自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

敗戦日

2024-08-21 | Weblog
 19日のブログに引き続き昭和20年の新聞ネタ。親父の遺品の中から出てきた、多分9月3日の新聞の断片。
 記事は9月2日の戦艦ミズーリー号での降伏文書調印の写真とその内容など。日本では終戦記念日は8月15日であるけれど、ポツダム宣言受諾は8月14日、天皇のラジオ放送のあった日を終戦としている。
 ドイツ(欧州)では4月30日にヒットラーが自殺したが、ベルリンで降伏文書に署名した5月8日を第2次大戦終結日としている。実は5月7日に仏ランスでも降伏文書に署名しているのだが、ソ連がベルリンでの署名を主張したためだと聞いた。日本の場合、法的には9月2日が戦争終結の日であろう。
 19日、NHKBSの「英雄たちの選択」で放送されていたが、連合軍が日本に降り立つと通告された厚木飛行場には降伏反対派が拠点としていて、比島まで敗戦使節団が乗る飛行機(一式陸攻)を撃墜せんとしており、囮の飛行機まで飛ばしたが、実際洋上で見つかったと。しかし、厚木の戦闘機側が燃料不足で帰投したと言われる。比島からの帰途は一式陸攻の燃料が抜けてしまい、静岡で洋上着陸し、漁船に助けられた、とも。その後、8月30日にマッカサーガ厚木に降り立ち、2日に降伏文書に調印となった。連合軍の計画では、直接軍政を敷き、軍票の準備がされていたが、翌朝実施という時に、深夜の交渉で撤回になったとも。なかなか劇的でこの番組は興味深かった。
(補足すると、白色に塗り替えられた一式陸攻は試験飛行中、厚木の戦闘機に撃たれ穴だらけになったという。使節団は8月19日に比島に向け飛び立ち沖縄で乗り継いで夕刻到着、20日夕沖縄を飛び立ったが、夜間、洋上に墜落、漁船に救われ、浜松飛行場から21日朝帰京し、受け取った降伏文書を届ける。厚木の反乱分子はトップを逮捕され、基地を破壊して逃げたという。なお、基地周辺に潜伏とも。日程は28日調印を31日に3日伸ばしてもらったが、それでも破壊された厚木基地は整備間に合わず、ただ、たまたま来ていた台風のおかげで2日延び、整備もでき、調印は9月2日となったという。)
 
 今日は午前中サイクリング。下庄~忍田橋~北神山~粟加~内多~あの津台 53㎞、10時過ぎ帰宅。
 
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