<教科書検定>小学校、ページ増 どこまで教えれば…「大転換」に教師不安(毎日jp)
この記事に書かれていることに、今の日本社会が抱える病理が端的に表れているように思います。
神奈川県内の公立小学校に勤務する女性教諭(29)は不安を隠そうとしない。「教科書の内容はすべて大事だという意識でやってきた」。要点だけを教えることを求められても、取捨選択する自信がない。「結局、中途半端になってしまわないだろうか……」
29歳といえば、6~7年のキャリアがあるはず。
にも拘わらず、決められたことを決められた通りにやるだけで、何が要点であるかを自分で選択することすらできない。
まあみんながみんなこんなだとは思わないけど、こういう人間が教師をやっている。
そしてこういった教師を生み出したのも日本の教育である。
指導法の選択を教師に任せることを、不安に思う保護者は少なくない。「教科書をやっていてくれれば安心」という意識もある。埼玉県朝霞市立朝霞第十小の霜村三二教諭(60)は「教科書をきちんとやらないと、親から批判される」と指摘する。
ここにも大きな誤解がある。
「これだけやってれば安心」なんてものはこの世に存在しないのに。
お上がそれを与えてくれて、それを真面目にこなしていれさえいれば幸せになれるという幻想。
20世紀の高度成長期、そしてポスト高度成長期までならそれでよかったかもしれない。
グローバル化が進んだ21世紀ではそうはいかない。
決まったことを愚直にこなし、他人と同じことができるだけでは、人件費の安い新興国の人々に対して勝ち目がない。
好むと好まざるとに拘わらず、「自分にしかできない」付加価値が無ければ幸せになれない時代。
そのことに気づいている人と、気づかない(或いは目を背けてる)人では大きな差が出てしまう。