世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

路地裏で握手

2005年04月23日 22時40分31秒 | Weblog
根津神社で開催されているつつじ祭へ。
久々に吉熊とデート。

いつもは閑散としている根津神社なのに、
この時期は屋台が出ていてすごい賑わいだ。
たしかこの神社は、羽田美智子が出ていた映画「RANPO」のロケで使われていた。余談だがこの作品はR指定。けっこうエロシーンがあった気がする。

濃いピンク、白、朱色のつつじ。
一つ一つの木が丸く剪定されているので離れた所から見ると、なんかこう「モコモコッ」としているんである。けっこう滑稽。
一通り見たあと、屋台でたこ焼きを買い、たるる~と君の如く食べる。
この祭の屋台で買ったものを食べる際、毎回必ず腰かける石が境内にある。
今回もここで食べる。

唇に付いた青海苔を気にしながら、近くの東大のキャンパスに潜入。
東大生の気分を味わった。
学生という存在を眩しく感じる。
偏差値は違えど、学生が放つ共通の臭いってある。
戻れなくなって初めていとおしなる臭い…。

本郷は樋口一葉ゆかりの土地。
頭の中に叩き込んできた地図を取り出し、あるところへ向かう。
それは一葉が使っていた井戸。
兄や父を亡くし、針仕事をしながら貧しさと戦っていた18歳の一葉が使っていた共同井戸。
それは当時の面影がそのまま生きている路地裏にあった。
まだ使用されているらしい。「この水は沸騰してから飲んでください」と書いてあった。
暫くそこで立ち止まる。
日が落ちかけた薄暗い路地裏で、私は一葉と会話をする。
井戸水を汲もうと取っ手を握ると、一葉と握手したような気がした。

貧しさや逆境にも果敢に立ち向かう女性が明治時代にいた。
その事実や彼女の作品に触れると、私は自分の不甲斐なさに落胆する。

苦しさに立ち向かう気概は明治も平成も同じ。
いかに頑張れるか。
逆境があってからこそ、あのような名文を生むことができた一葉。
ピンチをチャンスにできる力をもらえた気がした一日だった。


空想の彼方へ…「月の光」

2005年04月23日 01時33分19秒 | Weblog
帰り道。
頭上の月が眩い。
春になり、朧月が多かったせいか
今宵の様な冴え冴えとした月を見ると、秋に戻ったような錯覚に陥る。
そのぐらい綺麗。
「帰ったらドビッシーの“月の光”が聴きたい」
スーパーの買い物袋の重みを両指に抱えながら思う。

「月の光(ベルガマスク組曲より)」は、印象派を代表する曲。
色彩豊かな音の運びと緩やかな旋律が、月光の優しさを奏でている。
初めてこの曲を聴いたのは中学2年生のとき。
林間学校の前後だったと思う。
たしか南校舎4階の第一音楽室で初めて聴いた。
教科書には、髭をたくわえたドビッシーの人物画と
月光に照らされた古城の写真が載っていた。
当時からぼんやりしていた私は、授業中も然り。
「古城に住む自分」や「月光に揺らめく湖を古城から眺める自分(しかも自分の登場設定が姫)」等をこの曲を聴きながらぼんやり空想していた。

そんな空想少女は27歳になっても、変わらず。
そのまま空想OLになった…。
さっき「月の光」を聴きながら洗濯物を干した時なんて、
そのあまりにも綺麗な月を見ながら「月に帰りたい」と思っていた。
「月に帰ったら、パパとママ、泣くかな?泣くよね、絶対。 仕事の引継ぎとかするのかな?退職届には“月に帰るため”とか書くのかな?でもやっぱ“一身上の都合”なんだろうな。変なコだと思われちゃうし。」等、悶々と考えてしまった。

そんな私を、今宵も優しく包み込む月の光。
そういえば月って、いつまでたっても、どこで見ても「月」。
ドビッシ-の見た月も、
少女時代に私が見た月も、
今宵、私が見ている月も
…遠く離れたあなたが見る月も…

「たった一つの月」

普遍性や偉大な存在感を秘めた月。
そんな月が放つ光だからこそ、
ドビッシーの「月の光」のように、
美しく描かれる価値があるのかもしれない。

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