上砂理佳のうぐいす日記

3月31日(月)から4月6日(日)まで銀座中央ギャラリーの「10×10版画展」に銅版画小品を出品します★

ロミオから「Cutting Edge」

2007-02-08 | バレエにハマって幾星霜
ということで、「すーぱーばれえれっすん」録画見たわー。あー。あー。あー。
ロミオの模範演技で踊ってた、エルヴェ・モロー。素敵やったなあ~(^▽^)
なんて美しく踊るんじゃろか…いや、考えてみたら私、エルヴェ・モローがパリ・オペラ座バレエ学校の来日公演で踊ってた時、舞台で見てたんだ。
あれは確か…最上級生同士のカップル…エレオノーラ・アバニャトと組んだ『ダフニスとクロエ』だったわ(モローでなくダブルキャストのニコラ・ポールだったのかも)。あれで「ダフ&クロ」に耽溺してしまったんだよね。
あれから時は過ぎ少年は見事、エトワール“輝く星”になったんやわ。感慨深いよ~。なんたって私がパリ・オペラ座を熱心に見てた時代って、ヌレエフ~デュポンの監督時代ですけん。ルグリは貴重な、ヌレエフ時代の“生き証人”的エトワールなのよ。

それにしてもバレエの稽古であれほどまでに、微に入り細に入り指示が出るとは。
人を感動させる踊りって、見る方は「はあ~(タメ息)」で済むけど、パフォーマンスする方は大変なんやね。
最近、「Cutting Edge」をお風呂で毎日読んでいて(何故にお風呂?)、「表現」とは何ぞや~と深く考えていたところへ、本屋でこのバレエ・レッスンのテキストを見つけて、読んでまたまた感じいってしまった次第です。

スッと手を前に出す動きをするだけでも、そこには意味がある。
「恋人に懇願しているのか」「神様に祈っているのか」「愛しているのか」「拒否しているのか」…それを考えながら手を出すのと、何も考えず手を出すのとでは、天と地ほど違いがあるということ。
回転するにしても、跳躍するにしても、アラベスクする(片足を後方に上げる動き)にしても、そこには一つ一つ「表現の意味」があって、「心」が宿っていなければならない。いや、「心」を表現するために、「動き」があるのだということ。
…そういうことが、バレエダンサー・ルグリ先生の言葉でテキストに書かれてあるのですが、スケートでも同じではないかな。

たとえば「今、ここに風が吹いているよ」と表現したくて手を前に出すのと、「振付の先生がやってるからその通りにやる」のとでは、全く伝わり方が違うんじゃないだろうか。
自分の心で感じながら踊る(滑る)人と、「振付だから」踊る人。
プロポーション抜群で体も柔らかいのに、余り感動しない人もいれば、体型的には恵まれてなくても、抜群にその動きで魅了する人もいる。その違い。
バレエもスケートも表現技術は異なるけれど、肉体を使った芸術であることには変わりはない。
人を感動させる「何か」…その秘密は。やっぱ「心で演じる」ことなんちゃうんかなー。そのために「技術」があるんやろなー。

とまあ私がフィギュアスケートでいつも感じていることに、この度のルグリ先生のお言葉が、ドンピシャリとハマッた、と。そんで、この「すーぱー・ばれえ・れっすん」のネタを引っ張ってきた、と。
要するに「お風呂でカッティング・エッジ読んじゃった」ふむむ…から「肉体芸術論」へと持っていきたかったのですが、さすがに素人(笑)。うまくいきませんでした。頓挫したまま終わりますよ…あれー。
どっと笑い。
             
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする