Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「劇場都市TOKYO演劇祭」の「企画概要」は書き換えられています

2022-02-01 | Weblog

私が1月27日付のブログ(「反権力」が演劇の未来を阻害していると決めつける「演劇祭」だという)の中で引用した「劇場都市TOKYO演劇祭」の「企画概要」は、現在は、書き換えられています。

どう変えられたかは、読み比べて下さい。

そして、このように「企画概要」の根幹の部分を書き換えるにあたって、「演劇祭」中枢にある者が、関係者や参加団体の承認を得ているのかどうか、明確にしていだきたく思う。演劇祭の「企画概要」を知らぬまま巻き込まれてしまった者も、いるかもしれないからだ。じっさい、一部からそういう声が届いている。

さらに言えば、東京都に提出し結果として助成が認められたこの演劇祭の企画書には、審査段階でどちらのバージョンが出されていたのか、あるいはさらに別な企画書だったのか、明確にしていだきたく思う。

 
「反権力」が演劇の未来を阻害していると決めつける「演劇祭」は、表現の自由への抑圧に加担するものだ。「企画概要」を慌てて書き換え隠しても、その考え方を持った者が中枢に残っているままなら、この「演劇祭」が表現の自由を抑圧する思想のもとに行われているという状況は、変わらない。
 
 

 

1月27日時点の「劇場都市TOKYO演劇祭」の「企画概要」文は以下の通り

企画概要
東京都は大中小の劇場数数百を誇り、面積比、人口比としても世界有数の演劇都市である。
しかし、演劇自体が日常において浸透をしているかというとそれは残念ながら否であり、その状況を今回コロナウィルスの感染症という災厄に晒される中で演劇界は嫌というほど思い知った。 
もちろん、演劇作品は疑似的世界であり、その多くは非日常のエンターティメントを楽しんでもらうことが1つの要素であるが、多くの人生において不必要なものにカテゴライズされてしまうことは演劇界の未来にとって大いなる損失である。 
その要素の1つがかつて反権力が演劇や芸術の要であるかのような謂れを受け、今も根強くそのような言動が蔓延ることであるが、演劇が一般社会においてそのような印象を持たれることはその分野の未来的な展望を阻害することに他ならない。
本来であればその権力というものにさえ左右されずに羽ばたけるものが、自身の構築した鎖によって自由と世界の広がりを失い、結果として今の演劇は公共、大衆というものから大きくかけ離れている。 
演劇や劇場がその鎖を解き放ち、公共的な繋がりを広げ、街や社会と大いに融合をしていく中で本来の魅力を大いに発揮することが出来るように、多くの方々の人生においてもかけがえのないものに演劇が存在することを目指し、この演劇祭を開催するものとする。

 

現在のWebサイトに載っている「劇場都市TOKYO演劇祭」の「企画概要」文は、以下の通り。

企画概要

東京都は大中小の劇場数数百を誇り、面積比、人口比としても世界有数の演劇都市である。
しかし、演劇自体が日常において浸透をしているかというとそれは残念ながら否であり、その状況 を今回コロナウィルスの感染症という災厄に晒される中で演劇界は嫌というほど思い知った。  

もちろん、演劇作品は疑似的世界であり、その多くは非日常のエンターティメントを楽しんでもらうことが1つの要素であるが、多くの人生において不必要なものにカテゴライズされてしまう ことは演劇界の未来にとって大いなる損失である。  

その要因として日本演劇が時代を経ていく中で受けてきた様々な印象が残ることもある。
特に中小規模の劇場演劇については広く一般の方々に認知をされているとは言い難く、社会において そのような印象を持たれることはその分野の未来的な展望を阻害することに他ならない。本来であれば何もの左右されずに羽ばたけるものが、自由と世界の広がりを失い、若き演劇人の未来を奪い、結果として今の演劇は公共、大衆というものから大きくかけ離れている。  

演劇や劇場がその鎖を解き放ち、公共的な繋がりを広げ、街や社会と大いに融合をしていく中で本来の魅力を大いに発揮することが出来るように、多くの方々の人生においてもかけがえのないものに演劇が存在することを目指し、この演劇祭を開催するものとする。  

また、この演劇祭は一過性の物ではなく翌年以降も参加劇場を増やしていく中で継続開催をしていくと共に各自治体はもちろん国家としてもこの演劇、そして劇場というものを国家の大いなる文化資産であり、観光、教育、また強いては日々の豊かな生活を送る上で大きな力を有することを世に認知してもらえるような演劇の未来を切り拓くことを目指す。

 

 

私の1月27日付のブログ 

https://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/55871b601619987bcc37064708c70d06

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピンク地底人3号が、岸田國士戯曲賞最終候補に。

2022-02-01 | Weblog

ピンク地底人3号から、岸田國士戯曲賞最終候補になった、との報せ。とても喜んでいる。

おお。

何しろ、ピンク地底人3号、である。

かなり前から、京都にそういう名前の演劇人が登場し、信頼できる知り合いが推している声も、聞いたことがあった。その後、劇作家協会がらみで出会うことになる。

ピンク地底人3号、である。

つきあいのあるここ数年ですっかりその名前でやりとりすることに慣れてしまったが(3号、と略して言うことが多い)、最初に名前を聞いたときのインパクトを思い出す。

名称としては、夫婦別姓とか、名字か名前かという混乱とか、そういう問題を超えている。「イチロー」が「イチロー」であるということと同じである。

彼は今秋、青年座への新作書き下ろしも決まっている。今年は3号の年になる、という気がする。

 

 

 

 

第66回岸田國士戯曲賞最終候補作品一覧(作者五十音順、敬称略)

小沢道成『オーレリアンの兄妹』(上演台本)
笠木泉『モスクワの海』(上演台本)
加藤シゲアキ『染、色』(上演台本)
瀬戸山美咲『彼女を笑う人がいても』(「悲劇喜劇」2022年1月号掲載)
額田大志『ぼんやりブルース』(「悲劇喜劇」2021年11月号掲載)
蓮見翔『旅館じゃないんだからさ』(上演台本)
ピンク地底人3号『華指1832』(上演台本)
福名理穂『柔らかく搖れる』(上演台本)
山本卓卓『バナナの花は食べられる』(上演台本)

 

https://www.hakusuisha.co.jp/news/n45563.html?fbclid=IwAR1QKTJzHn2hmPKTjvmTUkpwE4-iPu6vEM0UIgogFb7SwvcDqAK9fOQum3g

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする