私の今年一年を象徴する音楽。
映画「かぐや姫の物語」で流れていた曲「天人の音楽」。
「天人の音楽」を作ってみた(かぐや姫の物語より)
あの作品は、天に帰ること=死という位置付けが大きな主題になるわけだが、そのシーンでこの音楽は大きな役割を果たすことになる。
凄く悲観的なシーンでこんな華やかな曲を流すだなんてと最初はびっくりしたのだが、スイカに塩的な手法によりスイカの味が甘みを増し、それがやみつきになるように、今ではあのシーンにあの曲以外は考えられない。
同時に、この曲は今年の春をまざまざと思い出させる。
長年同じフロアにいた2人が辞めざるを得ない状況で退職をした。
窓の外は春の穏やかな空気や光や花の香りが漂っているのに、社内にはどんよりとした雰囲気がたしかにあった。
梅の香りが漂う中で状況に耐え切れずに飲み込んだ涙の味、そしてやるせない気持ちをこの曲は私の中で無情という響きで代弁していた。悲しいほど私の心でリンクした。
かぐや姫は月の世界に帰りたくなかった。
しかし天人の迎えにより抗えない力で去らざるを得なかった。
会社を辞めたのは彼らの意思だ。
しかし辞める方向に向けたのは他でもない外からの力が働いたからだとあの状況を鑑みて今も私は思う。
会社を辞めることと死は安易に結び付けてはいけないことなのかもしれない。
しかし、退職は中年社員(一家の大黒柱)と15年近くいたパートさんの人生を大きく変えたのだと思うと、会社員生活の死という意味においては、やはり通ずるものがある。
彼らが退職を決めた後。
引継ぎ等でバタバタしていた時期。
…次は私?と背中にナイフを当てられたような気持ち。
…彼女の仕事はやはり私に来るのかという落胆。
…もう会えなくなるのかという寂しさ。
胸を締め付けられるようなあのエグさは恐らく死ぬまで忘れないと思う。ぎりぎりの精神状態で送った春。
慌しく引継ぎをし、彼らに「ありがとうございました。お世話になりました」を言うのが精一杯だった。
この曲を聴く度に、2014年の灰色の春を思い出してしまう。
映画「かぐや姫の物語」で流れていた曲「天人の音楽」。
「天人の音楽」を作ってみた(かぐや姫の物語より)
あの作品は、天に帰ること=死という位置付けが大きな主題になるわけだが、そのシーンでこの音楽は大きな役割を果たすことになる。
凄く悲観的なシーンでこんな華やかな曲を流すだなんてと最初はびっくりしたのだが、スイカに塩的な手法によりスイカの味が甘みを増し、それがやみつきになるように、今ではあのシーンにあの曲以外は考えられない。
同時に、この曲は今年の春をまざまざと思い出させる。
長年同じフロアにいた2人が辞めざるを得ない状況で退職をした。
窓の外は春の穏やかな空気や光や花の香りが漂っているのに、社内にはどんよりとした雰囲気がたしかにあった。
梅の香りが漂う中で状況に耐え切れずに飲み込んだ涙の味、そしてやるせない気持ちをこの曲は私の中で無情という響きで代弁していた。悲しいほど私の心でリンクした。
かぐや姫は月の世界に帰りたくなかった。
しかし天人の迎えにより抗えない力で去らざるを得なかった。
会社を辞めたのは彼らの意思だ。
しかし辞める方向に向けたのは他でもない外からの力が働いたからだとあの状況を鑑みて今も私は思う。
会社を辞めることと死は安易に結び付けてはいけないことなのかもしれない。
しかし、退職は中年社員(一家の大黒柱)と15年近くいたパートさんの人生を大きく変えたのだと思うと、会社員生活の死という意味においては、やはり通ずるものがある。
彼らが退職を決めた後。
引継ぎ等でバタバタしていた時期。
…次は私?と背中にナイフを当てられたような気持ち。
…彼女の仕事はやはり私に来るのかという落胆。
…もう会えなくなるのかという寂しさ。
胸を締め付けられるようなあのエグさは恐らく死ぬまで忘れないと思う。ぎりぎりの精神状態で送った春。
慌しく引継ぎをし、彼らに「ありがとうございました。お世話になりました」を言うのが精一杯だった。
この曲を聴く度に、2014年の灰色の春を思い出してしまう。