「五十、六十は、洟垂れ(はなたれ)小僧」というのが、父の口癖だった。
そう覚えていた。
父は高校の美術教師で、画家であった。
父の絵描きとしての師は、佐竹徳先生で、岡山・牛窓の山の上の赤屋根のアトリエで絵を描いていたこの師を慕って、父も定年後、牛窓に引っ越した。
佐竹徳先生は、百歳でお亡くなりになった。
百歳の大先輩から考えれば、「五十、六十は、洟垂れ(はなたれ)小僧」というのは、もっともだし、普遍的には、大人になってもまだ先がある、謙虚に、勤勉に、という意味だと、理解していた。
ところが。
このフレーズが、じつは、ポピュラーなもので、しかも、ちょっと違っていて、
「四十、五十は洟垂れ(はなたれ)小僧、 六十、七十は働き盛り 九十になって迎えが来たら 百まで待てと追い返せ」という渋沢栄一氏の言葉が、その元になっているものだということが、なんとなくわかっていたが、ようく見てみれば、
「五十、六十は、洟垂れ(はなたれ)小僧」
ではなく
「四十、五十は、洟垂れ(はなたれ)小僧」
がオリジナルだということに、あらためて気づいたのである。
父は、自分が五十、六十歳になって、「まだまだだ」と自分に言い聞かせたのであろう。
まあ、洟垂れ小僧=若い時代を延長させたかったのかもしれない。
ただ、もっとおそろしいのは、私が 「四十、五十は、洟垂れ(はなたれ)小僧」を「五十、六十は、洟垂れ(はなたれ)小僧」と思い込んで覚えてしまったのかもしれないということだ。その場合、若い時期を延長したいという願いは、私自身のものだということに、なる。
「六十、七十は働き盛り」でも、「五十、六十は、洟垂れ(はなたれ)小僧」であっても、還暦過ぎた身としては、まだまだだな、と、我が身のことを思うのみである。
渋沢栄一氏が来年から新たな1万円札の図柄になることから、やがてこのフレーズのオリジナル「四十、五十は、洟垂れ(はなたれ)小僧」が、広く流布されるのだろうな。
写真の絵は、父が二十代で描いた絵だ。確か大阪のはずである。鉄路なのか。作業場なのか。労働絵画に傾倒していた頃かもしれない。その後の絵は、すっかり作風が変わるのである。