つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡中央銀座商店街。

2010年10月04日 06時36分14秒 | 日記
きのう、津幡の中心街で「どまんなかフェスタ2010」が開催された。
「おやど橋」周辺には飲食の露店が並び、
スガイ書店のある「津幡交差点」から、舟田味噌店近くの「庄南交差点」まで
およそ300メートルを歩行者天国にし、チーム対抗の「リレーマラソン」が行われた。
「今日の一枚」は、そのレースのスナップである。

最高気温は27度…久しぶりの夏日となり、しかも時折雨がパラつく、蒸し暑い一日。
走るにはあまりいいコンディションとは言えないが、
沢山のランナーが健脚を競い、沿道には声援を送る人たちが大勢集まった。
正直、この道にこれだけの人出があったのは久しぶりの事ではないだろうか。
日本各地で、商店街の空洞化が進んでいるが、津幡町も例外ではない。
シャッターを下ろしたままの店。
以前、投稿した通り、建物が取り壊され存在もなくなってしまった店。
頑張って営業を続けている店。
いろいろある。
こうなってしまったのには、もちろん理由があるだろう。
僕はこうした分野の専門家ではないので、理論的に語ることはできないが、
「便利のもたらす弊害」と無縁ではないと思う。

全て【昔と比べて】という前提で考えてみると…
@道路が整備され他の地域へのアクセスが便利になった。
@自動車が普及し、移動が便利になった。
@大資本の郊外大型店が増え、商品選択・価格とも選択肢が増え便利になった。
@インターネットによる流通革命が起こり、日本中・世界中から物が買え便利になった。
@生活サイクルが細分化し、買い物に充てる時間も画一的でなくなった。
 ⇒そのニーズに合わせた24時間営業などの多彩な店舗が増え便利になった。

これらの「便利」が商店街の空洞化の要因になっているのではないだろうか?
だが、これらの便利がなかったとしても、人は生きていけたのだ。
無論、商店街の努力不足や後継者不足、景気の衰退など他にも要因はあるだろう。
だが、地域で生産し、地域で消費して、お金を回し支え合っていた時代が確実にあった。
そして、その時代…かつて僕が見ていた賑やかな「津幡中央銀座商店街」の姿は、
かなりのノスタルジックと共に、楽しげに脳裏に甦る。

「どまんなかフェスタ」では、活気溢れる往時のメインストリートの空気が感じられた。
コメント
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