映画好き

2009年10月30日 | 自分 -

私は、「映画」が、大好きである。
映画を観続けて、長い時間が経つ。
時間があれば、年間50本~80本は、平均して(継続的に)観ていた。
         (もちろん、父と同居する前のことだが・・・笑)
今はめっきりと数が減った・・・


映画は、映画館で観るのが好きなので、つとめて映画館に足を運んでいた。
なんとも言えない観客の“生の反応”に出会えたり、映画ごとに雰囲気が違うのが
私にとっては“好奇心たっぷりの出来事”だったりしたからだ。
それに、大きなスクリーンで、笑い声やため息、観客の反応と共に鑑賞するのと、
小さなテレビ画面で(DVDで)鑑賞するのとでは、映画の質感も受け取り方も
違ってきてしまうのが、歴然とした事実としてある。

映画の内容に集中したい私は、映画館は一人で行く。

年に一本ぐらいは、マイブームになるぐらい大好きな映画に出会うことがある。
すると、連日、同じ映画を堪能することもあった。(過去では3夜連続が最高)

突然、予定外に、映画館に入り込み、鑑賞することも、しばしばだった。
最近は、シネコンばやりで、座席指定が・・・・私のスタイルを完全に壊す。
「パッと入って、パッと観る!」
これができなくなった・・・。
(日によってではあるが、座席指定するために、列にならぶのが面倒だからだ)
しかし、昨今のシネコンは、会場が綺麗になった。
おしゃれで大きな椅子だし、環境が快適になったことで、一般客が増えたことは、
非常に喜ばしいことである。



昔は、エンドロールのスタッフに敬意を表して、最後まで席は立たなかった。
それが、映画ファンの(暗黙の)礼儀だった。

映画が始まると、ひそひそ声でも、話さないのが(暗黙の)決まりごとで、
できれば終わった後も、大きな声で話したり、感想を言ったりもしなかった。
他の人の感想や、心の余韻を壊さないのが、映画ファンの礼儀だった。
映画館を出るまでは、静かに、周囲に気を遣うのが、映画ファンの姿だったのだ。

これらの、いくつもの礼儀が、いつの頃からか消え去っていった・・・。

「仕方がないのかな」「時代なのかな」とも感じた。
テレビも、コンピューターゲームもある、多様化した環境が・・・
映画の存在を、また映画を観る礼儀を、忘れさせてしまったように思う。
「礼儀」なんてものは、親が子供に、先輩が後輩に叩き込んで教えていたが、
そういうこともなくなってしまったので、引き継がれることも無くなったのだ。
そして、映画の礼儀は、映画ファンから映画ファンに引き継がれるものである。



そういう意味においても、昨日のMJのドキュメンタリー映画を観た環境は、
昨今では、非常に珍しかったように思う。  ――「THIS IS IT.」――
満席だったし、全員静かにスクリーンを見つめて、ポップコーンの匂いもない。
もちろん、会場内では、騒ぐ人も、大きな声で話し込む人もいなかった。
そして、映画中に拍手が巻き起こり、エンドロールにも何度も拍手が・・・。
すばらしい経験だったし、(映画ファンとしては)快感だった。
MJという特別な人に対する“敬虔な想い”が、そうさせたのかもしれないが、
私としては非常に心地の良い映画鑑賞タイムだった。


昔、悦に入った映画や、感動した映画を観ると、エンドロールが終わった後、
拍手が巻き起こっていた・・・。
それも映画ファンの決まりごとのようなものだったが、久しぶりに・・・
昨日はその音を聞いた。(なだらかに沸き起こる拍手の響きが心地よかった)
私も、拍手したが・・・会場が一体となっている感覚が非常によかったと思う。

Thank you MJ!

来週、また映画館にいくよ。 必ず、また行くよ!