このたびの御嶽山の噴火の大惨事には、改めて火山の恐ろしさを認識させられた。亡くなられた方々には、同じ山を愛する者として、心より哀悼の意を表したい。さらに、まだ行方不明のままの方々一日も早い救出を祈っている。
さて、下掲の記事は、昨日10/3の北海道新聞(札幌圏版)に掲載された拙筆による連載記事である。紙面原稿は先週の木曜日にできあがっていた。ところが、その翌日に御嶽山が噴火し、大惨事となった。
一昨日の夕方(掲載日の前日)になって、新聞社から電話が入った。「一番最後の段落の部分、内容的にこのタイミングとしてはまずいと思うので、書き換えできませんか?」とのことだった。
書き換える前の元の原稿の最後の段落は下記であった。
「早く規制が解かれ、なんとか死ぬまでにもう一度剣ケ峰や砂原岳に登り、噴火口ものぞいてみたいと思っているのだが、その日は果たして来るのだろうか?」
御嶽山の大惨事がなければ、駒ヶ岳を愛する誰もが共感し、ウンウンとうなずいていただける話のはずだったのに・・・。
このタイミングでは、確かに不謹慎な内容である。担当者からの原案提示もあり、上掲記事のように書き換えたのである。とんだところに余波が押し寄せた大惨事だった。
さて、下掲の記事は、昨日10/3の北海道新聞(札幌圏版)に掲載された拙筆による連載記事である。紙面原稿は先週の木曜日にできあがっていた。ところが、その翌日に御嶽山が噴火し、大惨事となった。
一昨日の夕方(掲載日の前日)になって、新聞社から電話が入った。「一番最後の段落の部分、内容的にこのタイミングとしてはまずいと思うので、書き換えできませんか?」とのことだった。
書き換える前の元の原稿の最後の段落は下記であった。
「早く規制が解かれ、なんとか死ぬまでにもう一度剣ケ峰や砂原岳に登り、噴火口ものぞいてみたいと思っているのだが、その日は果たして来るのだろうか?」
御嶽山の大惨事がなければ、駒ヶ岳を愛する誰もが共感し、ウンウンとうなずいていただける話のはずだったのに・・・。
このタイミングでは、確かに不謹慎な内容である。担当者からの原案提示もあり、上掲記事のように書き換えたのである。とんだところに余波が押し寄せた大惨事だった。