北欧の福祉

2009年08月22日 | 社会 -

今日、亡くなった父の主治医に会った。
今夏は、二週間の休みをとり、診療休止していた異色の(自称)街医者である。


 「どこへ行っていたんですか?」
 「北欧を、まわっていたんだよ」
 「と、いうことは・・・お勉強?!」とニヤリと笑う私に、まじめな声で・・・
 「福祉の現場をみたくてね」


北欧といえば、一般的に「高福祉国家」というイメージがある。
数年前のことであるが、福祉をテーマにしたドキュメンタリー番組をみて、
かなり日本とは違う“人々の暮らしぶり”に驚いたことがある。

北欧では、日本とは全く違う“さまざまな社会保障制度”によって、
「水準の高い福祉が実現されている」そうである。
当然ながら、所得格差が他の国々と比較して小さい。
そのために「貧困率」と「生活水準の格差」も比較的小さいことも特徴である。



先生は、高齢化社会に向けて、福祉の現場をみておきたかったようだ。
やはり(性格的な部分もあるだろうが)若い医師だけあって、志の高さを感じる。
もちろん、だからこそ、福祉関係はビジネスチャンスが多いのも確かだろう。
今の私は、亡父の主治医とは、何でも話せる関係になっている。
私だって、日本の福祉制度が変わり、環境が穏やかになれば何よりだと思う。
(今の日本の福祉は、あまりにも厳しい部分がある)

先生曰く、「スウェーデンなどは、50%近くが税金でとられるが、
将来の不安をかかえるなど、気に病むことは全くない」そうである。
だから、もちろん「国民は、貯金をする必要もない」そうだ。
医療関係の制度も、びっくりするような“待遇面の違い”があったそうで、
熱気を帯びて、いろいろと語っていた。
国民は、病気をしても、様々な心配をする必要がない。
福祉社会と言われる所以だろう。



しかし、50%近い税金とは、すごい額だ。
もし、本当に、将来の不安が全くなければ、(介護貯金をする必要もなく)
最期の瞬間まで“安心して暮らせる”わけで、「高額税金を支払ってもよい!」
ような・・・そんな心持ちにはなってくるが・・・
現代の「日本国」では、・・・まだ・・・絶対「支払いたくない!」。

「日本」に対する“信頼感”がないからだ。
馬鹿らしくなってきて、「一銭も払いたくない」と思ってしまうこともある。
やはり、税金の使い方が不透明で、あまりにも「ひどい」からである。
それは、一つ一つ言及しなくても、国民皆が理解できる事実だと思う・・・。

このような政治のやり方、そして、マスコミ報道の視点が変わらない限り、
北欧のような福祉国家は、ほど遠いことである。



政治家の皆さん、ジャーナリストだと自負している皆さん!
もっとまじめに「日本」と「国民の暮らし」を考えてください。



これから、選挙がはじまる。
「日本の未来」は、どうなるのだろう・・・。

机上の空論で、世の中を判断して、
マニフェストを書くのは “やめていただきたい!”。


婚活

2009年08月22日 | 雑感 -

多くの若者達や、「アラフォー」のかぐわしき美女達が婚活に騒がしい昨今、
自分にあった相手を見つけることは至難の業だと思う。
しかし、凝り固まらず、直感で決定するのもまた、若さゆえに許されることだ。
結局は、お互いが幸せであれば、良いのだから・・・。
人は誰も、「シアワセ」の満足度も、価値も、すべて自分が決めるものだ。


私たちの時代は、「三高」という言葉が流行した。
背が高く、学歴が高く、収入が高い・・・人が、「理想の人だ」と言う。


「結婚」を着地点としたら、何が、今の若者達の基準としてあるのだろう。

現代社会の等身大の現実でもある「婚活」しかり・・・
「肉食女子」に「草食男子」などと、面白おかしくマスコミは取り上げるが、
全くいつの世(時代)も、おバカでインパクトあるキャッチを創作してくれる。
それに食らいつく庶民もまた、おバカで、常に刺激を求めているのだろうか。
たとえば、この私のように・・・。



人の一生なんて、「幸せの量も、不幸せの量も同じだ」と思っている私は、
どっちがどうのという「比較価値論」ばかりに終始していては、今のことも
自分の未来永劫も、見据えることができないような気がする。

「結婚」なんて・・・
結局は、出会いからタイミングよく結論がだせた、聡明で、決断力のある
ラッキーなカップルだけができることであり、かなり幸福なことである。
一生、愛し合いながら、お互いを思いやりながら、そして相手に感謝しながら、
生を全うできるとしたら、こんなシアワセなことはないだろう。
その一方で、婚姻の契りに縛られて、「心」と「身体」が離れてしまっている
夫婦には、枚挙にいとまがない。
「愛し合う生活」よりも、他の何らかの理由によって、婚姻関係が続けられ、
日々の生活に“潤い”のようなものが、完全に欠落してしまっている。
相手を思いやることなどはなく、常に自己主導で動き、完全に隔離している。
また、複雑な関係によって繋がっている夫婦は多い。
彼らは、社会的に結婚していても、真のパートナーと言えるだろうか。




何が、(本当の意味で)「男」と「女」を、結びつかせるのだろうか。
お互いがお互いを、心の底から深く愛し、慈しみ、結びつかせているものとは、
一体何なのだろう。

目に見える条件(容姿など)も大切だが、目に見えない条件(性格など)は、
かなり重要なポイントだと感じる。
たとえ“その人”のことを、よく知らなくても、惹かれる“何か”を察知して、
片時も心をとらえて離さないことがあるだろう。
それは、一体、何がそうさせるのかと思う。
本当に、そう思う・・・。
しかし、あえて、ここでは科学的な脳の仕組みなどを論じたくない気分だ。
そして、今、流行のスピリチュアルな言葉も必要ない。
あえて選ぶとしたら・・・「ソウルメイト」ぐらいだろうか。
生まれる前から、出会うことを希望していた人、あるいは、深く愛することを
抵抗なく受け容れられる人、どこかで言葉にならないような結びつきを感じる人。


 
もしかしたら・・・
魂の部分で、引き合う相手と結婚するようになっているのではないだろうか。
あるいは、結婚しないまでも、そういう相手とめぐり合うようになっていて、
生涯“その人”を愛し、意識しながら、生きていくものなのではないだろうか。
「そう思いたい」という“願いに似た想い”が湧いてくる。