四十九日

2006年06月01日 | 出来事 -
今日は、コロモガエの日。
そして、父の四十九日です。
納骨は三十五日に済ませたものの、やはり気分はどんよりとしていて、
四十九日が過ぎないと・・・と、つい言い訳してしまうのは何故でしょう(笑)?!

たくさんの人に言われました。
「あまりにも泣いていたら、お父さんの魂が“あちら”に行けなくなるから、
 元気に前向きに“忘れてあげなくちゃ”ね」。
四国でも、当地でも・・・
「あっ、もしかして“オーラの泉”?」
「観た?そう、そう、そうなのよ!」
何度も何度も皆に言われたので、私自身も番組を観ていたけれど、それ以上に
“忘れてあげることは必要だ”と(まるで刷り込まれるように)、徐々に思えてきました。


このようにして、私の1日+1日は、とてもゆっくりと過ぎていきました。

すでに四十九日。
それでも、私は、まだまだ泣けてしかたがありません。
涙は、枯れることがないのです。
心優しい人が、慰めてくれます。
「泣くことは、おかしいことじゃないよぉ」

      ありがとうございます。
      いつも、いつも泣いてしまって、ごめんなさい。
      そう思いながら、また泣いています(笑)。
      でも、最近は、すぐ泣き止むようになりましたョ・・・。



一昨日は、大騒ぎして、腕まくりして、
父の寝ていたベッドを解体しました。
ばらばらになったパーツは、土曜日の粗大ゴミ回収日に向けて
玄関先の踊り場に並んでいます。
あと数日だから、前日でもよかったのに・・・
何故か四十九日にこだわった私は、気分をすっきりするためにも、
思いの残るベッドを動かしたかったのでした。
そして、明るいカーテンに変えました。

今日は、お出かけして・・・
大きな買物をする予定です。
新しい門出に向けて、電化製品を「どっかぁ~ん」と買ってきます。
昨日は、そのために現金15万円を引き出し、用意万端整っています。

こんな他愛のないことで、区切りがつくとは思っていませんが・・・
ありのままの自分で、今日の「四十九日」を迎えようとしています。
それには、“今日やりたいなぁ”と思ったことを、“確実にやろう”と思っているのです。

やはり“区切りある日”です。
今日は、私にとっては“特別な一日”なのです。
一般的には、父の魂が、向うの世界に「旅立つ日」と言われ・・・
そして、その一方では、私自身の「生まれた記念日(誕生日)」でもあるわけです。
何故か偶然に、今日は二つの意味合いをそなえた一日です。
「偶然か、必然か」などというテーマよりも、今日の私にとっては、
「今日一日をどのようにして過ごし、何を感じ、何を手放すのか」ということが、
とてもとても大切な気がしています。