古民家に取材に行くと、やはり和室から縁を、
その先の庭を望むようなアングルでたたずみたくなる。
どうも、わたしだけの思いこみのような気もするが、
こういう空間の中で、ゆったり流れる時間を楽しみたいと思うのだ。
なぜか、わからないけれど、
こうした時空間が、日本的な感覚世界の原点のような気がします。
いろいろな地方に行って、いろいろな古い家をみるけれど
みな、こういう景色が見られる神聖空間を
建物の中に持っています。
庭を楽しむ、最高のロケーションを最大のもてなしとして設計している。
ということなのでしょうね。
こうした眺めの中で、賓客をもてなし、心を通わせる時間を共有する
それが、わたしたちの歴史が育んだ生活文化ではないか
日本人と住まいの関係で重要な要素だと思います。
というような、想念が浮かんできますが、
こういう場所に巡り会うと、単純に、
腰を落ち着けて、まず、茶でも飲んでいたくなる。
規則的な畳の折り目をかぞえたり、障子の枠を上下、数えたり
屋根庇から落ちる陰影の移ろいをぼんやり楽しんだり
している、そんな時間を過ごしたくなります。
そして、こういう空間が
あたたかくあってほしい、というのが
北方日本に暮らす、わたしたちのシンプルな願いなんです。
こういう空間にいたい、でも、こういう空間を楽しめるのは、ほんの夏場の一時、
というのがこれまでの住宅建築技術だったのですね。
その先の庭を望むようなアングルでたたずみたくなる。
どうも、わたしだけの思いこみのような気もするが、
こういう空間の中で、ゆったり流れる時間を楽しみたいと思うのだ。
なぜか、わからないけれど、
こうした時空間が、日本的な感覚世界の原点のような気がします。
いろいろな地方に行って、いろいろな古い家をみるけれど
みな、こういう景色が見られる神聖空間を
建物の中に持っています。
庭を楽しむ、最高のロケーションを最大のもてなしとして設計している。
ということなのでしょうね。
こうした眺めの中で、賓客をもてなし、心を通わせる時間を共有する
それが、わたしたちの歴史が育んだ生活文化ではないか
日本人と住まいの関係で重要な要素だと思います。
というような、想念が浮かんできますが、
こういう場所に巡り会うと、単純に、
腰を落ち着けて、まず、茶でも飲んでいたくなる。
規則的な畳の折り目をかぞえたり、障子の枠を上下、数えたり
屋根庇から落ちる陰影の移ろいをぼんやり楽しんだり
している、そんな時間を過ごしたくなります。
そして、こういう空間が
あたたかくあってほしい、というのが
北方日本に暮らす、わたしたちのシンプルな願いなんです。
こういう空間にいたい、でも、こういう空間を楽しめるのは、ほんの夏場の一時、
というのがこれまでの住宅建築技術だったのですね。