代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

赤松小三郎「御改正口上書」と坂本龍馬「船中八策」の比較 -その3

2010年03月21日 | 赤松小三郎
 さて、いよいよ次の箇所がすごい。以下の箇所は、議会こそが国権の最高意志決定機関であり、唯一の立法機関であることを明確に述べる。議会の権限は、天皇の権限より強い。「主権在君」の「明治憲法」よりも、戦後に制定された「主権在民」の「日本国憲法」の内容にはるかに近いのである。慶応3年にこれを主張していたのは、本当に驚くべきことである。  赤松は、「天皇の意見と議会の意見が異なる場合にはどうすればよいの . . . 本文を読む

赤松小三郎「御改正口上書」と坂本龍馬「船中八策」の比較 ―その2

2010年03月21日 | 赤松小三郎
 議会(議政局)は、上院(上局)と下院(下局)に分けられる。上院は貴族院、下院は衆議院に相当する。小三郎が、定数130人の下院から先に書きはじめ、定数30人の上院を後で論じていることは、衆議院に相当する下院を重視している姿勢の表れであろう。  定数130人の衆議院である下院は、「入札にて選抽」、つまり普通選挙によって選出される。選挙区は、「諸国及び隣国」となっている。これは基本的に各藩を選挙単位とするが、人口に応じて選挙区割をするため、数万石程度の小藩は、いくつか束ねて一つの選挙区とするということである。 . . . 本文を読む

赤松小三郎「御改正口上書」と坂本龍馬「船中八策」の比較 ―その1

2010年03月21日 | 赤松小三郎
 この間、赤松小三郎に関する記事を連続して投稿し、赤松小三郎が慶応3年5月に越前福井藩の前藩主で幕府顧問の松平春嶽に提出した「御改正之一二端奉申上候口上書(以下、御改正口上書)」が、坂本龍馬の「船中八策」よりも早い、日本で最初の、選挙による民主的議会政治の建白書であり、もっと評価されるべきであることを論じてきた。  現在、ネットで検索しても、赤松の「御改正口上書」を読むことはできない。そこでこの . . . 本文を読む

【宣伝】 新作DVD 「海と森と里 -つながりの中に生きる-」

2010年03月17日 | 治水と緑のダム
すべての生き物の命は、自然の巧みな循環に支えられています。人が手を加えなくても更新を繰り返す森、森の落ち葉を分解する微生物、分解によって発生する栄養分を運ぶ川、その水が育む稲や汽水域のプランクトン、プランクトンを食物連鎖の底辺として命をつなぐ魚や貝――。川を上る鮭は、海に溢れすぎれば害になる栄養分を陸に返しています。 しかし、この循環は断ち切られてきました。干潟を埋め立てた土地に立ち並ぶ工場、川や海を固めるコンクリート、流れをせき止めるダムや堰――。時代はそれを「開発」と呼びました。木材の生産地に変えられた山は、外材の輸入によって荒廃に追い込まれ、田畑には農薬や化学肥料が撒かれました。海にも、山にも、里にも、生産性と効率の論理が持ち込まれたのです。 . . . 本文を読む

赤松小三郎に光を ―その3

2010年03月11日 | 赤松小三郎
 赤松小三郎はとくに薩摩藩のみに英国式兵制を伝授したわけではなかった。薩摩塾とは別に、私塾の「宇宙堂」を開いており、そちらには越前、肥後、会津、鳥取などの諸藩から、何と新選組の隊士まで聴講に来ていたという。まさに赤松塾は「呉越同舟」状態だった。塾の名前の「宇宙堂」は、大宇宙の中のチッポケな惑星の中で諸国が対立し、さらに狭い国の中で幕府だ朝廷だなどと争っているのはじつに不毛なんですよという、赤松のメッセージが強く込められている。「宇宙」の中ではみな平等。だから宇宙堂では、薩摩も肥前も会津も新選組も分け隔てなく教える。 . . . 本文を読む

赤松小三郎に光を ―その2

2010年03月11日 | 赤松小三郎
 赤松小三郎は、幕府と朝廷と諸藩の対立を、「民主的議会制度」という高次の政治システムの導入によって解消し、不毛な内戦の悲劇を避けようとした。そのため、暗殺という手段により、その思想の抹殺が図られた。赤松の構想を引き継いで、その実現を目指したのが坂本龍馬であった。赤松の思想が邪魔で抹殺しようとした人々にとっては、龍馬の思想も同様に邪魔であり抹殺されねばならないことになる。 . . . 本文を読む

赤松小三郎に光を ①

2010年03月05日 | 赤松小三郎
 前々回の記事で書いた赤松小三郎についてもう少し論じたい。  赤松小三郎暗殺事件の真相を明らかにし、赤松の業績を正当に評価し、その名誉を回復することは、単に、歴史オタクの「埋もれた人物発掘」というような次元の話にはとどまらない。日本という国の近代の「始まりの始まり」を問い直し、近代日本が原罪として背負ったもの ―それは結局のところ、靖国神社の建設と愚かな15年戦争へとつながってしまうところの原罪で . . . 本文を読む