロ(1,200円)

ほどととても安かった。


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秋の旅行-ホテル編その2

2016-10-31 02:02:00 | 旅行


クヴェトリンブルクではMaria Auroraに1泊した。今回の旅行で泊まったホテルの中で一番広かった。建物も木組みで素敵だったし、街中にも近かった。

ホテルの入り口に『部屋の鍵を受け取るには、マルクトプラッツにある系列のホテルに電話してください』と書いた紙が貼られていた。Usingenでもそうだったけれど、人件費節約のため、スタッフが常駐しないホテルが増えてきている気がする。

さて、電話をすると、ホテルのスタッフが入り口横に設置されている金庫の暗証番号を教えてくれて無事に鍵を入手。

部屋はちょっと広めの

玄関

みたいな場所(部屋との境にもドアがある)があり、そこにクローゼットがあったので上着を掛けようと扉を開けたら

扉が外れた

。入り口のドアも隙間が大きく、外の明かりが玄関にも入ってきた。

部屋の天井の電気は本来はベッド近くにあるスイッチでもつけたり消したりできるのだろうけれど、まだ配線がうまくいっていないようで

玄関入り口脇

のスイッチでのみ操作可能だった…



アイゼナハではHotel Hännesburgに泊まった。ホテルは坂の上にあったけれど、街中にも近く、Wartburgにも歩いて30分くらいで、立地は良かった。オーナーもものすごく感じが良かった。

泊まった部屋のカラーが

青緑色

ぽくてソクチくんは『なんでその色を選んだんだろうね。

カビの色

ぽいよね』と失礼なことを言っていた。また、ベッドのフレームが金属なので、ちょっとぶつかると「ゴーン」と音がして笑えた。

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秋の旅行-ホテル編その1

2016-10-29 15:52:54 | 旅行
今回の旅行で泊まったホテルは全部で4軒。



まずはUsingenのHotel zur goldenen Sonne。

チェックインは17時以降と遅めだったけれど、16時ごろにUsingenに着いた私たちは『チェックインできるかどうかフロントに行ってみよう』とホテルに行った。

ドアに「スタッフがいるのは17時から20時です」と張り紙がされていたので、1時間ほど散策に出ようとした。
その時、ソクチくんが駐車場の掲示板の張り紙に気が付いた。『ホテルのレストランのシェフが体調不良で、その間に建物をリノベーションするので、

しばらく休業

します』と書かれていた。レストランだけは思うけれど、ソクチくんは『この書き方だとはっきりしないよね。ホテルも休業の可能性もある』と言い出した。

とりあえず17時までは様子を見ようと、散策に出たけれど街が小さすぎてあっという間に散策終了。夕食のレストランも探そうと思ったけれど、

カフェとピザのテイクアウト

のお店が多く、レストランは1軒のみしか見つけられなかった。

結局、『17時にホテルに行って、ホテルが休業だったら他のホテルを探さないといけないから、軽食のあるカフェで軽い夕食を済ませよう』ということになり、

17時に夕食終了

となった。

さて、ホテルに戻ると若い男の子がいた。名前を伝え、チェックインしたいというと一度オフィスに入った後外に出て

郵便受けから封筒

を取り、その中から

部屋の鍵

を取り出した。ホテルのスタッフは常駐していないのに、リノベーションの工事の人がホテルに出入りするので、その安全対策だとは思うけれど、どんなシステム…

とりあえずホテルが営業中でよかった(ホテルも順次リノベーション中だった)。客室も、リノベーションが必要だね、と思う部分もあったけれど、基本は清潔でよかったと思う。




次はゴスラーのGästehaus Graul。とても清潔で部屋も広く、今回の旅行で一番いいホテルだった。立地もよく、旧市街までも十分歩いていける。

朝食はコンチネンタルだったのでそれほど期待していなかったけれど、

パン、ハム、チーズ、ジャム、野菜、ゆで卵

と、大満足。

ただ、シャワーの周りにあるガラスは(一部)すりガラスだけれど、

バスルームの窓が普通のガラス(無色透明)

(しかも、窓が大きい)なので、電気をつけると外から丸見えだろうな、と思う。

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秋の旅行-フルダ編

2016-10-27 15:11:13 | 旅行


ソクチくんの友達の家に立ち寄り、彼もいっしょにフルダ観光をした。私のガイドブックに載っていた「フルダで見るもの」は、市宮殿(Stadtschloss)と大聖堂(Dom、写真)の2つ。まず大聖堂が見えたので行ってみたけれど、コンサート中で入場できなかったので、ふらふらと歩いてStadtpfarrkirche(教会)へ。

内装は主に白と紫っぽいピンクなので明るくてかわいらしい教会だった。

大聖堂の内装も主に白だったけれど、Stadtpfarrkircheと比べると若干地味目立ったような気がする。

大聖堂の向かいにはStadtschlossがある。司教領主の居城だったらしい。現在は市役所としても使われていて、中には戸籍役場(Standesamt)も入っていて結婚の際に使う部屋が見学できたけれど、とても素敵だった。

メインの建物内ではないけれど、ここで

ドイツ語コース

も開催されているようで、『こういうところで勉強できるのなら行ってもいいなぁ』と思った。

歴史的な部屋(Historischen Raeumen)も見学できる。その中でも鏡の間(Spiegelsaal)はとても素敵だった。小さい部屋だけれど、天井まで鏡が貼られ、きらきらと光が反射してとてもきれいだった。



写真の部屋はもともとはダイニングとして使われていたようだけれど、現在はこんな感じでちょっとした講演ができそうな部屋が他にもいくつかあった。

1階には皇帝の間(Kaisersaal)がある。ドアを開けたら

すぐに降りる階段

があり、危うく転ぶところだった。皇帝の間という割にはシンプルだな、と思っていたら、ソクチくんの友達が『これがKaisersaal?

小さくない?

写真(受付でもらったパンフ)で見るともっと大きく見えるけど』というので、パンフの写真を見たら本当に印象が違ってびっくりした。



最後は大聖堂見学前から気になっていた大聖堂隣の教会(Michaelskirche)へ。9世紀前半に建てられた教会で、

中は円形

になっていて、神様の周りに人が集うスタイルで、これが本来の教会のスタイルなんだろうな、と思った。

私のガイドブックにはこの教会については触れられていなかったけれど、この教会がフルダで一番記憶に残った。


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秋の旅行-アイゼナハ編その2

2016-10-24 04:06:55 | 旅行


写真は世界遺産に登録されているヴァルトブルク城(Wartburg)。1067年に城塞として建てられ、その後増築され、現在残る主な部分は1170年に後期ロマネスク様式で建てられた。

見学は英語またはドイツ語のガイドツアーで。内部の写真は別料金(2ユーロ)で撮影可。騎士の間(Rittersaal)や食事の間(Speisesaal)は質素でびっくりした。



写真のエリーザベトの間(Elisabeth-Kemenate)は金色のモザイクで装飾されてキラキラしていた。もちろん、モザイクは城が建築された当初からあったものではなく、1902年から1906年の間に加えられたもので、聖女エリーザベト(heilige Elisabeth)の人生の場面を描いたものらしい。この部屋はもともとはRittersaalと対になっていたらしい。

ガイドツアー終了後は各自展示物を見て回り、ルターシュトゥーベ(Lutherstube)へ。途中の渡り廊下も木製で質素な感じがまたよかった。

Lutherstubeは、ルターが10か月間、聖書の翻訳をした部屋。部屋には暖炉や机が置かれていたけれど、これらはルターが実際に使用したものではなく、ルターやデューラー(画家)と同年代のWillibald Pirckheimerのものだったらしい。

Wartburgには塔もあり、無料で登れたので登ったけれど、

天気が悪すぎ

て眺めは良くなかった。

来年は宗教改革から500年らしく、いろいろなイベントの告知がされていた。Wartburg内では、当時の印刷機(と思われる)ものでルターとWartburgを印刷したものを即売していたけれど、その印刷機には

2017

と書かれていた。来年が本番なのか。

Wartburgはとてもよかったので、また機会があれば訪れたい。
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秋の旅行-アイゼナハ編その1

2016-10-23 04:07:00 | 旅行
アイゼナハに到着したのは午後2時過ぎくらいだった。

大渋滞と運転の荒さ

にびっくりしたけれど、私のガイドブックに「アイゼナハは自動車の街としても知られている」と書かれていてなんとなく納得した。渋滞だったのはシフトチェンジの時間だったのかな。

ホテルに荷物を置いた後、早速散策に出た。アイゼナハはマルティン・ルターが学生時代に住んだ家があることとバッハが生まれた街などとして知られているけれど、まさか

同じ学校(ギムナジウム)

に通っていた(もちろん時代は違う)とは思わなかった。そのギムナジウムの名前は

Martin Luther Gymnasium(マルティン・ルター・ギムナジウム)

だった。ちなみに、ルターは1498年から1501年、バッハは1692年から1695年に通ったらしい(学校の入り口に表示があった)。



ルターの家(Lutherhaus)は木組みの美しい家(写真)だった。中の展示でルターの生涯と業績を知ることができ、キリスト教や聖書に関心のある人にはためになると思う。

ルターの業績は、もちろん聖書をドイツ語に翻訳したことだけれど、当時、すでにドイツ語版の聖書はあったらしい。が、ルターは

誰にでも読めるドイツ語

に翻訳し、この聖書が広く庶民にもいきわたったため、このルター訳の聖書が

近代ドイツ語の基礎

となった。



写真はバッハ一族がかつて所有していたバッハの家(Bachhaus)。写真は築600年以上の建物だけれど、この建物の向かって右側に

モダンな新館

が建っていた。中の展示室も一部モダンでびっくりした。展示は、当時のキッチンや居間などのほか、バッハと同時代の古い楽器が紹介されていてとても興味深かった。特に面白かったのは

バイオリンと(たぶん)トランペットが一体

となっている楽器。普及はしなかったと思うけれど、アイディアが面白いと思った。

その他、クラヴィコードやチェンバロなどの生演奏もあった。1台のオルガンは、空気を送るペダルがオルガンの横にあり、演奏者が自分で空気を送れないので、

観客の1人

がペダルを踏み共同演奏をした。

ショップには音符の書かれた鉛筆や消しゴム、ボールペンなど、普段使いできそうなかわいいグッズも売られていた。

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秋の旅行-クヴェトリンブルク編

2016-10-20 19:33:21 | 旅行


クヴェトリンブルクの旧市街もユネスコの世界遺産に登録されている。クヴェトリンブルクも小さな街で、おもな見どころは旧市街の木組みの家と聖セルヴァティウス教会(Stiftskirche)なので、やっぱり半日くらいあればぐるっと回れる。

私たちが行ったときは天気が悪かったけれど、それでも木組みの家はきれいだった。写真はマルクトプラッツの市庁舎。



Stiftskircheは坂の上にあるので登っていくとレンガ色の街を眺めることができる。

教会の見学には受付で日本語の資料を貸してもらえた。それによると、この教会が建てられたのは

日本では鳥羽上皇の時代

だったらしい。高校時代、もっときちんと日本史の勉強をしておけばよかった。
資料はとても詳しく分かりやすく書かれていた。祭壇横の小さな部屋にも宝物が展示されていた。祭壇に敷かれていた絨毯は受付横の階段で2階に上がった部屋で展示されている。

この教会は、その前に建っていた修道院の再建で、その修道院は

皇帝の血縁者

が開院したため、その修道院は

クヴェトリンブルクから税金を集め、コインを発行できる

特権があったらしい。

この教会には派手ではないけれど庭もあり、バラが咲いていてきれいだった。

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秋の旅行-ヴェルニゲローデ編

2016-10-16 00:48:23 | 旅行


ヴェルニゲローデも木組みの建物がたくさんある。旧東ドイツの時代によく破壊されなかったな、と思う。写真はマルクトプラッツに立つ市庁舎。ゴスラーと同様、小さな街なので、半日強あればヴェルニゲローデ城と街歩きができる。

はずだったのに、私たちは

ランチを含めて3,4時間

の滞在になってしまったので、ヴェルニゲローデ城は今回は泣く泣く諦めた。



マルクトプラッツ周辺の道は、どこに行ってもたいていかわいい街並みを見ることができる。建物がまっすぐでないところがまたかわいい。

今回は街歩きだけに絞ったので、ほぼすべての道を歩きつくしたと言ってもいいくらい。目的を持った見学は、街で一番小さい家(Kleinstes Haus)、一番古い家(Aeltestes Haus)、傾いた家(Schiefes Haus)。Kleinstes Hausは、間口約3メートルの家で、内部は見学可能になっている。1階と2階が見学可能で、2階には人形がたくさんあり、

ひな人形の五人囃子の1人

も飾られていた。

この家に入った時、犬(小型犬)連れの年配のご夫婦も一緒に入った。家の管理人さんと犬連れの奥様の会話。

管理人さん:『犬は抱っこしてくださいね』
奥様:『どうして?』
管理人さん:『以前、2階でおしっこをしてしまった犬がいて、それ以来同じ場所で犬がおしっこをしてしまうんです』
奥様:『(少しイラッとした感じで)あら。うちの子はそんなことはしないわ』
管理人さん:『それでも抱っこしてください。掃除するのは私ですから』

その後も奥様は少し文句を言いつつもしぶしぶ犬を抱っこしたけれど、見学中、ずっと文句を言いっぱなしだった。管理人さんに『抱っこしてください』と言われれば「そういうものだ」と思って抱っこすればお互い嫌な気持ちにならないのに。

Aeltestes Hausは15世紀に建てられたものだけれど、外観もきれいにリノベーション済みで

Ferienwohnung(休暇用に貸し出すアパート)

になっていた。ヴェルニゲローデにはFerienwohnungがかなり多かった。

Schiefes Hausは、17世紀に水車小屋として建てられ、水車を回す水路の水が家の地盤を蝕み、傾いてしまったらしい。実際に見るとかなり傾いているけれど、写真を撮ると傾いているのが

家なのかカメラなのか

分からない。


ヴェルニゲローデでは

3mおきくらいに犬のフン

が歩道にあった。フンがなければもっと印象が良かったのに。

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