らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

葉隠に見る赤穂事件

2016-12-15 | 雑学

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」 
この有名な一節をお聞きになったことがあると思います。
これは江戸時代中期(1716年頃)に肥前国(現佐賀県)鍋島藩士・山本常朝(やまもとじょうちょう)が武士としての心得を書いた、『葉隠(はがくれ)』という書物の一節です。
しかし一般的に、この「死ぬこと」の部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈されてしまっている事が多いようですが、葉隠は決して死を美化したり自決を推奨する書物ではありません。

葉隠の記述は、現代で言えば、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、ビジネスマナーの指南書とか礼法マニュアルに近い内容なのだそうです。

昨日の12月14日はご存知、赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日でした。
314年前の出来事が現在に至るまで称賛されている赤穂事件ですが、この葉隠れの中にはやや批判的に書かれているそうです。

即ち、赤穂事件について、「敵を討つこと延々なり」、主君・浅野長矩の切腹後、すぐに仇討ちしなかったことは遅すぎるというのです。
何故なら、「もし、その内に吉良殿病死の時は残念千万なり」。「もたもたしている内に吉良上野介が病死でもしたら元も子も内ではないか。」
すぐに行動を起こさなければ、吉良義央が病死した時には仇を討つ機会が無くなる恐れがあるというのです。
更に、浪士達が吉良義央を討ったあと、すぐに切腹しなかったことを落ち度と批判しています。
その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、長崎喧嘩のように無分別に相手に突っかかることはできないのである」と評しているのです。

手厳しいですね。
毎年この時期になると、赤穂浪士や忠臣蔵の古い映画やドラマがテレビで放映されていますが、どれを観ても私たち日本人の心に響くものがあります。
何故なら、本懐を遂げるまでの1年9ヶ月の間、感動を与える劇的な要素が満ちていたからであります。
だが、葉隠の武士道からすれば、それは見事本懐を遂げた後での結果論であり、批判に値すると言うことは当然なのかもしれません。

同じ武士道でも、鍋島藩の山本常朝と深謀遠慮の大石内蔵助の武士道に若干の隙間があったのでしょうか?