病院へ出向いて、看護部長と面談した。
父が亡くなった翌日に“会う約束をしていた人”である。
(結局、そのアポイントは流して、
私は父の喪に服すことになったので、
今回の面談が初対面である)
その後、事務部の担当者と面談。
内容に不備があり(詳細はあえて記さず)、諸々の処理は完了できなかった。
病院の入院費に対しても、支払いができず・・・またもや不完全なままになった。
アポはとっていたのに・・・
病院長との面談まで、なかなか“たどりつけない”。
今日、おどおどした安定感のない事務担当者には、
自分で今後の対応を選択してもらった。
「この書類は完璧であると、あなたにとって自信のあるものだと言えますか?」
「いいえ、言えません」
「それであれば、現時点で、どのようにするのがよいと思われますか?」
「一週間時間を頂き、再度お話し合いをさせてください」
来週は、当地を離れるため、最終週に約束をすることにした。
病院とのトラブル折衝は・・・
またもや、不完全なまま放置されることになった。
こういう“ちょっとしたこと”が、大きなストレスになったりもする。
気分をすんなりと入れ替えるためには、ある意図的なアプローチが必要だ――
そう感じた私は、もやもやした気持ちを解きほぐすために、
その足で「対面コーチング」を受けに行った。
自分の心の内がクリアになった部分がたくさんあったことと、
「わだかまっていること」「こだわっていること」が明確になったことが、
何よりも“ありがたい!”
すくわれることはないし、苦しみが癒されるわけでもないが・・・
このことを処理していけば、私の膿(ウミ)は無くなっていくだろう――
そういうキーワードをみつけることができた。
目の前の“苦しみ一辺倒”から一変して、一条の光が差し込んだような感覚だった。
それに、コーチの前で泣きとおしたことで(笑)、気分はかなりすっきりとした。
コーチはずっとずっと私の手を握ったままの状態で、“ぬくもり”を与え続けてくれ、
心がつながっている感覚を通して“安心感”を与え続けてくれた。
だから、自分の内側にも向き合えたし、キーワードを手にすることもできたのだろう。
でも、知らない人が見たら、きっと私たちは「恋人同志」に見えただろうなぁ―。
苦しみは、常に“自分自身がつくりだしている”。
でも、その心や感情に嘘をつくことはできないし、フタをすることもできない。
必ずや矛盾がでてきて、この身が引き裂かれることになるからだ。
だからといって、不感症になることも、鈍感になってしまうのも、本意ではない。
私はいつも“私らしくありたい”し、
私がヨシと思うことは「良し!」と言い続けていたい。
そして、たとえ辛く哀しいことでも、びんびんに感じながら、
そのことを乗り越えていきたい・・・。
父が亡くなった翌日に“会う約束をしていた人”である。
(結局、そのアポイントは流して、
私は父の喪に服すことになったので、
今回の面談が初対面である)
その後、事務部の担当者と面談。
内容に不備があり(詳細はあえて記さず)、諸々の処理は完了できなかった。
病院の入院費に対しても、支払いができず・・・またもや不完全なままになった。
アポはとっていたのに・・・
病院長との面談まで、なかなか“たどりつけない”。
今日、おどおどした安定感のない事務担当者には、
自分で今後の対応を選択してもらった。
「この書類は完璧であると、あなたにとって自信のあるものだと言えますか?」
「いいえ、言えません」
「それであれば、現時点で、どのようにするのがよいと思われますか?」
「一週間時間を頂き、再度お話し合いをさせてください」
来週は、当地を離れるため、最終週に約束をすることにした。
病院とのトラブル折衝は・・・
またもや、不完全なまま放置されることになった。
こういう“ちょっとしたこと”が、大きなストレスになったりもする。
気分をすんなりと入れ替えるためには、ある意図的なアプローチが必要だ――
そう感じた私は、もやもやした気持ちを解きほぐすために、
その足で「対面コーチング」を受けに行った。
自分の心の内がクリアになった部分がたくさんあったことと、
「わだかまっていること」「こだわっていること」が明確になったことが、
何よりも“ありがたい!”
すくわれることはないし、苦しみが癒されるわけでもないが・・・
このことを処理していけば、私の膿(ウミ)は無くなっていくだろう――
そういうキーワードをみつけることができた。
目の前の“苦しみ一辺倒”から一変して、一条の光が差し込んだような感覚だった。
それに、コーチの前で泣きとおしたことで(笑)、気分はかなりすっきりとした。
コーチはずっとずっと私の手を握ったままの状態で、“ぬくもり”を与え続けてくれ、
心がつながっている感覚を通して“安心感”を与え続けてくれた。
だから、自分の内側にも向き合えたし、キーワードを手にすることもできたのだろう。
でも、知らない人が見たら、きっと私たちは「恋人同志」に見えただろうなぁ―。
苦しみは、常に“自分自身がつくりだしている”。
でも、その心や感情に嘘をつくことはできないし、フタをすることもできない。
必ずや矛盾がでてきて、この身が引き裂かれることになるからだ。
だからといって、不感症になることも、鈍感になってしまうのも、本意ではない。
私はいつも“私らしくありたい”し、
私がヨシと思うことは「良し!」と言い続けていたい。
そして、たとえ辛く哀しいことでも、びんびんに感じながら、
そのことを乗り越えていきたい・・・。