倉敷の 美観地区 で、素敵な光景を目にした。

それは、早朝の六時前頃だったと思う。
観光客で賑わう街の風情じゃない、別の感覚が欲しくて、
足を運んだ時のことだった。
早朝は、地元の人たちの散歩コースになっている。
そこには、日中の観光地とは違う横顔があった。
素顔のようなものだ。
一人の婦人が、堀にいる白鳥に声をかけていた。
私も一緒に近づいていくと・・・・
白鳥が より近くに寄ってくる。
人懐っこく、視線を向けて、何かを待っているようだ。
地元のご婦人が、「 パンをくれる人がいるから、ね。 」
と、その理由を 教えてくれた。
しばらく眺めていると、
突然 私の前から す~~っと 音もなく離れていって、
少し先の方に 移動していった白鳥。

一人のおじさんが、パンらしきものを手でちぎって
投げ入れていた。
それを嬉しそうに食べている白鳥を見ながら・・・
「 それは、食パンか何かですか? 」
「 そうだねぇ 」
「 わかるんですね。
待っていたみたいですよ。」
「 そりゃ、何十年もやっているから・・・ 」
朴訥とした口調の “ その人 ” は、どんどん情報をくれた。
「 左がソラ、右がユメ。 」
「 大きいほうが オス。 」
「 そうなんですか。 いい名前ですね。 」
そう声をかけたと同時だった。 パンを与え終えた途端、
挨拶をする間もなく、車で去っていった。
ユメが、水の中の小さな生き物を食べているところは
見たけれど・・・
毎朝、同じように、来る日も 来る日も・・・
こういう光景が繰り返されているのだと思うと、
観光客で賑やかな昼間の風景とは また違う印象を 抱いた。
地元の人が行き交う場所、息づく街並みでなくては、
建築物だけの遺物になってしまう。
街は、人がつくるもの であり、
そこにたくさんの生き物たちが絡んでいる。
大きく育った鯉たち。
ご主人と一緒に散歩する犬。
白壁に巣をつくる蜘蛛。
人のいない道を闊歩する鳩。
いろいろな動物たちが、街と一緒に共存していた。
目を引く白鳥だけではなく・・・。
残念な点としては・・・
日本の原風景を残した建築物が多く残っている地区だから、
雰囲気だけではなく、日本古来の物産店・商店が並んでいると
さらに 「 美観地区 」 のクオリティーはあがるのにと思った。
裏通りの道などは最高なのだが・・・
そこに海外の雑貨を売る店が たくさんあった。
私個人としては 「 日本の独自性で 統一してほしい 」 と
感じてしまったのは事実である。
観光客相手だからこそ、海外の観光客も多いからこそ、
日本古来の文化の延長線上にある商店と出会える方がベターだ。
伝統玩具・てぬぐい・和紙のレターセット・さしこ・いぐさ・和服、
食べ物ならば かき氷・ラムネ・焼鳥・蕎麦・和食店など・・・。
すでに融合された日本オリジナルなら良いが、100%海外物産は、
筋が違うという感じがした。
日本人さえもが もう 今や、簡単には触れられない風景と、
昔ながらの日本文化。
素晴らしい時間が流れる地区である。
メンテナンスに費用はかかったとしても、古民家を再生させ、
ひとつの統一規格による町並みは、経済を活性化させる。
その中に、人びとの “ 日常の暮らし ” があることは当然で、
そんな断片にも お邪魔して 足を踏み入れさせてもらうことは、
本当に貴重な経験になる。
裏町の張り紙一つ、玄関先の植木一つにも 伝わるものがある。

中学時代以来 二度目の訪問となった倉敷 「 美観地区 」 は、
仕事優先主義だった私にとっては滞在できない場所だった。
今度、また ゆっくりと、行ってみたい。