ざわつき

2006年06月07日 | 雑感 -
私という人間は、“欲深い人だ”と思う。
上を見て、さらに上を目指していく傾向がある。
父のことについても、そうである。
現実(現状)を受け容れられてはいるのに、
やはり「こうだったら、よかったのに」という気持ちが吹き上がってくる。



 一番想いが残るのは、「(父にとっての)孤独感のない生活」である。
 父の主治医が建てたグループホームは、3月からのオープンだったので、
 結局父はデイサービスで三回お世話になっただけである。
 その施設に、最後の写真となった「記念撮影」の一枚が、保存されていて・・・
 それを額に入れて、カードとともに先日プレゼントをしてもらった。
 すごく泣けた。
 初日は“泣きながら出かけたのに”、翌日からはお迎えを心待ちにして、
 それからはスタッフの皆さんとも打ち解けて、自分なりに楽しんでいたようだ。
 「私たちにとっても、忘れられない人です。
  この施設の一番目のお客様でしたし、とても勉強になりました。
  最初にお風呂に入っていただいた人です」
 投げかけてもらった言葉が、とてもあたたかく、この胸にしみこんだ。
 そして、父の“嬉しそうにお風呂に入る姿”が思い出された。
 大きなヒノキ風呂にゆっくりと入る父―。
 突然見学に行った私が、声をかけたら、父は“満面の笑み”で応えてくれた。
 あの顔が忘れられない。最高の笑顔だった。
 スタッフの人からは、当然だろうが「楽しんでいた」という話を聞いた。
 もし、それが本当であれば・・・
 ほんの少しの期間だけでも、若々しいスタッフに囲まれて、
 明るく楽しく、雑談なんかしながら、生活させてあげたかった・・・。
 そんな気持ちが噴出してくると、たとえようのない虚しさに包まれる。

 

 二回目のデイサービスの日。
 父はグループホームの担当者を呼んでもらって(一度見学に行ったのだが)
 「二階のあの部屋をもう一度見せて」とお願いしていたそうである。
 そして、担当者に案内されて、うれしそうに部屋を見学したそうだ。
 この部屋は“自分の部屋だ”という認識が、父にはしっかりとあり、
 「お泊りすること」を楽しみにしていたそうだ。
 ショートステイもありえるが、個室を確保して、その個室に家族も
 泊まり込み、一緒に生活(食事や活動)ができるのが、その施設の特徴である。
 (だから、私は、出張仕事をはじめながら、生活を確立し、健康を回復し、
  二人で自宅と施設の双方で生活することをイメージしていた。
  基本料金を支払えば、食費他は臨機応変に対応してくれるというシステム)

 父は、嬉しそうに、自分の部屋を見せてもらったという・・・
 その話を聞いて、頭をど~んと打たれたような気がして、
 すぐに契約を取り交わした私は・・・・・
 無常にも、その翌日に、父を病院に担ぎこむことになる。
    (それは、WBCで盛り上がったその日―3月21日である)




こずえが揺れている。
緑がさわさわと音をたてて、時間が流れている。
私は、まだ「ここにとどまっている」という印象がする。

この広い家で、窓を開けて・・・
緑のざわめきを耳にしながら、ブログを書いている。
心地がよいのに、現状には満足していない。
胸の内は、とても苦しい。
落ち着いてはいない。

なぜならば、父を搬送した救急対応から入院までにいたる経緯、
具体的に言うと、病院サイドの「救急治療&初期治療に対する疑問」が残っており、
その後の主治医の心ない行動&発言に対しても憤慨するものがあり・・・
その言葉が・・・今も、“一番の苦痛”として、私の胸を刺している。
    (人として、医者として“あるまじき言動&行動”を
     浴びせられた。これは「モラル」の問題である)
入院費に対しても、まだ支払いを終えていない。
不鮮明な明細(受けていないサービスを膨大に計上されていた)によって、
改めて総合的に“病院の姿勢を正してもらっている”ところである。
    (これは、当方が明細を請求しなければ、発覚しなかったことである)
第三者を介して、正式に抗議をした。
病院を総括している公共医療相談窓口にも連絡して、現状の報告をした。
そこをも介して、当方の主張は伝えてもらっている。
父の納骨を終えて、四十九日があけた今月から、やっと病院との折衝がはじまる。
    (来週は、まず病院長&事務部長との面談が控えている)
これらのことは、非常に複雑であり、混迷を極めた状況で、
詳しいことを説明するのは(現時点では)かなり厳しいし、
その労力は“今の私”にはない・・・。
だから、今だ“不完全なまま放置された状態”なので、
私の心は、落ち着かないのだ。
苦しいまま、日々泣けてしまうのだ。

今後の対応によっては「私は、もっとストレスをためることになる」かもしれない。
でも、不完全なものを、このままに放っておくのは、もっともっとツライことである。
父や私のような患者(&家族)が増えないように、病院の不正・不誠実な言動・行動は、
追究していかなければならない。
人を物扱いして、人として看護してもらえないような病院であれば、
それに気がついてほしい。
私は、これまでたくさんの医療機関を見てきたが、
あんなに不誠実な病院は初めてだった・・・。

(最後の最後まで、転院を試みたが・・・その思いはかなわなかった)

入院してから亡くなるまでずっと“父の意識”は、ほとんどなかったようだ。
必然のような反応は、何度となく返してもらってはいたが・・・。
父が苦しまず、眠るように逝ったことが“たった一つの救い”ではあるが、
私はまだまだ泣けてしまうし、すっきりとはしていない。

だから、決してあきらめず・・・
自分自身とも、病院とも、
逃げることなく、闘うつもりである。
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