台風14号の接近に伴って、曇天の津幡町上空。
寒気が流れ込み気温が上がらないせいか、
散歩中に虫達の姿をメッキリ見かけなくなった。
草むらからは、コオロギやキリギリスなど秋の虫の声も聞こえず、
一足飛びに冬の気配。
…そんな中、アスファルトの路上で翅を広げた「蝶」に出逢った。
アゲハ、キアゲハとは違う感じがするし、種類は判然としない。
動きが緩慢で、断末魔の気配すら漂う弱々しさ。
『秋も終りだし、この気候では無理もないだろうな』…などと考えつつ、
美しい文様を眺めるうち、東宝映画の「モスラ」を思い浮かべた。
僕にとって、「モスラ」の最初の記憶は、
1964年(昭和39年)の「モスラ対ゴジラ」である。
公開時、僕は生まれていないのだが、
おそらくリバイバル興業で観たのではないだろうか。
幾つか印象に残っているシーンがある。
台風によって砂浜に漂着した、巨大な青白い「モスラ」の卵。
その卵を帰して欲しいと訴える、インファント島からやって来た、双子の「小美人」。
「ゴジラ」から日本を守るために「モスラ」の力を借りようと、
インファント島へ赴いた使節団の前で繰り広げられる、南洋ムード満点の歌や踊り。
卵から孵化した2匹の「幼虫モスラ」対「ゴジラ」の壮絶な戦い。
幼虫が吐きかける糸によってがんじがらめにされ、海中へ没する「ゴジラ」の最期。
「小美人」を背にのせた「幼虫モスラ」が、大海原へと遠ざかっていくラストシーン。
…特撮あり、活劇あり、スペクタクルな作品に、
「小美人」役の「ザ・ピーナッツ」による主題歌が、
不可思議で幻想的な趣を与えていた。
ところで、僕は、映画「モスラ対ゴジラ」の舞台になった町
「名古屋」の大学に通っていた。
初めて「テレビ塔」や「名古屋城」を見た時は、
『おお、ゴジラがぶっ壊した建物だ!』…と感激したものである。
また同時に、スクリーンの中の記憶と、本物との違和感のなさに驚いた。
勿論、細部を丹念に比較すれば粗も見えるだろうが、
鉄塔や天守閣と空間とのバランスは絶妙。
日本特撮におけるミニチュア製造の、精巧さ緻密さに舌を巻いた。
CGなどない、遥か昔の匠の技である。
寒気が流れ込み気温が上がらないせいか、
散歩中に虫達の姿をメッキリ見かけなくなった。
草むらからは、コオロギやキリギリスなど秋の虫の声も聞こえず、
一足飛びに冬の気配。
…そんな中、アスファルトの路上で翅を広げた「蝶」に出逢った。
アゲハ、キアゲハとは違う感じがするし、種類は判然としない。
動きが緩慢で、断末魔の気配すら漂う弱々しさ。
『秋も終りだし、この気候では無理もないだろうな』…などと考えつつ、
美しい文様を眺めるうち、東宝映画の「モスラ」を思い浮かべた。
僕にとって、「モスラ」の最初の記憶は、
1964年(昭和39年)の「モスラ対ゴジラ」である。
公開時、僕は生まれていないのだが、
おそらくリバイバル興業で観たのではないだろうか。
幾つか印象に残っているシーンがある。
台風によって砂浜に漂着した、巨大な青白い「モスラ」の卵。
その卵を帰して欲しいと訴える、インファント島からやって来た、双子の「小美人」。
「ゴジラ」から日本を守るために「モスラ」の力を借りようと、
インファント島へ赴いた使節団の前で繰り広げられる、南洋ムード満点の歌や踊り。
卵から孵化した2匹の「幼虫モスラ」対「ゴジラ」の壮絶な戦い。
幼虫が吐きかける糸によってがんじがらめにされ、海中へ没する「ゴジラ」の最期。
「小美人」を背にのせた「幼虫モスラ」が、大海原へと遠ざかっていくラストシーン。
…特撮あり、活劇あり、スペクタクルな作品に、
「小美人」役の「ザ・ピーナッツ」による主題歌が、
不可思議で幻想的な趣を与えていた。
ところで、僕は、映画「モスラ対ゴジラ」の舞台になった町
「名古屋」の大学に通っていた。
初めて「テレビ塔」や「名古屋城」を見た時は、
『おお、ゴジラがぶっ壊した建物だ!』…と感激したものである。
また同時に、スクリーンの中の記憶と、本物との違和感のなさに驚いた。
勿論、細部を丹念に比較すれば粗も見えるだろうが、
鉄塔や天守閣と空間とのバランスは絶妙。
日本特撮におけるミニチュア製造の、精巧さ緻密さに舌を巻いた。
CGなどない、遥か昔の匠の技である。