父の体力が落ちている。
週末からずっと体調がすぐれず、自分の思い通りに動けないようである。
何をするにも辛そうに見える。だから、つい手を出したくなってしまう。
私が「介助をする」ということは、もちろん時間が短縮できるし、父としては楽に“こと”が終わるわけで、当然悪いことではない。
しかし、そのことで“(父の)やる気”を削いでしまっているような印象を持つときがある。
それは、父が、私の手助けを待つようになってしまったからだ。
本来、一人で“自分の身の周りのことをやろうとすること”は、非常に大切なことで、
脳細胞や身体のリハビリにもなるはずだ。
すぐには手を出さず、まずは“努力させることも必要ではないか”と思い至り、
・・・今は状況にあわせて対応するようにしている。
父は今、(状態の悪いとき)きちんとズボンがはけない。ちゃんと衣服が着られない。
どうにか“一人でもはける”が、かなりの時間を必要とするようになってしまった。
ショーツ、インナーウェア、靴下・・・身につけるものが裏返しになってしまう。
上着も、パンツも、表側と裏側を反対にして着てしまう。
認識から行動に移すときにイメージがすりかわってしまうのか、表と裏の識別が出来なくなってしまったのか、・・・・・とにかく、数ヶ月前には出来ていたことが“今はできない”。
一年前、すんなりと一人でやれていたことを、“今は(一人で)やろうとしない”。
今日も、トイレの柱につかまって、じっと動かなかった。
“次の行為”をすぐには判断できないようで、しばらくの間じっとたたずんでいる。
1分、2分・・・ぴくりとも動かないので、私も固まってしまう・・・。
その“しばらくの間”が、私にとっては“長い時間に思えてしまう”。
本当に、せつないのだ。
手を出したいと思う自分の気持ちと葛藤しながら、父の動向を見守る。
しばらくすると、トイレのノブを動かして、水を流した。
それを確認して、そっと胸をなでおろす。
こんな何でもないことに、時々、涙がこぼれそうになる時がある・・・。
今日は、判断できたが・・・いつもできるわけではない。
ほんの数ヶ月前には、フツーにできていたのに・・・今は、できないことも多い。
フツーのことが、フツーにできなくなった。
たとえば、ご飯を食べるときに、うまくお箸を使えなくなってきた。
注意力や集中力が低下して、ぼろぼろと胸や太ももに食べ物をこぼしてしまう。
TBSドラマ「寺内貫太郎一家」では、西城秀樹扮する孫が、祖母役の悠木千帆に「ばあちゃん!きたねぇなぁ~~」と叫んでいたが、私はあんな風に指摘することはできないョ。
ただ、その様をじっと見つめているだけである。
以前は、早食いだった父に太刀打ちできなかったのに、今は私の方が早い。
終えた後は、じっと父の食事風景を凝視する。
“今このときの状態”を、記憶にとどめるかのように・・・私は、じっと見ているのだ。
この記憶が、おそらく数ヵ月後には一つの指標となってくれるかのように・・・。
ぼろぼろと胸に食べ物を落としても、父の表情は変わらない。
大きな固まりが膝に落ちたとき、指でつまんで口に運んでいたが、それ以外はほとんど何事もなかったかのように“淡々と”表情を変えずに食事をしている。
それは、「食事を楽しむ」というよりも、「ただ食う」「飢えたから喰う」というイメージである。
その光景を見ながら、いつも「尊厳」という二文字が頭をもたげてくる。
「人間らしい」と言いづらくなった“父の食事風景”を見ながら、それでも「人間としての父」を
確認するかのように・・・。
アフリカでは、三秒に一人の子供たちが、その“生”を奪われている。
飢餓状態に苦しむ彼らにも、豪華な食べ物を平然と残すハイクラスの人々にも、同じ「尊厳」と「人権」が存在するのであれば、当然我が父にも存在するべきものである。
そんな当然のことを「当然だ」と思いながら、それでも当然のように確認していくことで、
私の中に確固としてある“父の存在価値”が、決してゆがめられないように――ただ、ひたすら踏ん張っている自分自身を感じている。
結局、「人間らしさ」・・・なんてものは、
一つのレッテルに過ぎないのではないか・・・と、そんな気がする。
人間社会が植えつけた道理や、自分自身が思い込んだ“モノの見方”が、
いろいろなレッテルをつくり上げていくんだ。
「人間らしさ」も、「父らしさ」も、「私らしさ」も、本来は存在しないもので、
「その時々の自分自身を、出発点とするだけで良いんじゃないのかなぁ」・・・なんて・・・そんな“楽な考え方”を意識しながら、「現実」を見据えていこうと思っている。
週末からずっと体調がすぐれず、自分の思い通りに動けないようである。
何をするにも辛そうに見える。だから、つい手を出したくなってしまう。
私が「介助をする」ということは、もちろん時間が短縮できるし、父としては楽に“こと”が終わるわけで、当然悪いことではない。
しかし、そのことで“(父の)やる気”を削いでしまっているような印象を持つときがある。
それは、父が、私の手助けを待つようになってしまったからだ。
本来、一人で“自分の身の周りのことをやろうとすること”は、非常に大切なことで、
脳細胞や身体のリハビリにもなるはずだ。
すぐには手を出さず、まずは“努力させることも必要ではないか”と思い至り、
・・・今は状況にあわせて対応するようにしている。
父は今、(状態の悪いとき)きちんとズボンがはけない。ちゃんと衣服が着られない。
どうにか“一人でもはける”が、かなりの時間を必要とするようになってしまった。
ショーツ、インナーウェア、靴下・・・身につけるものが裏返しになってしまう。
上着も、パンツも、表側と裏側を反対にして着てしまう。
認識から行動に移すときにイメージがすりかわってしまうのか、表と裏の識別が出来なくなってしまったのか、・・・・・とにかく、数ヶ月前には出来ていたことが“今はできない”。
一年前、すんなりと一人でやれていたことを、“今は(一人で)やろうとしない”。
今日も、トイレの柱につかまって、じっと動かなかった。
“次の行為”をすぐには判断できないようで、しばらくの間じっとたたずんでいる。
1分、2分・・・ぴくりとも動かないので、私も固まってしまう・・・。
その“しばらくの間”が、私にとっては“長い時間に思えてしまう”。
本当に、せつないのだ。
手を出したいと思う自分の気持ちと葛藤しながら、父の動向を見守る。
しばらくすると、トイレのノブを動かして、水を流した。
それを確認して、そっと胸をなでおろす。
こんな何でもないことに、時々、涙がこぼれそうになる時がある・・・。
今日は、判断できたが・・・いつもできるわけではない。
ほんの数ヶ月前には、フツーにできていたのに・・・今は、できないことも多い。
フツーのことが、フツーにできなくなった。
たとえば、ご飯を食べるときに、うまくお箸を使えなくなってきた。
注意力や集中力が低下して、ぼろぼろと胸や太ももに食べ物をこぼしてしまう。
TBSドラマ「寺内貫太郎一家」では、西城秀樹扮する孫が、祖母役の悠木千帆に「ばあちゃん!きたねぇなぁ~~」と叫んでいたが、私はあんな風に指摘することはできないョ。
ただ、その様をじっと見つめているだけである。
以前は、早食いだった父に太刀打ちできなかったのに、今は私の方が早い。
終えた後は、じっと父の食事風景を凝視する。
“今このときの状態”を、記憶にとどめるかのように・・・私は、じっと見ているのだ。
この記憶が、おそらく数ヵ月後には一つの指標となってくれるかのように・・・。
ぼろぼろと胸に食べ物を落としても、父の表情は変わらない。
大きな固まりが膝に落ちたとき、指でつまんで口に運んでいたが、それ以外はほとんど何事もなかったかのように“淡々と”表情を変えずに食事をしている。
それは、「食事を楽しむ」というよりも、「ただ食う」「飢えたから喰う」というイメージである。
その光景を見ながら、いつも「尊厳」という二文字が頭をもたげてくる。
「人間らしい」と言いづらくなった“父の食事風景”を見ながら、それでも「人間としての父」を
確認するかのように・・・。
アフリカでは、三秒に一人の子供たちが、その“生”を奪われている。
飢餓状態に苦しむ彼らにも、豪華な食べ物を平然と残すハイクラスの人々にも、同じ「尊厳」と「人権」が存在するのであれば、当然我が父にも存在するべきものである。
そんな当然のことを「当然だ」と思いながら、それでも当然のように確認していくことで、
私の中に確固としてある“父の存在価値”が、決してゆがめられないように――ただ、ひたすら踏ん張っている自分自身を感じている。
結局、「人間らしさ」・・・なんてものは、
一つのレッテルに過ぎないのではないか・・・と、そんな気がする。
人間社会が植えつけた道理や、自分自身が思い込んだ“モノの見方”が、
いろいろなレッテルをつくり上げていくんだ。
「人間らしさ」も、「父らしさ」も、「私らしさ」も、本来は存在しないもので、
「その時々の自分自身を、出発点とするだけで良いんじゃないのかなぁ」・・・なんて・・・そんな“楽な考え方”を意識しながら、「現実」を見据えていこうと思っている。
目の前の“自分の娘”を認識できない「母」と出会ったとき、私はいろいろなことを感じました。
いろいろなことを感じる「自分」と出会いました。
結局は、娘だから・・・家族だから・・・
変わらない関係があり、絆がある。
どんな姿になってしまっても、母であることに変わりない。
一人の人間として、「人権」も「尊厳」もある。
だけど、感情は・・・
私の心は、「母」を求めていて・・・
やはり、「これまでの母」を求めていたのです。
それも、とても強く・・・。(愛していましたから)
だから、辛くて、切なくて、悲しくてたまりませんでした。
「私の母は、どこへ行ってしまったのだろうか」と思いながら、目の前の人を看病し続けました。
「母であるはずなのに・・・母ではない」・・・そんな複雑な状況(自分の思い)が、私を苦しめ続けたのです。
その張本人は、“私自身”であり、“私自身の気持ち”でした。
私は、今・・・
そういう「過去の記憶」とも闘っているのかも知れません。
moguさん、身内の人間が変わっていくのを見るのは、とても辛いことですね。
気持ちがあれば尚のことです。
そう、おしゃる通り「どんな姿になっても、父は父です」・・・よね・・・。
目の前にいる父が、とても遠くの違う世界に居るようで、いたたまれなかった。
ベッドから降りるにも時間がかかり、歩くのもふらついて直ぐに転倒してしまうのに、トイレに行くのは自力で行きたがった。幾ら尿瓶でここにしてもいいよ!と言っても、トイレに行きたがった。
日々衰えていく父を見ながら、それでも必死に生きようとする姿に、人間の尊厳を感じました。
どんな姿、体になっても、父は父ですから・・・
「昔はできたのに・・・」「以前はこうだったのに、今は・・・」そんな気持ちが、相手の存在を違う見方で見てしまうし、自分の“やるせない気持ち”を増幅させてしまっています。
父も、「すまない」という言葉を連発します。
「昔はフツーにできたのに」と、思っているからでしょう。
私自身は、そんな「過去の記憶」を、しばらく「神棚」に上げさせてもらって、「“今を生きる”ほうが賢明かなぁ」・・・って、そんな気持ちがしています。
できるかどうかわからないけれど、努力はしてみようと思っています。
お母様もお辛いですね。
私のように、過去の記憶と(密かに)闘っているのかもしれませんね。
「しゅうさんは(できる範囲でいいから)お母様を見守ってあげてくださると良いなぁ」と、そんなことを感じました。
いつかは食べさしたりするのかなぁと思うと不安ですね。自分は幸さんみたくなれるのかな~?
今母はこないだ脳梗塞で倒れた母の姉の所に毎日行ってるみたいです。
18も離れた姉さんだから言葉がなかなか浮かばない、浮かんでも口からでない姿をみてかなりショックだと思います。勉強とか教わったみたいだし、僕から見ても頼りになる伯母でしたから・・・
できたことができなくなる姿を見るのは辛いですよね?でもきっと本人は「こんなはずでは!」って思う瞬間もあるんでしょうね。
お互いが辛いんですよね。大変でしょうが、ゆっくり見守ってください。