つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡の畑に古代のロマン。

2010年10月24日 19時09分12秒 | 自然
きのう、散歩途中に随分と鮮やかな色をしたエンドウ豆に目がとまった。
明るい茄子紺?バイオレットカラー?これは何という品種だろう?
取り敢えずカメラに収め、帰宅して調べてみると、
「ツタンカーメンのエンドウ豆」というらしい。

1922年、考古学史上において、20世紀最大の出来事といわれた
古代エジプト第18王朝の王墓の発見。
「黄金のマスク」を筆頭に発掘された数々の財宝や資料に混ざって、
エンドウ豆の種があったという。
やがて、時を超えて発芽に成功したエンドウ豆は、
いつしかファラオの呼び名が加わり、栽培が続けられた。
日本には1956年、アメリカから茨城県・水戸に渡来。
主に小学校、教育センターを介して広がった。…という事らしい。

初耳である。 正直、真偽のほどは定かではないようだが、ロマンを感じる。
この豆のことを知り、小学生の頃、夢中になって読んだ
「ツタンカーメン」の王墓発掘のドラマを思い起こした。

20世紀の初頭、歴代のファラオが眠る場所は、盗掘によって荒らされ放題。
新たな発見は期待できないと考えられていた「王家の谷」でまさかの大発見。
王墓の封印をといた時、現場を指揮する叩き上げの素人考古学者「カーター」と
彼の後援者(パトロン)「カーナボン卿」は会話を交わす。
「カーナボン卿」は尋ねた。…『何か見えるかね?』
「カーター」はこう答えるのがやっとだった。…『はい、素晴らしいものが。』
墓の内部に差し入れた、ゆらめく蝋燭の光の向こうには、
まばゆいばかりの黄金の遺物が輝いていた。

僕は、その発掘の副葬品に交じって「エンドウ豆の種」があったか否か、覚えていない。
しかし、2つ印象に残るアイテムがあった。
1つは、王の棺の上に置かれた、カラカラに乾燥した矢車草の花束。
3000年前に王妃が捧げた花束は、触れた瞬間に粉々に霧散したと記憶している。

もう1つは、王の玉座の背もたれのレリーフ。
まだローティーンの少年王「ツタンカーメン」の体に、
王妃がかいがいしく香油を塗る様子が浮彫りされている。

今、我が家の壁には、
そのレリーフをコピーしたエジプト土産の皿が掛っている。
コメント
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