故郷に帰りたい

2005年11月03日 | 雑感 -
「いつ帰るんか?」
「今度は、いつぞ?」
今日、久しぶりに聞かれた・・・。
父は、“四国に帰りたい気持ち”が、どんどん募ってきている。

しかし、もう「一人で帰る」とは言わなくなった。

今年の五月には、“けんかごし”で言い張って、頑固に主張したのに・・・。
今の父の状態では、“一人では厳しい”と、感じているのだろう。

結局、一人で帰省した五月末は、大変な騒動になってしまった。
車椅子で移動して、完全なケアを準備したつもりではあったが・・・
入れ歯は無くすし、薬は飲み忘れるし、親戚のご厄介になって
ついには救急車で運ばれて「緊急入院」してしまった。
それまで「一人でも“できていたこと”」が、できなくなったのだ。
その事実を突きつけられ、私にとっては非常にショックなことでもあった。

「入院」は、いつも“突然の出来事”だ。
たとえ(入院期間は短期間でも)、私が帰省しないわけにはいかず・・・
スケジュールは大きく狂わされる。
そういうことは、これまでの数年間で何度も何度も経験したことではあるが、
いつも“(私自身の)複雑な感情”に疲れ果ててしまう。


今日、排泄がうまくいかない父に、提案をしてみた。
「泌尿器科にみてもらって、検査してもらおうか」
私の言葉に、父はあきらめたように答えた。
「あかんよ。かわらんよ」
「・・・もうええよ」
去年は頻繁に泌尿器科に出向いていたのに・・・。
自分から「行きたい」を繰り返していたのに・・・。

この反応の変化は、とても大きい。

父の中で、何かが変わりはじめている。
それを感じる。


田舎に帰りたいのは、実家やお墓が気になるだけではないだろう。
勿論、生まれてからずっと過ごしてきた故郷を、父が何よりも恋しいと思うのは当然だが、
おそらく、それだけではないだろう。

今日、私が感じたことは・・・
「誰かに“自分の心情を吐露したい”と思っているのではないだろうか」ということだ。
「隣のマサユキさんに愚痴りたいんじゃないかなぁ」・・・自分自身の身体の状態や、
情けない気持ち、死の恐怖、無常感、そして、日々の複雑な思いを・・・。
  (マサユキさんは、幼なじみで、小学校からの同級生である)
そんな印象を抱いてしまって、私はとても切なくなってしまった。

私が聴いてあげればいいのだけれど、“私には話せないこともある”と思う。
父にとっての“生活”そのものは、まさに「私との二人だけの生活」である。
日々の“愚痴”も“嘆き”も、当然“私がらみの話になってしまう”はずである。
実際、愚痴を聴いた私は、いつも勇気付けたり、前向きに考えて対処するのだけれど、
当事者である父にとってみれば“負担に感じることもある”と思うんだ。
たとえば、元気づけようとしたことが、逆にプレッシャーを与えたりすることもある。
「前向き」ということが、常に“有効的に作用する”とは限らないかもしれない。
私が、父と同じ土俵にたって物事を考えることは、非常に厳しいことだと感じる。
話を聴くことはできたとしても、何の反応もしないわけにもいかず・・・どうしても
私は“自分の感覚で返してしまう”。
そのために、父に対して、何らかの違和感を与えてしまうことは当然だと思うんだ。
それに、「こうすれば良いじゃない」という提案さえも、時として(父にしてみれば)
大きな精神的負担になることもあるのではないだろうか・・・。

だから、「私」ではなく・・・
客観的に聴いてくれる誰かに話したいんじゃないかと・・・そう思ったんだ。
マサユキさんなら、同じ目線と感覚で、父の思いを受けとめられるはずだ。
父は、そういう誰かに、ただ話したいんじゃないかと・・・。


今日の父の“ひとこと”――
「あかんよ。もうええよ」という言葉が、耳から離れない。
その声のトーンや、憂いの加減が、胸に迫るものがあって・・・なんとなく“つらい”。
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2 コメント

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胸に染み入ります (mogu)
2005-11-05 09:55:57
私の父も病状が進むに連れ、あんなにもファザコン(男のくせに)だったのに、「おっかさーーーん」を連呼していました。



会話に出てくる人物は、殆どが昔馴染みのひとばかり。

きっと人生で一番守られ、安心して過ごした時間を思い出していたのだと思います。



sachiさんのお父様も帰りたいのでしょうね、自分が守られていたときに…
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父も・・・ (sachi)
2005-11-06 00:44:13
最近、父は「実家の暮らしの中で接触していた人々」の話をよくするんです。

すると、どうしても昔の話が多くなるし・・・

自ずと、死んだ人の話も多くなります。

自分の「愛する妻―愛ちゃん」のことは、(いつものことですが)頻繁に話しています。



moguさんのおっしゃるように、きっと“人生の中で安心して暮らせていた頃のこと”を、父は懐かしんでいるのだと思います。

当時の生活が、恋しいはずです。



だから、余計に・・・

切なく感じてしまうのでしょうね。
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