世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

紳士

2014年07月10日 | Weblog
昨夜は遅くに宇都宮に到着し、弟の運転で実家に帰省。
父は葬儀場に泊まった。
通夜から帰ってきた母と三人で御飯を食べた。
母、弟、私・・・この三人って珍しくね?というグルーピング。ちょっと新鮮だった。


今朝は慌しく支度。
台風が来ているので空気が湿っぽい。
母と弟と一緒に葬儀場へ。
会場で伯母や従兄弟、その他の親戚に挨拶をし、伯父の遺体と対面。
生前の快活な面影は正直言ってなかったけれども、表情は穏やかだった。
遺影は現役時代の「組織の中で昇りつめた感」満載の表情をたたえていた。

4年前に発病し、ここ1,2年は入退院を繰り返していた。


伯父は、生後8ヶ月で戦争で父親を亡くし、女手一つで育てられた。
中学時代から優秀だったらしい。
東京の大学を出てから地元へ戻り、企業の中で飛躍的な出世を果たした。
お酒が大好きで親戚の集まりで酔っ払う度に、幼い私に「亮ちゃんが大きくなったらきっと女優さんになるね。おじさんに鞄持ちさせてね」と言っていた。

仕事一筋で、謙虚で、情に厚く、紳士然としていた彼は親戚の中で異彩を放っていた。
彼以上のジェントルマンはなかなかいない。
飲んでも飲まれない。絶対にへべれけにはならない。だらしない飲み方はしない人だった。

親戚の集まりで
「いい人いないの?」
と聞いてくる親戚の中で、彼だけは
「仕事頑張ってるかい?」
と聞いてきてくれた。
人の心を慮ることができる優しい人だった。

今日の、彼の友達の弔辞でもあったように、伯父の唯一の心残りは95歳の認知症の母親を残して旅立つことなのだろう。
親孝行息子であった伯父のこと、きっと悔やんでいると思う。

以前、私の祖母の三回忌のとき。
まだ元気だった伯父とその母親が家にやって来た。
足が悪い母親を連れてきながら、
「亮ちゃんさ、悪いんだけど椅子を持ってきてくれるかい?おばあちゃん、足が悪くて座れないんだよ。ごめんね」
と気遣っていたことなどを鮮明に思い出す。
その時の伯父と母親が立っている様子が、まるでこれまでのこの母子の支えあいながら歩んできた人生を象徴しているかのようだった。
あの母子の絆は本当に強靭だった。その絆を支えたのは私の父の姉である伯母だった。従兄弟三人もそれぞれ独立し、子供がいる。会場に飾られていた写真で孫や子供たちに囲まれている伯父の表情は、仕事人間と評されるものとはまた別の柔らかいものが在った。母親と自分2人だけの家族が、子や孫が生まれて14人になった。「子供は俺の宝だ」と書き残された写真の上の文字を見て涙腺崩壊。


聞くところによると、弔問客は1,000人、弔電は大きな紙袋4つ分もきたそうだ。今日の葬儀には著名人も列席していた。
改めて伯父の凄さを感じた。

死装束は背広。
棺の中には、名刺が入っていた。

香典返しは伯父が好きだったお酒。
惣誉。



最後まで伯父は伯父だった。
天国でお父さんに会えただろうか。

帰京

2014年07月10日 | Weblog
葬式のあと、正嗣に寄った。
冷凍餃子を大量購入。


今は持ち帰りのみだが、昔はよくここで食べた。
雀宮店。
初めて1人前を食べたとき、母が喜んでくれたのを覚えている。


帰宅後、母ヨーコたんが正嗣の餃子を調理してくれた。
焼き2人前、水餃子1人前。


美味しい~。

庭に出て一服。
台風が近づいているので強風に煽られながら吸った。

建て直す前には庭に池があった。
今はないのでこの水槽で巨大金魚を飼っている。


百合の花が咲いていた。


台風で電車が遅延すると大変なので、17時半すぎの電車で帰京。


明日からまた頑張ろう。