つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡の鶏に学んだ、雄の使命。

2010年10月19日 07時46分50秒 | 自然
先日、山間の民家の傍を通ったら、鶏の鳴き声が聞こえた。
「今日の一枚」は、その声の主…「ボリス・ブラウン」と思しき家禽の写真。
画面には写っていないが、
かなりの数の鶏が庭の囲いの中に放し飼いにされていた。


画面奥、鶏冠の小さいのが雌。
画面手前、立派な鶏冠、体格の大きいのが雄だ。
人家の庭で飼われているくらいだから、人間には慣れているだろう。
しかし、目の前にいる僕と「りくすけ」は、見慣れない相手のはずだ。
我々が近づいていくと、警戒して一斉に遠ざかる。
…が、ほんの少し経つと、下がった群れの中から雄だけが文字通り
「雄々しく」立ち向かってきた。

「論語」にこうある。

『非其鬼而祭之、諂也、見義不為、無勇也』
 その鬼にあらずしてこれを祭るは諂うなり。 義を見て為さざるは、勇なきなり)

 こうするのが正しいとを知っていながら実行しないのは、勇気のない臆病者である。
 人はそれが正しいと思っても、自分の保身のために、声を挙げない事がある。
 何かの圧力に屈して、現実を正視せず、大勢につこうとする。
 翻れば、風圧に耐え、主張し行動するのは、並大抵の事ではない。

雄鶏はリーダーだったのかもしれない。
彼は、群れを守り危険を排除するために行動した。
使命を貫いたのだ。
コメント
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