つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

曇天の下、津幡を見つめる金次郎。

2010年10月16日 10時36分22秒 | 日記
「今日の一枚は、
津幡町立・井上小学校の校庭に建つ「二宮金次郎」像である。

この薪を担いで本を片手に歩く「二宮像」は、
おそらく日本中の小中学校にあるはず。
これだけ普及した理由…一説には、
明治天皇がたいそう気に入ったのをキッカケに、
それを知った愛知県・岡崎の石屋、富山県・高岡の銅器製造業者が
大キャンペーンを展開。 一種のブームになったんだとか。
かつて、僕の母校・津幡小学校…
校舎正面の前庭、鯉が泳ぐ池の畔にも建っていた。
…が、いつの頃からか分からないが、現在、見慣れたシルエットはなく、
石組みの台座を残すのみである。

幼名・金次郎少年が成長した後の名前は「二宮尊徳」。
江戸後期の農政家・思想家である。
苦学・努力の末、没落した二宮家を再興し、
諸藩・諸村の復興に尽力、幕臣となった人物だ。
彼が生きた時代、1700年後半から1800年前半にかけては、何だか現代と似ている。

徳川家康が江戸に幕府を開いたのが1603年。
それから100年、荒れた国土が復興し、戦乱で減った人口が回復して、
時代は高度成長期へ。
そのピークが、上方を中心に明るく元気な町人文化が発達した「元禄」。
ここで江戸時代の高度成長が止まり、
人口もGDPもほとんど増えない低成長期へ。
「二宮金次郎」は、徹底した合理主義・実践主義で、
そんな厳しい時代に立ち向かっていった。

僕が小学校に通っていた昭和元禄の頃より、
バブル後の平成不況、晩婚化・少子化が進んだ今こそ、彼の言葉は心に響く。

『大事を成さんと欲する者は、まず小事を務むべし。』
『道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。』
                              (二宮尊徳)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする