大阪城における真田幸村と江戸城における真田信之、何かパラレルになっているように感じられるのは私だけであろうか?
大坂城の最大の弱点は惣構えの外に広がる南側の台地であった。この台地に真田丸を構築して鉄壁の防御を敷いたのが真田幸村である。大坂冬の陣では、真田丸のさらに外側にある管制高地である篠山をめぐって攻防が繰り広げられていた。幸村は、罠を仕掛けて篠山をわざと敵に明け渡し、挑発して真田丸を攻撃させ、大損害を与えたのだった。
江戸城の惣構えである外堀の工事が行われたのは、大坂の陣から20年の後、徳川家光の治世である寛永年間であった。江戸城の最大の弱点である西側台地の掘削工事を、あえて真田幸村の兄の信之に割り振った公儀側の思惑は何だったのであろうか? . . . 本文を読む
デヴィ夫人は「この映画で真実が世界的に広まる、ということにおいて、私は本当に嬉しくて、心より感謝をしております」と述べている。私もこの映画を観た感想を一言で言えと言われたら、このデヴィ夫人の感想と全く同じである。さらにデヴィ夫人のコメントがすごい。安倍晋三首相の大叔父であるところの佐藤栄作元首相が、「自分のポケットマネーから600万円を拠出して、インドネシアで虐殺を繰り返した暴徒たちに資金援助していた」という驚愕の事実を暴露し「そういう方が後にノーベル平和賞を受けた、ということに、私は大変な憤慨をしております」とも・・・。デヴィ夫人、都知事選で田母神さん応援している場合じゃないでしょう。1965年の殺戮を生き抜いたサバイバーとして、この事件の真相解明に取り組むことが、亡き夫への何よりの供養なのではないでしょうか? . . . 本文を読む
現在の日本では、国会議員に立法実務能力が無いことから、じつは官僚依存の「議員立法」を含めて、ほぼ全面的に行政官僚による法案立案によって国家が動かされています。赤松小三郎の政体構想はそうではなく、公選議会が立法活動を介して日常的に行政機構をそのトップを含めて動かしてゆくという、おそらく、世界でいまだ実現されてはいないであろう民主主義的な政治体制をめざす、射程の長い政治理念を背景にしたものであると思います。 . . . 本文を読む
物理学者が、国交省がダム建設の根拠として便利に使う貯留関数法は科学ではなく「魔術」であると断言している。国交省の資料によれば、例えば八ッ多場ダムの建設される吾妻川流域では、過去最大洪水から求めた場合K=35.2、P=0.3であるのに対し、過去の中規模洪水から求めた場合K=14.8、P=0.64と全く違った値になる。 対象洪水の取り方で2倍も数値変わるような値を「定数」と呼ぶことが可能であろうか。その上、冨永論文にある貯留関数法が有意味になるためのKとPの関係性は満たしていない。八ッ場ダム建設のためにダムの効果を大きく見せかけるためのパラメータ操作と考えると、この不可解な数値を整合的に説明可能になる。 . . . 本文を読む
岡本芳美先生の『河川管理のための流出計算法』(築地書館、2014年)。まず表紙の写真が本当にすばらしく(画像参照)、この美しい日本の河川を守らねばならないという著者の決意がひしひしと伝わってきて、身が引き締まる思いがした。
国交省がダム建設を含む河川計画を策定する際の基本モデルとしている貯留関数法に代わって、著者が40年かけて開発してきた誤差の少ない流出解析が可能なマルチ・タンク・モデル法を解説書したものが本書である。どれだけ精密かと言えば、国交省が八ッ場ダム建設の根拠とする貯留関数法モデルは利根川上流域を39分割しているのに対し、岡本先生のマルチ・タンク・モデルは利根川上流域をじつに8400分割して計算している。これまで国交省は、貯留関数法の欠陥が明らかになると自分たちが困るため、研究に予算を付けず、オルタナティブな計算手法の開発そのものを迫害し、焚書坑儒を行ってきたと。日本では、その欠陥ゆえにダム建設のための数値をねつ造するのに最適な手法であるためか、官・業・学癒着体制のもとで、その欠陥を徹底的に隠蔽し、それこそシャーマンが御宣託でも出すような大真面目な顔をして、その計算結果のみを国民に押し付けてきた。 . . . 本文を読む
私は下からの民定憲法であれば改憲を否定しない。企業・団体が献金を通じて政治をコントロールしようとするのを排除すること、政策を決定するのに責任を持つ人々が企業・団体からカネをもらうという利益相反行為を禁止すること、これらは憲法に盛り込まれるべき規定だと思う。企業と官僚と政治家と学者の不適切な利益相反関係、いまやそれこそが日本の最大の問題だからである。
グローバル大企業による国家のコントロールを可能にしている「新自由主義」そのものを憲法で「廃棄する」と宣言している国があるのをご存じであろうか? 2009年に制定されたボリビア憲法は「我々は新自由主義国家を廃棄する(we have left the neo-liberal State in the past)」と憲法の前文で謳っている。さらに、人間が生きるために欠かすことのできない、水、教育、医療、住宅(=宇沢先生の言う社会的共通資本)は全ての人々がアクセス可能となるよう共同で管理すると謳っている。
生きるために必要な生活必需的な財とサービスにはすべての人民がアクセス可能となるよう共同で管理するという宣言は、万物に私的所有権を与えて市場機構を通じて配分すべきだという市場原理主義の思想への明確な拒絶宣言である。 . . . 本文を読む
赤松小三郎の憲法構想は、天皇に議会の解散権も拒否権も与えられていないという点で、私擬憲法の中で最も民主的とされる植木枝盛の憲法構想よりも、さらに議会の権限が強い民主的内容になっている。基本的人権や言論、集会、結社の自由など国民の権利規定に関しては、さすがに五日市憲法や植木枝盛の憲法案が詳細である。赤松小三郎は国民の権利に関してはあまり多くを述べていない。しかし赤松建白書の第三条には「国中之人民平等に御撫育相成、人々其性に準じ充分を尽させ候事」とある。これは簡潔な文章の中にも、すべての国民が法の下に平等であること、職業選択の自由があり、個々人の好みと能力に応じてそれぞれ自己実現する権利があることを高らかに謳い上げているのである。 . . . 本文を読む