函館ハーフマラソンがいよいよ明日に迫った。練習は9/20になんとか18kmほどを走ったきりだ。例年は、その後10kmを1回は走っているが、その後続けて3日間山に登っていたので、その疲れを抜くために3日間全く走らなかった。お陰で筋肉の張りもきれいになくなっている。
おそらく、函館ハーフの参加者でこんなに走る練習が少ない者はいないであろう・・・練習嫌いだが好きな山を登っていてトレーニングになるならこれほど良いことはない・・・ということで、いつものことながら山パワー頼みである。まあ、今年も苦しまないで楽しく走ること、そのために6分/kmイーブン走が目標である。
そこで、調整ランというほどでもないが、10時ごろから、妻と二人で軽く五稜郭公園周回の5kmを走ってきた。体も軽く、足にも疲れがなく、明日はなんとか走れそうな感じがした。
今年から計測用チップのついたナンバーカードが前もって郵送されてきている。前日の引き換えは参加記念品と開催要項だけである。妻にそれらをお願いした。今年のエントリーは、過去最多の4400人だそうだ。そのうち70代男子は85人ほど。
なお、再来年から実施されるフルに合わせてコースや日程が変わることもあり、来年のハーフはコースも変えて6月28日に行われるらしい。
今年の参加記念品はポンチョ…3年前と色が違うだけ…別なものが欲しかった
○函館文学館講演会
14:00から文学館の連続講座「函館・文学の散歩道」の第1回講演会「箱館奉行・栗本鋤雲」に参加。講師はいずれも桜井健治氏。昨年、「イザべラバード」の話を聞いたのもこの講座だった。
栗本鋤雲は、幕府奥詰医師だったが、幕末の1852年に箱館奉行として赴任して以来、6年間函館に在住した。その間、蝦夷地・樺太・千島も巡検し、江戸に戻って昌平黌の頭取、外国奉行になり、軍艦奉行としてフランスへ渡っているうちに江戸幕府が崩壊。帰国後は、新政府からも評価されて出仕の誘いがあったが、幕臣としての忠義を誓い、新政府に仕えることを潔しとせず、12年間の新聞記者ののちジャーナリストとして活躍し、多彩な人生を歩んだ人物である。
今日の講演内容は、箱館奉行としての6年間の箱館で取り組んだ功績が中心だった。
①箱館医学所の建設(市立函館病院の祖)
②七重村での薬園経営
③久根別川を利用した通運
④養蚕事業に着手
⑤フランス領事館付け宣教師メルメ・デ・カションとの親交
なお、今後の連続講座の予定は、第2回「外国人から見た函館」(10/18)、第3回「新島譲と函館」(11/29)。