「今日の一枚は、
津幡町立・井上小学校の校庭に建つ「二宮金次郎」像である。
この薪を担いで本を片手に歩く「二宮像」は、
おそらく日本中の小中学校にあるはず。
これだけ普及した理由…一説には、
明治天皇がたいそう気に入ったのをキッカケに、
それを知った愛知県・岡崎の石屋、富山県・高岡の銅器製造業者が
大キャンペーンを展開。 一種のブームになったんだとか。
かつて、僕の母校・津幡小学校…
校舎正面の前庭、鯉が泳ぐ池の畔にも建っていた。
…が、いつの頃からか分からないが、現在、見慣れたシルエットはなく、
石組みの台座を残すのみである。
幼名・金次郎少年が成長した後の名前は「二宮尊徳」。
江戸後期の農政家・思想家である。
苦学・努力の末、没落した二宮家を再興し、
諸藩・諸村の復興に尽力、幕臣となった人物だ。
彼が生きた時代、1700年後半から1800年前半にかけては、何だか現代と似ている。
徳川家康が江戸に幕府を開いたのが1603年。
それから100年、荒れた国土が復興し、戦乱で減った人口が回復して、
時代は高度成長期へ。
そのピークが、上方を中心に明るく元気な町人文化が発達した「元禄」。
ここで江戸時代の高度成長が止まり、
人口もGDPもほとんど増えない低成長期へ。
「二宮金次郎」は、徹底した合理主義・実践主義で、
そんな厳しい時代に立ち向かっていった。
僕が小学校に通っていた昭和元禄の頃より、
バブル後の平成不況、晩婚化・少子化が進んだ今こそ、彼の言葉は心に響く。
『大事を成さんと欲する者は、まず小事を務むべし。』
『道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。』
(二宮尊徳)
津幡町立・井上小学校の校庭に建つ「二宮金次郎」像である。
この薪を担いで本を片手に歩く「二宮像」は、
おそらく日本中の小中学校にあるはず。
これだけ普及した理由…一説には、
明治天皇がたいそう気に入ったのをキッカケに、
それを知った愛知県・岡崎の石屋、富山県・高岡の銅器製造業者が
大キャンペーンを展開。 一種のブームになったんだとか。
かつて、僕の母校・津幡小学校…
校舎正面の前庭、鯉が泳ぐ池の畔にも建っていた。
…が、いつの頃からか分からないが、現在、見慣れたシルエットはなく、
石組みの台座を残すのみである。
幼名・金次郎少年が成長した後の名前は「二宮尊徳」。
江戸後期の農政家・思想家である。
苦学・努力の末、没落した二宮家を再興し、
諸藩・諸村の復興に尽力、幕臣となった人物だ。
彼が生きた時代、1700年後半から1800年前半にかけては、何だか現代と似ている。
徳川家康が江戸に幕府を開いたのが1603年。
それから100年、荒れた国土が復興し、戦乱で減った人口が回復して、
時代は高度成長期へ。
そのピークが、上方を中心に明るく元気な町人文化が発達した「元禄」。
ここで江戸時代の高度成長が止まり、
人口もGDPもほとんど増えない低成長期へ。
「二宮金次郎」は、徹底した合理主義・実践主義で、
そんな厳しい時代に立ち向かっていった。
僕が小学校に通っていた昭和元禄の頃より、
バブル後の平成不況、晩婚化・少子化が進んだ今こそ、彼の言葉は心に響く。
『大事を成さんと欲する者は、まず小事を務むべし。』
『道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。』
(二宮尊徳)