《11野辺地宿~12七戸宿~十和田市※十和田富士屋ホテル(36.4km)9時間45分》
野辺地宿から江戸までは海から離れて、内陸の街道となる。今日は、七戸宿と藤島宿の間の十和田市市街地を通るので、そこに宿をとった。
ちなみに、歩いた距離は、寄り道や道間違いも含めて、GPSで計測した実際の距離である。当然宿場間の距離より長くなる。
11野辺地宿~12七戸宿
6:10、薄暗い中、旅館をスタート。旅館は街道筋だと思っていたが、街道の分岐を過ぎていた。少し戻って、正規の街道を進む。
ここから七戸の郊外で県道173号に合流するまでの16kmほどは、林道や農道などに転用されている昔からの街道が続いていた。山の中の道や廃道になっているところもあり、笹やぶ漕ぎまでした。また、地図では無理で、GPSなどで、何度も確認しなくてはならなかった。
野辺地宿を抜け、「一里塚→」の標識に従って進むと、いきなり未舗装の道となる。その街道は鳴子坂を上っていく。鳴子坂橋の袂には案内板があり、平安から鎌倉時代にかけて、この付近には先人が集落をなして生活しており、一帯は鳴子館と言われていた。また、藩政時代には幕府や藩の要人の送迎に、宿場の主だった人たちがこの付近まできたとのことである。
林道街道を進んでいくと坊ノ塚の一里塚が現れる。案内板には「奥州街道に残された最北の一里塚である」と記されている。
林道は西の塚の外側を通っていたが、東の塚とのまん中には元の街道が通っていて、標識も設置されていた。その両側に続く道の痕跡は残っているが、どちらも藪に覆われていた。
その先では、青森ひばの切り出しが行われていた。
40分くらいで山を越えると、長久保の小さな集落を抜ける。そこから先は舗装道路となる。
その先も林道や農道に転用されていて、山中や農地の中を南下する。
8:45、今日一番のハイライトにぶつかる。
未舗装の道路の先は、街道が切れていることは知っていた。ほかの記録は遠回りの迂回をしている。その道が完全に消えている先へ進んでみた。
人工的に削られて整地された痕跡があり、道の痕跡はなく、その先は笹藪で覆われている。その手前まで下りてみたら、深い川が流れている。
両岸は崖状になっていて、水は少ないが、簡単には上り下りできない。しかし、笹藪は50mもない感じだ。そのために1km以上迂回するのも癪だ。
藪山に比べたら楽なものだ。意を決して、笹にぶらさがりながら、背丈ほどの川に下りる。上るのは大変だったが、やはり笹に掴まってなんとか登ることができた。あとは、笹藪漕ぎだけだ。
蔓が絡んで難儀したが、わずか6分で、反対側の道に出た。
ほっとして歩き始めてまもなく、蒼前の一里塚が現れた。ここは、江戸から176番目とのこと。
畑地の中のその先を進むと道がやはり消えている。ここはGPSの地図で見ても道の続きはない。
この辺りから、七戸郊外の県道に出るまでの部分は田畑に吸収されて分からなくなっているらしい。それに一番近い車道や農道を通っているようだ。
はっきりしているのは、県道173に合流する地点手前の天寿園という老人施設の前を通る道らしい。
10:20、そこを通って県道に出た。
県道173を進み、七戸宿を目指す。
県道173から離れ、直角に曲がって再び合流する前に、原型をきれいに保ったままの天間館の一里塚の間を通る。この欅はこの塚が造られて以来から樹齢360年以上は経つらしい。
これまで、東海道や中山道で多くの一里塚を見てきたが、これほど大きな欅は初めてだ。塚の原型も含めて、全国的にもみごとな一里塚らしい。
七戸中央公園さきの中野三叉路で国道4号に合流する。ここにも、みごとな松並木が残っていた。
松並木が切れた東北新幹線七戸十和田駅近くの国道沿いに、新しい奥州街道の石碑が立ち、そばに、野辺地宿と七戸宿を結ぶ奥州街道の説明板が立っている。
それによると、ここの松並木は国道ができたあとで植えたものらしい。
街道の説明板よると、この間には2本の街道があり、自分が歩いてきた街道は本街道で、もう一本はあとでできた近道と呼ばれているそうだ。
ここと同じ石碑と案内板は向かい側にもあった。
12:00ちょうどに、七戸の道の駅に到着。昼食に生姜焼き定食を食べた。
旧国道と県道を繋ぎ、七戸宿の中心地を目指す。
中心地でまず寄ったのは、青岩寺。この山門は七戸城の城門を移築したもので当時は二層の楼門だったが、大正末期に老朽化のため上層部と袖門を取り去り、今の形になったと解説されている。
境内の巨木のイチョウから舞い散る落葉がきれい。
青岩寺を出て、その先の突き当たりには七戸分庁舎。この後ろに七戸城址があるが、時間不足でパス。
分庁舎の手前には、有形文化財の洋風建築の旧郵便局が建っている。
少し戻って、七戸商店街へ。この辺りが宿の中心地だったらしい。
その商店街の中に目を引く駒泉という造り酒屋。今は商売をしていないようだ。
その1軒破産で、今度は味噌・醤油の山勇商店。ここも営業はしていないようだ。
商店街の外れの橋の手前に、風情のある駒饅頭という和菓子屋がある。天皇皇后両陛下献上とある。これは食べねばと中へ入る。
いろいろな和菓子はあったが、駒饅頭はこの一口サイズの3種類。白餡、赤餡、紅芋餡。ひとつずつ買ったら、1個はおまけして2個分196円にしてくれた。両陛下献上の饅頭を歩きながら食す。
12七戸宿~十和田市
七戸宿を抜けて、国道4号、県道10号と繋いで、ほぼ直進で今日のゴールの十和田市を目指す。
14:05、十和田市に入る。
ここにも立派な松並木が残っている。
やがて、真登地の一里塚。ここは片方しか残っていない。説明板によると、北方4.6㌔に池の平の一里塚があったらしい。気づかなかった。
松前藩主が参勤交代の安全を祈って植えたという土手山の欅。樹齢300年。ここで久しぶりに松前藩ゆかりの痕跡が見られてうれしかった。
なお、十和田市に入ってからも奥州街道の石碑が3本あった。
15:55、十和田富士屋ホテルに到着。素泊まり5000円。まずは、入浴券をもらってすぐ近くのみちのく温泉へ。
その足で、十和田市名物バラ焼きを食べに、超有名店の司へ。
そのせいでブログアップがすっかり遅くなってしまった。
野辺地宿から江戸までは海から離れて、内陸の街道となる。今日は、七戸宿と藤島宿の間の十和田市市街地を通るので、そこに宿をとった。
ちなみに、歩いた距離は、寄り道や道間違いも含めて、GPSで計測した実際の距離である。当然宿場間の距離より長くなる。
11野辺地宿~12七戸宿
6:10、薄暗い中、旅館をスタート。旅館は街道筋だと思っていたが、街道の分岐を過ぎていた。少し戻って、正規の街道を進む。
ここから七戸の郊外で県道173号に合流するまでの16kmほどは、林道や農道などに転用されている昔からの街道が続いていた。山の中の道や廃道になっているところもあり、笹やぶ漕ぎまでした。また、地図では無理で、GPSなどで、何度も確認しなくてはならなかった。
野辺地宿を抜け、「一里塚→」の標識に従って進むと、いきなり未舗装の道となる。その街道は鳴子坂を上っていく。鳴子坂橋の袂には案内板があり、平安から鎌倉時代にかけて、この付近には先人が集落をなして生活しており、一帯は鳴子館と言われていた。また、藩政時代には幕府や藩の要人の送迎に、宿場の主だった人たちがこの付近まできたとのことである。
林道街道を進んでいくと坊ノ塚の一里塚が現れる。案内板には「奥州街道に残された最北の一里塚である」と記されている。
林道は西の塚の外側を通っていたが、東の塚とのまん中には元の街道が通っていて、標識も設置されていた。その両側に続く道の痕跡は残っているが、どちらも藪に覆われていた。
その先では、青森ひばの切り出しが行われていた。
40分くらいで山を越えると、長久保の小さな集落を抜ける。そこから先は舗装道路となる。
その先も林道や農道に転用されていて、山中や農地の中を南下する。
8:45、今日一番のハイライトにぶつかる。
未舗装の道路の先は、街道が切れていることは知っていた。ほかの記録は遠回りの迂回をしている。その道が完全に消えている先へ進んでみた。
人工的に削られて整地された痕跡があり、道の痕跡はなく、その先は笹藪で覆われている。その手前まで下りてみたら、深い川が流れている。
両岸は崖状になっていて、水は少ないが、簡単には上り下りできない。しかし、笹藪は50mもない感じだ。そのために1km以上迂回するのも癪だ。
藪山に比べたら楽なものだ。意を決して、笹にぶらさがりながら、背丈ほどの川に下りる。上るのは大変だったが、やはり笹に掴まってなんとか登ることができた。あとは、笹藪漕ぎだけだ。
蔓が絡んで難儀したが、わずか6分で、反対側の道に出た。
ほっとして歩き始めてまもなく、蒼前の一里塚が現れた。ここは、江戸から176番目とのこと。
畑地の中のその先を進むと道がやはり消えている。ここはGPSの地図で見ても道の続きはない。
この辺りから、七戸郊外の県道に出るまでの部分は田畑に吸収されて分からなくなっているらしい。それに一番近い車道や農道を通っているようだ。
はっきりしているのは、県道173に合流する地点手前の天寿園という老人施設の前を通る道らしい。
10:20、そこを通って県道に出た。
県道173を進み、七戸宿を目指す。
県道173から離れ、直角に曲がって再び合流する前に、原型をきれいに保ったままの天間館の一里塚の間を通る。この欅はこの塚が造られて以来から樹齢360年以上は経つらしい。
これまで、東海道や中山道で多くの一里塚を見てきたが、これほど大きな欅は初めてだ。塚の原型も含めて、全国的にもみごとな一里塚らしい。
七戸中央公園さきの中野三叉路で国道4号に合流する。ここにも、みごとな松並木が残っていた。
松並木が切れた東北新幹線七戸十和田駅近くの国道沿いに、新しい奥州街道の石碑が立ち、そばに、野辺地宿と七戸宿を結ぶ奥州街道の説明板が立っている。
それによると、ここの松並木は国道ができたあとで植えたものらしい。
街道の説明板よると、この間には2本の街道があり、自分が歩いてきた街道は本街道で、もう一本はあとでできた近道と呼ばれているそうだ。
ここと同じ石碑と案内板は向かい側にもあった。
12:00ちょうどに、七戸の道の駅に到着。昼食に生姜焼き定食を食べた。
旧国道と県道を繋ぎ、七戸宿の中心地を目指す。
中心地でまず寄ったのは、青岩寺。この山門は七戸城の城門を移築したもので当時は二層の楼門だったが、大正末期に老朽化のため上層部と袖門を取り去り、今の形になったと解説されている。
境内の巨木のイチョウから舞い散る落葉がきれい。
青岩寺を出て、その先の突き当たりには七戸分庁舎。この後ろに七戸城址があるが、時間不足でパス。
分庁舎の手前には、有形文化財の洋風建築の旧郵便局が建っている。
少し戻って、七戸商店街へ。この辺りが宿の中心地だったらしい。
その商店街の中に目を引く駒泉という造り酒屋。今は商売をしていないようだ。
その1軒破産で、今度は味噌・醤油の山勇商店。ここも営業はしていないようだ。
商店街の外れの橋の手前に、風情のある駒饅頭という和菓子屋がある。天皇皇后両陛下献上とある。これは食べねばと中へ入る。
いろいろな和菓子はあったが、駒饅頭はこの一口サイズの3種類。白餡、赤餡、紅芋餡。ひとつずつ買ったら、1個はおまけして2個分196円にしてくれた。両陛下献上の饅頭を歩きながら食す。
12七戸宿~十和田市
七戸宿を抜けて、国道4号、県道10号と繋いで、ほぼ直進で今日のゴールの十和田市を目指す。
14:05、十和田市に入る。
ここにも立派な松並木が残っている。
やがて、真登地の一里塚。ここは片方しか残っていない。説明板によると、北方4.6㌔に池の平の一里塚があったらしい。気づかなかった。
松前藩主が参勤交代の安全を祈って植えたという土手山の欅。樹齢300年。ここで久しぶりに松前藩ゆかりの痕跡が見られてうれしかった。
なお、十和田市に入ってからも奥州街道の石碑が3本あった。
15:55、十和田富士屋ホテルに到着。素泊まり5000円。まずは、入浴券をもらってすぐ近くのみちのく温泉へ。
その足で、十和田市名物バラ焼きを食べに、超有名店の司へ。
そのせいでブログアップがすっかり遅くなってしまった。