1582年に織田10万の大軍を迎え撃とうとした、勇敢な岩櫃城下の人々は、それから380年の後、今度は建設省の侵攻に直面し、再度、勇気をもって立ち向かいました。しかし、建設省=自民党の連合軍は、織田=徳川連合軍より強かった・・・・。いや強いというか、やり方が陰湿だったのです。
巧妙な分断工作によって、籠城側の結束は乱され、ダムを受け入れなければ公共事業をしないという形で兵糧攻めにされ、精神的にも傷つけられ、刀は折れ矢は尽きはて、遂には建設を受け入れざるを得なくなりました。
自分たちの人生をいいように弄んできた国に対して、地元の人々が怒るのももっともです。しかし、子子孫孫のことを考え、「造らない」という勇気ある選択をすべきです。このような歴史と文化と自然が豊かな誇りある景観を、ダム湖の底に沈めてはなりません。失われた景観は、修復不可能なのです。 . . . 本文を読む