4月11日からご紹介しています「中国地方の旅」シリーズは、昨日から近畿地方のご紹介となっていますが、タイトルは引き続き「中国地方の旅」とします。
今日は京都府京丹後市の「丹後松島と丹後半島の夕日」をご紹介します。
「丹後松島」は日本三景の一つ、宮城県の「松島」に似ていることから、こう呼ばれるようになりました。
リアス式海岸が自然の美を作り出しており、「京都自然二百選」にも選ばれているそうです。
・仙台の「松島」とは趣を異にする、リアス式海岸の美しさを持っている「丹後松島」の景観です。
「丹後松島」を訪れたのは4月8日で丁度桜が満開でした。日本海のリアス式海岸の景観と桜の花見が同時にできる最高の丹後路でした。
・満開の桜が見事な丹後松島です。
「間人(たいざ)の立岩」
柱状玄武岩がそそり立っているところから「立岩」と呼ばれるようになったそうで、日本でも数少ない自然岩の一つだそうです。
「立岩伝説」
用明天皇の第三皇子・麿子親王が鰾古、軽石、土車という3匹の鬼を退治したとき、二匹目は殺し、土車だけは見せしめのためにこの大岩に封じ込めたと言われ、 今でも風の強い、波の高い夜などは鬼の号泣する声が聞こえると伝えられているそうです。
・間人の立岩です。
「間人(はしうど)」皇后ゆかりの丹後半島「間人(たいざ)」からの夕日は素晴らしいといわれています。
この素晴らしい夕日が水平線に隠れる様子を撮影しましたのでご堪能ください。
・18時26分太陽が水平線に近づいていきます。
・上記から1分後の18時27分には水平線に接してきました。
・更に1分後には太陽の1/3位が水平線に隠れました。
・18時29分には太陽の半分が水平線に隠れました。
・18時30分、太陽は殆ど隠れてしまいました。この後、間も無く日没となりました。
この日は、丹後町間人(たいざ)の丹後温泉「はしうど荘」に宿泊しました。
この旅館で、旅館の名前になっている「はしうど」と難しい読み方の「間人(たいざ)」の謂れについて聞きましたのでご紹介します。
「はしうど」とは、第31代用明天皇(在位:585年10月~587年5月)のお后、「間人(はしうど)」皇后のお名前だそうです。そして、この「間人(はしうど)」皇后は聖徳太子の母君でもあります。
「間人(はしうど)」皇后は曽我氏と物部氏の争いを避けるためのに、この地で暫く滞在されていたそうです。
そして、平和が訪れた後、再び大和の国に戻られる際に、大変お世話になったこの地の人々に自分の名前を贈りました。
しかし、住民の人たちは「間人(はしうど)」と「呼び捨てにするなど畏れ多い」ということで、皇后が退座されたことに因んで「間人(はしうど)」を「たいざ」と呼ぶようになったそうです。