癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

奥州街道(松前道)歩き旅・2日目

2018年11月17日 | 登山・旅行
《3平舘宿~4蟹田宿~5油川宿※油川駅(35.9km)9時間》

3平館宿~4蟹田宿
    
 朝食は早ければ早いほど良いと話したら、なんと6時に用意してくれた。
 今日と明日は素泊まりなので、朝食から豪華なのはうれしい。

 宿の人と話していたら、昔のこの松前街道は、江差などのにしん場へ出稼ぎに行く人で賑わったそうだ。
 また、旧街道を歩いてきたので気づかなかったが、バイパスを1kmほど戻れば、幕末の陣屋跡「おかりや跡」があるという。

    
 6:30、宿を出て、バイパスを戻って「おかりや公園」へ。
 ここは、寛政・文化の頃、辺境警備のために、平舘台場とともに、津軽藩で陣屋を築いたところ。おかりやは御仮屋と書くらしい。 
 今は統合してなくなったが、中学校を建てたので、台場のような立派な松はない。

    
 宿の前をもう一度通り、先へ進むと、少し賑やかな通りとなり、支所、郵便局などがある。こちらの方が宿場の跡かもしれない?

    
 旧街道の雰囲気を残す家並み


    
 街道沿いには、ずっとこのような小さな祠の中に納められた地蔵堂が頻繁に目に付く。平均したら500mくらいの間隔かもしれない。

    
 中はどこも、このようにきれいである。百万遍と刻まれた石も奉られている。

    
 平舘の外れに掲げられた「吉田松陰乗船の場」の看板。何の説明もない。

4平舘宿~5油川宿

    
 9:00、合併する前の平舘村と蟹田町のと境界。今は、三厩村も入れて、外ヶ浜町になっている。しかし、昨日通ってきた今別町を挟んで飛び地合併になっている。

    
 蟹田町塩越地区の国道280号沿いに連なるホタテ養殖の作業場。旧街道は山側に続いている。

    
 左が国道、右が旧街道

    
 旧街道から国道に出たら、今歩いてきた旧街道は東北自然道にもなっていた。

    
 蟹田港は陸奥湾を横断して、むつ市と結ぶフェリーの発着港にもなっていた。

    
 10:10、蟹田町の市街地。これまでで一番にぎやかな町並みだった。この手前の山の方に外ヶ浜町の役場がある。この辺りが昔の宿場があったところだろう。

    
 10:50、蓬田村へ入る。

    
 玉松海水浴場にあった「マルシェよもぎた」で、昼食に煮干しだしのスープの支那そばをたべる。

    
 顕彰や慰霊など、いろいろな石碑が立ち並ぶ玉松台公園。
 松前藩主も休憩したところとのこと。

    
 公園の左奥にある樹齢300年の玉松。拝み石の上から眺めると、幹が輪になって見えることが、名前の由来。

    
 公園の下にある古城の沼。古城の由来不明。

    
 12:35 いかにも村役場といった雰囲気。この辺りが蓬田宿の中心地?

    
 松前藩の参勤交代の休憩所となった正法院。さすがここまてで一番立派な寺だった。

    
 13:10、青森市に入る

    
 昇龍の松。いつも松前藩の参勤交代で宿泊所としてお世話になった赤平家にお礼にあげた盆栽を植えたらこのような立派な松になったとか。

    
 15:30、今日のゴール、油川駅に到着。油川宿の中心部は少し先らしい。明日のお楽しみ。
 次の青森行きの列車まで1時間30分以上もある。歩けば着いてしまう距離だが、暗くなってしまうし、それ以前にこれ以上歩く元気はない。
 ブログを打っていたら、すぐに時間になった。

 17:07の列車に乗り、ひと駅で青森駅。

    
 駅前の一昨日も泊まったホテルニュームラコシに17:30に到着。
 今回は3100円の和室だった。それでも安い。そのせいか、すごく混んでいるようだ。
 まずは、早速足を伸ばして入れる風呂へ。
 ブログをアップできたので、これから近くのコンビニで夕食を調達してくる。

 今日は、距離は長く、午後から少し寒かったが、松前藩の参勤交代ゆかりの場所が3ヶ所もあってうれしかった。