ヒロヒコの "My Treasure Box"

宅録、DAW、ギター、プログレ、ビートルズ、映画音楽など趣味の四方山話

追悼!キース・エマーソンとジョージ・マーティン~その2

2016年05月09日 | ザ・ビートルズ
 ジョージ・マーティンが第5のビートルズと言われていた人物なのはここで触れるまでもない。3月9日に亡くなった時、もう90歳だったとのこと。そして、彼について4月13日付け北海道新聞が大きく取り上げている。和久井光司氏の追悼寄稿文に加え、マーティン氏と北海道の関わりについて述べられている。

 それによるとビートルズのプロデュース以外にプロデューサーやエンジニアを派遣する会社AIRを設立し、その後カリブ海の島にAIRスタジオを創設するなど経営者としての手腕を発揮した彼は、実は北海道とも大きな関わりがあった。AIRスタジオが89年にハリケーンにより被害を受け閉鎖に追い込まれ、その時無事だった機材一式がマーティン氏の手により札幌南区の芸術の森に建てられた「ファンハウス札幌スタジオ」に提供されたのである。スタジオの内装に用いられた寒冷地の松や札幌軟石の効果で「バランスが最高だ」とも語っていたそう。完成したスタジオに実際にマーティン氏も訪問していたのだ。この事実はこの記事を読むまで知らなかった。5人目のビートルズが札幌の地を踏んでいた、ファンとしてはとても喜ばしいことだ。そしてこのスタジオは今「芸森スタジオ」と変わり、昨年10月にここでも紹介した大貫妙子&小松亮太のアルバムTINTなど名作が録音されている。あのアルバムもとても音がよい感じがした。なるほど、そういうことだったのか、と妙に納得した私である。亡きジョージ・マーティン、札幌の音楽文化に多大に貢献してくれた。ありがとう、ジョージ!

 以上、二人の音楽偉人を追悼し、次の話題に触れようと準備していたら、まさにその人の訃報が届いた。冨田勲氏が亡くなったのである…。