ハリルホジッチが解任された。
W杯開幕まで2か月しかないのに、という反応が大きく取り上げられていたように思うが、2か月前だろうが、2週間前だろうが、2日前だろうが、たとえ2時間前だろうが、替えるべき状況であれば決断に躊躇すべきではなく、時期は問題ではないと思う。
解任という決断に至った理由としては、直近の国際試合の結果・内容がともに希望が持てないものであったことに加え、選手からの信頼が損なわれ始めている兆候が出てきたことが挙げられている。
それはそれで解任理由としては成立する性質のものであり、重大な要素だとは思うが、気になるのは、はたして、そういった要因で解任することが想定されること、及びその判断基準が、協会とハリルホジッチの間で事前に合意されていたのかどうかだ。
結局、最後は誰かの主観で判断するしかないのだが、それにしても一定の事前コンセンサスが無かったとしたら、恣意的との誹りを避けられないのではないか。
個人的に、最も失望したのは、後任となった西野監督が就任会見で「日本化したフットボール」という概念を打ち出し、メディアや世論もそれに対して肯定的な反応を示していること。
「日本らしいサッカー」「自分たちのサッカー」という、耳触りはよいが何の内容の無いコンセプトを打ち出して世界に挑み、何もできず惨敗した4年前の教訓はどこに行ってしまったのだろうか?
今、日本代表はすごく難しい立ち位置にいる。
アジアで戦っているときは強豪。
だが、ひとたび世界に出ればまだまだ弱小。
欧州のトップリーグで活躍する選手も増えてはきたが、海外勢だけで全ポジション、23人を揃えられるほどの層の厚さはない。
地理的な遠さもあり、選手を集めてチーム作りする機会を得るのも難しいし、アジアでの戦いと世界での戦いとでは求められる戦い方が全く別のものになる。
「俊敏性を生かした、パスで崩すサッカー」などというのはスタイルであって戦術ではない。
相手によって、ポゼッションで圧倒する戦い方も、守りを固めて一瞬のカウンターでチャンスをものにする戦い方も、どちらも使い分けられるようにならなければ、いつまでも今の地位から抜け出せないだろう。
ハリルのやり方が良かったかどうかは別として、「デュエル」「縦に速いサッカー」というのは、日本サッカーが世界と戦うために一皮剥けるためのチャレンジだったのだと思っている。
確かに、それがうまくいっていたとは言えない。
が、うまくいかないからといってまた「日本らしい」サッカーに逃げ込み、たった2か月しか指揮を取らないと思われる指揮官の手に委ねるのでは、4年経って何も変わらなかったのだな、と思わざるを得ない。
そして、ハリルという異分子を取り込んで世界に挑むも、不協和音を克服できず曖昧な判断基準で空中分解してしまった日本代表の姿は、グローバル化だ、ダイバーシティだと掛け声だけは高らかながら、結局は島国気質を克服できない日本の企業や政治や社会の姿と重ね合って見えてしまうのである。
W杯開幕まで2か月しかないのに、という反応が大きく取り上げられていたように思うが、2か月前だろうが、2週間前だろうが、2日前だろうが、たとえ2時間前だろうが、替えるべき状況であれば決断に躊躇すべきではなく、時期は問題ではないと思う。
解任という決断に至った理由としては、直近の国際試合の結果・内容がともに希望が持てないものであったことに加え、選手からの信頼が損なわれ始めている兆候が出てきたことが挙げられている。
それはそれで解任理由としては成立する性質のものであり、重大な要素だとは思うが、気になるのは、はたして、そういった要因で解任することが想定されること、及びその判断基準が、協会とハリルホジッチの間で事前に合意されていたのかどうかだ。
結局、最後は誰かの主観で判断するしかないのだが、それにしても一定の事前コンセンサスが無かったとしたら、恣意的との誹りを避けられないのではないか。
個人的に、最も失望したのは、後任となった西野監督が就任会見で「日本化したフットボール」という概念を打ち出し、メディアや世論もそれに対して肯定的な反応を示していること。
「日本らしいサッカー」「自分たちのサッカー」という、耳触りはよいが何の内容の無いコンセプトを打ち出して世界に挑み、何もできず惨敗した4年前の教訓はどこに行ってしまったのだろうか?
今、日本代表はすごく難しい立ち位置にいる。
アジアで戦っているときは強豪。
だが、ひとたび世界に出ればまだまだ弱小。
欧州のトップリーグで活躍する選手も増えてはきたが、海外勢だけで全ポジション、23人を揃えられるほどの層の厚さはない。
地理的な遠さもあり、選手を集めてチーム作りする機会を得るのも難しいし、アジアでの戦いと世界での戦いとでは求められる戦い方が全く別のものになる。
「俊敏性を生かした、パスで崩すサッカー」などというのはスタイルであって戦術ではない。
相手によって、ポゼッションで圧倒する戦い方も、守りを固めて一瞬のカウンターでチャンスをものにする戦い方も、どちらも使い分けられるようにならなければ、いつまでも今の地位から抜け出せないだろう。
ハリルのやり方が良かったかどうかは別として、「デュエル」「縦に速いサッカー」というのは、日本サッカーが世界と戦うために一皮剥けるためのチャレンジだったのだと思っている。
確かに、それがうまくいっていたとは言えない。
が、うまくいかないからといってまた「日本らしい」サッカーに逃げ込み、たった2か月しか指揮を取らないと思われる指揮官の手に委ねるのでは、4年経って何も変わらなかったのだな、と思わざるを得ない。
そして、ハリルという異分子を取り込んで世界に挑むも、不協和音を克服できず曖昧な判断基準で空中分解してしまった日本代表の姿は、グローバル化だ、ダイバーシティだと掛け声だけは高らかながら、結局は島国気質を克服できない日本の企業や政治や社会の姿と重ね合って見えてしまうのである。