MとAのミュージカル・ラン日記 ♪♪♪

音楽を聴きながら走る市民ランナーのブログです。ランと音楽以外のスポーツについても書きます。今は大谷翔平に夢中です!

「2009 いびがわマラソン」初フルマラソン完走記(後半)

2009-11-12 | 参加マラソン大会

 急速に足が重くなる 

 折り返し点を快調に通過したものの、ホッとしたのか油断したのか、ブラバンの応援に関心したりしながら若干脚が重い気がした(があまり気に留めなかった)。 この時点では、とにかく32km過ぎまで(残り10kmまで)5分30秒/kmのペースを維持しよう、ということしか考えていなかった。

 22.3km夕日谷付近のエイドで塩やバナナを目にして「折り返しあたりで塩を摂取したほうがいいかもしれない」という金さんのアドバイスを思い出したが、手を出さなかった。まだ大丈夫な気がしたからだ。

  23kmあたりからはだらだらとした下りになるので、本当は少し楽に走れるはずなのだが、24kmあたりから1km6分前後にペースダウン。タイムは正直だ。25km~30kmの5kmは6分8秒/kmと完全に自分のペースではなくなってしまった。脚は重さを増し、動きが鈍くなる。このあたりで持参したアミノバイタル・ゼリーを食べたがこれがうまくなくかった。

エイドと励ましの言葉に助けられるも・・・

 28.6km久瀬公民館前のエイドで、再び塩を見つけ、今度は取ってみる。ついでにバナナも手にした。マラソンの途中で食べられるものかと思っていたが、問題なく食べることができた。オレンジも食べた。これはうまかったが、手がべとべとしてしばらく気になった。少し後別の場所で、柿とリンゴも一切れずつ食べたが(これは有志の善意のエイドかもしれない)、特にリンゴはうまかった。27km久瀬山村広場ではいび茶もいただいた。

 29kmからは緩やかな上りが続く。30~32kmはペースが7分台に落ちた。このあたりは本当にきつかった。呼吸が苦しいわけでなく、脚もこの時点では大した痛みはなかったにもかかわらず、動かない。

 痛みのせいで歩けなくなった経験はあるが、こんなことは初めてだった。さらに腕・肩のあたりが疲れのせいだと思うが重たくて、気持ちが悪くなってきて、吐きそうな気がした(結局吐くことはなかったが)。腕・肩は特にトレーニングをしていなくて、疲れを感じ「鍛える必要がある」と思ったことが何度かあったが、フルを走るにはやはり上半身も鍛える必要を改めて痛感しながら、気持ち悪さに耐えた。

 いびがわマラソンではコース沿いに何十枚もの応援看板が立てられている。地元の走友会や学校、Qちゃんからのメッセージもあった。けっこう読みながら走ってた。自分のその時の状況にぴったりはまった時は力になる。

 今回ランナーのマナーが悪いという意見がランネットなどに多く寄せられていたが、「立ちしょんするな。仮設トイレまであと100m」なんてのもあった。

無念。止まる・歩く。

 30km~32kmはペースが7分台に落ち、「このままのペースではサブフォーはもう無理だな」と思い、「とにかく歩かずに最後まで走る」ということを次の目標にしながら走っていた。

 32km過ぎたあたりで、気分の悪さはピークに達し、脚は重いだけでなく、膝の裏に痛みを覚え攣りそうな感じがした。

 そして、目の前には再び急な上り坂が・・・。ここで完全に気持ちが切れた。「脚が攣ったら完走もおぼつかない」とも考えた。無念だったが、歩いてもとにかく完走することに目標を切り替えることにした(結果的には脚が攣る前にケアしたことで、リタイアせずに済んだと思う)。

 アキレス腱を伸ばす。ゆっくり膝の屈伸。ひざの裏を何度か軽くたたく。少し走ってみる。攣りそうな感じがする。再び止まる。歩く。何度か立ち止り、歩き、走る、を繰り返す。このまま走ってもひざ裏が確実に攣ると思った。一度攣ったら簡単には戻らない。ただ、歩く分には何とかなりそうだったので、とにかくこの上り坂が終わるまで歩いてみようと思った。

 このあたりでは同じように攣りそうな(もしくはすでに攣ってしまって歩くのも難しそうな)ランナーがたくさんいた。ボランティアの日医ジョガーズのドクターがバイクでやってきて話を聞いたり消炎スプレーを手渡したりしていた。

再び走りだすも・・・

 結局34kmくらいまで、2kmくらいはほとんど歩いたんだと思う。いただいた案内の「コースポイント」の説明を読んでも、このあたり--32kmからの数キロ--が最もきついところのようだ。

 立ち止っているランナーが関係者に何か聞いていた。「この先関門はもうないですよ」と言ってるのが聴こえた。全然意識してなかったが、33.8km地点が最後の関門だった。4時間30分が制限時間。

 少し気分も落ち着いてきた。上り坂も一段落した。沿道の応援も増えてきて歩いているのが情けない思いも募る。子どもたちとハイタッチしようと力を振り絞る。

 再び本格的に走り始めると、ラッキーなことになんとか走れそうだ。さっきまでの攣りそうな痛みもあまり強くない。いけそうな気がする。少しずつペースを上げると、次々前のランナーを抜いていく。みんな疲れてるんだなと思う。

 35kmからの2kmは5分30秒くらいのペース。ちょっと自分でも信じ難かった。このままゴールまで走れるかと思ったが、そんなに甘くはなかった。

 37~39kmあたりは再び歩いたり少し走ったり。この時は攣りそうだったかどうかよく覚えていないが、「とにかくもう走れない。このままゴールまで走り続けるのは無理だ」と思った。もう一度態勢立て直そう、と。二度目に歩く決意は、一度目ほど難しくない。

 このあたりだったか、「歩くな。あきらめるな」というような看板が目に入ったが、「次こそは歩かずに完走してやる」と思いながら、悔しさをかみしめて歩いていたと思う。

 「うさぎとカメ」の童話の通り、さっきの2kmでどんどん抜き去ったランナーたちが、今度はどんどんあっという間に自分を追い抜いてゆく。ゆっくり、でも走り続けている女性ランナーにもこうして歩いてしまったら敵わないんだなあ、となんとなく考えていた。ランナーたちの背中が確実に遠ざかっていく。

ラストは走って終わりたい

 39kmすぎ、最後のエイド・井ノ口橋でアミノバイタルを2杯飲み、再び走り始める。残り3km。今度こそゴールまで走りきる、という強い思いで、脚の状態を確認しながら、少しずつペースを上げる。もうあとはほぼ下りかフラットな道だ。

 まさに歯を食いしばって走ったが、さっきのような奇跡は起きない。堤防沿いの道を足を引きずるように、よろよろと、「もう少しだぞ!がんばれ!」という沿道の応援にも支えられて、何とか身体を前に運ぶ。

 39~40kmは6分4秒。40~41km、41~42kmは測ったように6分30秒。ジョギングより遅い。今度こそ最後まで立ち止らないという気持ちだけで走ってた気がする。最後の直線が前島橋。手前にあと500mの表示。

 それにしてもこの橋は長かった。いや長く感じた。

 最後はスパートしたいと思っていたが、正確な距離がわからなかったので恐る恐るスピードを上げる。あまり早くスパートしたら息切れしそうだから。42kmの表示が見え全力を振り絞る。ラスト195mを53秒で走りきった。

 ハーフを走り終えた家人がカメラを構えているのにゴール直前で気付いた。なんでか自分でもわからないが、帽子を脱いで右手を上にかざしてゴールラインをまたいだ。少しだけ誇らしい気持ちがわいたんだと思う。今度こそ、立ち止ることなく最後まで走りきってサブ・フォーを達成したい。(完)

◆ALPSLAB routeにいびがわマラソンのコースがアップされています。走った気分で地図上を移動できます。高低差も表示されるので「いびがわマラソン」の厳しさも体感できます。こちらからどうぞ。

 <補遺>

◇アフターレースの充実ぶりも素晴らしいです。会場内の出店のにぎわい。高石ともやさんのコンサートも夕日を浴びながらみんな楽しそうに聴いてました。

◇完走するとゴールで「よぉがんばりんさったバスタオル」を肩にかけてくれます。掛けてもらうまで意味がよくわからなかったけど、確かにトップ選手の出る大会ではみんな掛けてもらってますよね。あれなんですね。なんかいっちょう前のランナー気分でうれしい。

◇そして、この大会のすばらしい運営に感謝します。ほとんど非の打ちどころのない--というよりもう想像をはるかに超えて素晴らしい大会でした。関係者のみなさん、揖斐川町のみなさん、応援してくれた多くの方々にお礼を申し上げます。来年もぜひ参加させていただきたいと思っています。

 ありがとうございました。

◆最後にこのレースで亡くなられた方がいらしたと後でニュースを見てびっくりしました。会場で救急車のサイレンを何度か聴きましたが、まさか、と。

 あの日一緒にスタートラインに立っていた者として、とても残念です。マラソンを走るということの厳しさ・難しさ、そして走り切れたことの喜びを改めてかみしめつつ、謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

コメント
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