多くを語らずとも、MJ(マイケル・ジャクソン)の陰影に満ちた輝かしい人生は、
みんな忘れないはずだ。
少なくとも、私は忘れられないだろう。
くしくも、今日は、マイケル・ジャクソンの誕生日だ。
米POPの象徴として君臨しながら、「ゴシップ」と「スキャンダル」にまみれ、
不親切な母国のマスコミに、純粋な心は“傷つききっていたのではないか”と
勝手に想像している。 (特に、後半期は厳しい現実ばかりだった)
彼が出没する場所には、必ず多くのファンと共に、パパラッチが・・・・・。
MJには、私たちが日常経験するような“普通の生活”は難しかっただろうし、
常に世間やマスコミの“恰好の対象”となっていた。
―5歳の時から、彼にとって「自由」はなかった・・・と、本人が語っている。
しかし、様々な問題を引き起こした要因は、彼が存在する事そのものだったし、
弁護できるのも彼本人だけだったわけで、そういう意味において個人の抱える
許容範囲を超えた“立ち位置”にいたのが、マイケル自身だったのだと思う。
実際、MJは、大いなる力を与えられた“選ばれし人”だ。
だからこそ、あえて選択せざるをえなかった対応があったようにも感じるし、
(世界にとって)彼は「それだけ“大きな存在”だった」とも言える。
一人の人間として、彼に与えられた「類稀なる才能」を、のろうしかないだろう。
私の単なる「個人的な印象」だが・・・マイケル・ジャクソンは・・・・・
あれだけの財と名誉を手にしながら、常に「愛情飢餓」だったような気がする。
だからこそ、「愛」に敏感であり、「世界平和」や「子ども達の未来」のため、
「愛を分かち合う活動をし続けていた」のではないかと、感じてしまうのだ。
そして、誰よりもシャイで、ピュアで、トラウマを抱えた“子どものような大人”
だったのだと思う。 (本人は自分のことをピーターパンだと言っている)
今回、「他殺」が正式に発表され、やっと埋葬の日程(9/3)も決まった。
こんなにも薬物に依存していた私生活だったなんて、とても衝撃的だったが・・・
彼の「純で、かぼそい精神」を維持するためには、仕方がなかったのだろうか。
薬物以外に“自己をコントロールする選択肢はなかったのだろうか”と思われ、
本当に残念でならない。
MJは、ある時代の歴史を変えた“不世出のスーパースター”である。
私は、彼の「ステージング」と「メッセージ」に心が揺り動かされるだけで、
それ以上の(MJに対する)特別な感情は持っていない。
しかし、何度観ても、彼のパフォーマンスは、群を抜いて素晴しい。
単純に、観るだけで感動してしまうし、自然と涙があふれてくる時がある。
この現実は、パフォーマンスに彼本人の人間性があらわれているとしか・・・
いいようがない。 歌詞に込められた想いなども、そのひとつだろう。
優しい語り口や、曲ごとに変える歌唱、踊りの技術、躍動感あふれるステージは、
あまりにもMJらしく、個性的すぎて、神々しいぐらいである。
「魅せられる」とは、まさに“こういうこと”だと思う。
彼の伝えたかったメッセージや、密かに吐露している歌詞に秘められた願いは、
時として、胸をゆさぶられる強さがある。
99年、ドイツでのステージは、その年齢(40歳)を、全く感じさせない。
素晴しい身体の動き(ダンス)と、舞台演出で、DVD発売してほしいぐらいだ。
今回、公開予定のロンドン公演リハーサル映画は、果たしてどうだろう。
どんなに忙しくても、観に行かなくちゃ!
世紀のスーパースター、マイケル・ジャクソン!
生き方がどうであれ、考え方がどうであれ、死因がどうであれ・・・・・
今の私にとっては、どうでもいい・・・そんな気がしている。
「あなたは、確実に、素晴しい足跡を残してくれた!」
とにかく、繊細に生き急ぎ、かなり疲れ果てていた(かもしれない)MJを、
やすらかに眠らせてあげたいと、今は心から願うばかりである。
Thank you ! I love you. I love you more.
みんな忘れないはずだ。
少なくとも、私は忘れられないだろう。
くしくも、今日は、マイケル・ジャクソンの誕生日だ。
米POPの象徴として君臨しながら、「ゴシップ」と「スキャンダル」にまみれ、
不親切な母国のマスコミに、純粋な心は“傷つききっていたのではないか”と
勝手に想像している。 (特に、後半期は厳しい現実ばかりだった)
彼が出没する場所には、必ず多くのファンと共に、パパラッチが・・・・・。
MJには、私たちが日常経験するような“普通の生活”は難しかっただろうし、
常に世間やマスコミの“恰好の対象”となっていた。
―5歳の時から、彼にとって「自由」はなかった・・・と、本人が語っている。
しかし、様々な問題を引き起こした要因は、彼が存在する事そのものだったし、
弁護できるのも彼本人だけだったわけで、そういう意味において個人の抱える
許容範囲を超えた“立ち位置”にいたのが、マイケル自身だったのだと思う。
実際、MJは、大いなる力を与えられた“選ばれし人”だ。
だからこそ、あえて選択せざるをえなかった対応があったようにも感じるし、
(世界にとって)彼は「それだけ“大きな存在”だった」とも言える。
一人の人間として、彼に与えられた「類稀なる才能」を、のろうしかないだろう。
私の単なる「個人的な印象」だが・・・マイケル・ジャクソンは・・・・・
あれだけの財と名誉を手にしながら、常に「愛情飢餓」だったような気がする。
だからこそ、「愛」に敏感であり、「世界平和」や「子ども達の未来」のため、
「愛を分かち合う活動をし続けていた」のではないかと、感じてしまうのだ。
そして、誰よりもシャイで、ピュアで、トラウマを抱えた“子どものような大人”
だったのだと思う。 (本人は自分のことをピーターパンだと言っている)
今回、「他殺」が正式に発表され、やっと埋葬の日程(9/3)も決まった。
こんなにも薬物に依存していた私生活だったなんて、とても衝撃的だったが・・・
彼の「純で、かぼそい精神」を維持するためには、仕方がなかったのだろうか。
薬物以外に“自己をコントロールする選択肢はなかったのだろうか”と思われ、
本当に残念でならない。
MJは、ある時代の歴史を変えた“不世出のスーパースター”である。
私は、彼の「ステージング」と「メッセージ」に心が揺り動かされるだけで、
それ以上の(MJに対する)特別な感情は持っていない。
しかし、何度観ても、彼のパフォーマンスは、群を抜いて素晴しい。
単純に、観るだけで感動してしまうし、自然と涙があふれてくる時がある。
この現実は、パフォーマンスに彼本人の人間性があらわれているとしか・・・
いいようがない。 歌詞に込められた想いなども、そのひとつだろう。
優しい語り口や、曲ごとに変える歌唱、踊りの技術、躍動感あふれるステージは、
あまりにもMJらしく、個性的すぎて、神々しいぐらいである。
「魅せられる」とは、まさに“こういうこと”だと思う。
彼の伝えたかったメッセージや、密かに吐露している歌詞に秘められた願いは、
時として、胸をゆさぶられる強さがある。
99年、ドイツでのステージは、その年齢(40歳)を、全く感じさせない。
素晴しい身体の動き(ダンス)と、舞台演出で、DVD発売してほしいぐらいだ。
今回、公開予定のロンドン公演リハーサル映画は、果たしてどうだろう。
どんなに忙しくても、観に行かなくちゃ!
世紀のスーパースター、マイケル・ジャクソン!
生き方がどうであれ、考え方がどうであれ、死因がどうであれ・・・・・
今の私にとっては、どうでもいい・・・そんな気がしている。
「あなたは、確実に、素晴しい足跡を残してくれた!」
とにかく、繊細に生き急ぎ、かなり疲れ果てていた(かもしれない)MJを、
やすらかに眠らせてあげたいと、今は心から願うばかりである。
Thank you ! I love you. I love you more.