塩沢由典先生のコメントです:『リカード貿易問題の最終解決』で目指したのは、政策と切り離して、どういう状況のもとに貿易の利益が得られるのか、どういう状況では逆に不利益が生ずるのか、きちんと議論・分析する枠組みを作り上げることでした。たとえば、完全雇用が成立するなら、貿易は貿易をしない場合より、ひとびと(この場合、労働者)に利益があるが、ただ自由化するだけで総需要が増えないと失業が生まれることが証明できます。こうしたことは、リカード貿易理論の枠組みの中できちんと言えることです。
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「真田太平記」はたしかに傑作である。しかし「真田太平記」を超えるドラマを作ることは可能であるし、作って欲しい。池波正太郎は、わりと歴史学者による平板な歴史解釈を踏襲している。歴史のリアリティを追求するだけで、ドラマは格段に面白くなるだろう。
たとえば「真田太平記」では、第二次上田合戦で徳川秀忠軍を破った後、真田昌幸は上田城から一歩も動かず何の軍事行動も起こさないという設定になっている。これは間違いである。西軍のシナリオはこうだった。上杉軍は越後に侵攻して旧領を奪還する。真田軍は川中島の森忠政を倒す。そうなれば上杉=真田合同軍の関東進撃が可能になる。真田昌幸の目標は江戸城攻めだったのだ。 . . . 本文を読む
「専門家は基本的にインサイダーである」ということは、学問とそれが可能にする政策との関係を考えるときには、つねに考えに入れるべきことですね。日本国際経済学会の第70回全国大会(2011年10月22日・23日、慶応大学三田キャンパス)の第一日目にあった大会シンポジウムです。TPP問題に火がついたばかりで、シンポジウムの主題もTPPでした。じつはわたしはこのシンポは最後の部分しか聞いていなのですが、農業経済が専門という研究者が国際経済の専門家はほとんどがTPPに賛成なのはなぜですかと、悲嘆に近い声をあげられていたことを思い出します。全体の流れは知りませんが、国際経済学の専門家はTPP推進で当然という人が圧倒的多数だったのでしょう。 . . . 本文を読む
幅広い教養を持ち、科学的リテラシーを持っていれば、専門家の虚言を見破ることは可能である。既得権益のしがらみに属さず、幅広い教養があって、事の是非を判断できる教養人が社会には必要なのである。しかし、日本の大学では教養教育が軽視されるようになり、いわゆる「専門バカ」が増えてしまった。専門家のモラルも低下し、それをチェックできる教養人も減っているように思える。 . . . 本文を読む
当ブログのコメント欄で、複雑系経済学のパイオニアである塩沢由典先生と珪藻類研究者であるたんさいぼう影の会長さんが、すばらしい議論を展開してくださっています。コメント欄に留めておくのはあまりにももったいないので再掲させていただきます。
細分化・硬直化・タコツボ化した専門家が業界の既得権益にしばられて自由な発想も妨げられる傾向もある中で、その停滞を打開するためのアマチュア研究者ないしアマチュア精神 . . . 本文を読む
学者というのは自分の能力に対する自覚もないままにプライドだけ高い人々が多いです。そういう学者に限って研究も大したことはありません。素人から、狭い学者コミュニティが見落としていた盲点について本質的な提起がなされた場合、ばつが悪いためか、「そんなことは自明である」とか、「学問の俎上には乗らない話だ」・・・・といった対応を取ってしまう場合が多いのです。
実際、そういう対応をされた憲法学者の方もおられたようです。本当に優秀な学者ならば、素人からの本質的な提起に対して、自らの不明を恥じ、その問題に誠実に対応しようとするものです。
薩長公英さんの提起に対して、誠実に「その通りだと思う」と回答して下さった議会制度研究者の方もいたそうです。私も知人の議会政治研究者に赤松小三郎のことを伝えたことがありましたが、「いやー、議会政治を研究しているのに全く知りませんでした」とすごく驚いていました。そうした誠実な対応を取れる方が、学問を前に進められるのです。 . . . 本文を読む
新古典派経済学においては、市場均衡と最適な資源配分という信仰を正当化する目的に沿って、その都合に合うような数学モデルを構築してきた。それに対して宇沢の場合、新古典派モデルの現実との乖離を批判し、市場経済が生み出す受給ギャップの拡大という不均衡や、低所得者の増加による社会的不安定性という現実に存在する問題点を説明するために数学モデルを使ってきた。
宇沢は、農産物のような特質をもつ財を、市場機構を通した配分に全面的委ねてはいけない理由も数学的に説明している。農産物は生活必需性が高く、需要および供給面の双方の価格弾力性が低い。農産物は需要も供給も、工業製品に比べると相対的に硬直的で、価格変化に対してそれほど大きく変動することはない。宇沢は、生活必需性が高く需要および供給双方の価格弾力性が低いという特質を持つ財と、需要・供給双方の弾力性の高い財という二財を二つの生産要素で生産するという二財・二生産要素モデルの動学的考察から、両財を同列に扱って市場機構を通じた配分に任せると、最低限の生活を営むことのできない人口比率が増大し社会的不安定性に帰結することを数学的に示している。 . . . 本文を読む
宇沢先生がシカゴ大学時代に撒いた反市場原理主義の種は、アメリカでも育っているといえるのかも知れない。
また、つぎのようにも言えるのではなかろうか。「この間、小泉構造改革を応援し、TPPを推進するなど、先頭に立って日本の市場原理主義化の旗を振ってきた日本経済新聞の中にすら、市場原理主義に懐疑的な記者が存在している背景にも、宇沢先生の哲学の影響がありそうだ」と。東大時代の宇沢先生の門下生の中には、遺憾ながら、現在の行動にはとても賛同できない方々が多い。そこへ行くと米国時代の宇沢門下生であるスティグリッツ教授は本当にすばらしい。TPPなど「現代のアヘン戦争」とまで呼んでいる。いわく「TPPによって、ジェネリック医薬品(特許切れの後発医薬品)の導入はさらに困難となり、医薬品の価格は上がる。これは最貧国にとって、単純に金を企業の金庫に移すという話ではない。何千人もがムダ死にするということだ」と。
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