思っているより疲れていて仕事のため早起きしたが集中力続かず。持ち直すが思いがけないミスに慌てる。……本日より、午後から夜まで長丁場の稽古。……今回の新作公演の半分、清中愛子による原テキスト『宇宙みそ汁』は、現代詩として書かれている。それでも演劇のテキストになる。私はいっさい書き加えはしていない。それゆえの「構成」における荒技が必要となる。稽古していて、これはどうも今までやったどの芝居に一番近いかといえば、かつて沢野ひとしさんの言語作品を構成して台本にした「『放埒の人』はなぜ『花嫁の指輪』に 改題されたか あるいはなぜ私は引っ越しのさい沢野ひとしの本を見失ったか」にテイストが近いと、あらためて思う。稽古場でそう呟くと「想定通りでしょう」という、皆の突っ込み。なるほど。ということは、沢野ひとしと清中愛子は似ているのかもしれない! ユーモアと自己韜晦と真剣みのバランスが沢野≒清中説を裏付ける。もちろん両者は全く違う人格と表現なのだが、私と相性が合うという一点だけでもどこか「相似」しているのではなかろうか。……ところで「『放埒の人』はなぜ『花嫁の指輪』に 改題されたか あるいはなぜ私は引っ越しのさい沢野ひとしの本を見失ったか」というのはいかにも長い題名だが、「世界一題名の長い演劇」にしようと思ったから、そうなっている。我々の間では略称『放埒(ほうらつ)』で通用している。……ちなみに世界一(日本語としてだが)題名の長い映画はピーター・ブルック監督『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』であり、こちらは『マラー/サド』と略されている。私はこの映画を高校生の頃に自主上映したことが演劇に向かう潜在意識に影響しているのではないかとどこかで自らを疑っている。……写真は『宇宙みそ汁』が収録された詩集『宮の前キャンプからの報告』。使用された紙も清中さん自身が漉いた完全自作詩集である。
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