私は、子どもの頃から「変なことを感じる子」だった。
「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」「遠山の欽さん」とかの時代劇を観ていて、
主人公が窮地に追い込まれると・・・・・きまってこういう場面が出てくる。
悪者が、「出会え!出会え!やっつけてしまえ!」と叫んで、屋敷勤めの侍が
主人公の刃に“ばったばった”と(瞬く間に)切られていくのである。
そうすると・・・(子供ながら)私は悲しみが押し寄せてきて・・・・・
「あの侍さんたちは、何も悪いことをしていないのに、なんで切られるの?」
「きっと家族もいるはずなのに・・・」
切られた侍さんたちは、当然ながらピクリとも動かない。
「死んじゃったのかなぁ?」
「何の罪もないのに、どうして殺すの?」
心がすごく傷ついて、しばらく時代劇を観なくなった・・・。
「娯楽劇」だとわかっていても、今も“その感情”は拭えない。
数年前の「イラク戦争」の時は、冴えたるものだった。
介護人としての意識が根強くあり、また数十年にわたる過度の労働から、すべてに
過敏に反応してしまう傾向があったかもしれないと、(冷静に)当時を振り返る。
精神的にも肉体的にも、私自身はパンクする“ほんの一歩手前だった”と思う。
だから、あんなに反応したのだと、今だからこそ感じるのだ。
「9・11」からの流れで、数々の政治的な問題が噴出した「イラク戦争」―!
某国のあらゆる流れが理解できず、某国の国民の民意も理解できず・・・・・
本当に心を痛める日々であった。
毎日、繰り返されるTV報道に釘付けとなり、頭の中は「反乱(氾濫)状態」。
「どうして?!」
「日本人は、国内でもっと議論をして、世界に存在感を示すべきでは?!」
(重要なことは紙面にも電波にも載らず・・・)
知人と会って、日々の話を雑談しても、私の口からは「イラク戦争」が飛び出し、
場の雰囲気を著しく“ひかせてしまった”ことが何度もあった。
熱意を持って発言しても、その反応に落胆してしまう私は・・・・・その一方で、
(周囲の仲間から)稀有な目線をあびることになったこともある。
ただ、一言。
人間の愚かさに「怒りがこみ上げて、理解できなくて、仕方がなかった」のだ。
たとえ、どんな人にでも、全員に「命」はあり、
その一つ一つは、大変・・・・重い・・・・・と、私は思っている。
そして、その「命の重さ」に優劣は、決してないはずである。
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今日、米国のオバマ大統領の「2009年ノーベル平和賞」受賞が発表された。
私は、冷静に賛辞を贈るとともに、「これから次第だ」ということを、是非とも
肝に銘じて、アメリカを、そして世界を、牽引していっていただきたい!!と、
心から願っている。
オバマ大統領に対する純粋な期待である。
「Yes, We can do it.」と世界に明言したからには、「核のない世界」を目指して、
全身全霊頑張っていただきたいものである。
そのための「ノーベル平和賞」なのだから・・・。
オバマ大統領には、世界のために、まだまだ、たくさんの役目があると思う。
人々が幸せを手にして、餓えることなく生きられるためには、たくさんの役目が
オバマ大統領の肩にのっかっているはずである。
言うのは簡単だが、行動に移すのは大変厳しいことは判っているからこそ、
心から「世界平和」のために、尽力していただきたい。
もう自分の意思に関係なく、罪のない人々が亡くなる現実は・・・みたくない。