昨日は京都の「葵祭」がありました。そこで今日は「葵祭」について調べました。
「葵祭」は、正式には「賀茂祭」と言い、京都市の賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ:下鴨神社)と賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ:上賀茂神社)で、5月15日に行われる例祭で、石清水八幡宮の南祭に対し北祭とも言われています。
「名前の由来」
「賀茂祭」が「葵祭」と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7年)に祭りが再興されて後、当日の内裏宸殿の御簾(みす)をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、全て葵の葉で飾るようになったことからといわれています。
この「葵祭」は平安後期の装束での行列が有名であり、、7月に八坂神社で行われる「祇園祭」、10月に平安神宮で行われる「時代祭」と並んで京都三大祭の一つと言われています。
「祭りの起源と沿革」
今から約1400年前の欽明天皇の567年、国内は風雨が激しく、五穀が実らず、凶作と疫病に見舞われました。
当時賀茂の大神の崇敬者であった、伊吉の天若日子神(あめのわかにこのかみ)に占わせたところ、賀茂の神々の祟りであるということで、若日子は勅命を仰せつかって、4月の吉日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人には猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったと伝えられています。
この祭りは、819年(弘仁10年)には国家的行事になったそうです。
・路頭の儀。腰輿(およよ)に乗る斎王代(ウィキペディアより)
「路頭の儀(ろとうのぎ)」
葵祭はかつては「勅祭」と呼ばれ、勅使が下鴨、上賀茂両神社で天皇の祝詞を読み上げ、お供えを届けるのが目的の祭りで、天皇が京都にいたときは、行列の飾り馬と出立ちの舞を見学したりしていたそうで、この行列を「路頭の儀(ろとうのぎ)」といいます。
路頭の儀(ろとうのぎ)では、平安時代の衣装を身にまとった人々が牛車と共に京都御所から下鴨神社を経て上賀茂神社まで約8㎞の道のりを行列し、行列が上賀茂神社、下鴨神社に到着すると、勅使の御祭文の奉納、東遊舞の奉納などの社頭の儀が神前で行われます。
葵祭では斎王代が主役と思われがちですが、祭りの主役は勅使代だそうです。
斎王代とは、賀茂神社に巫女として仕えるために皇室から差し出された内親王または女王のことです。