Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

映画 『ルート29』を体験する

2024-09-19 | Weblog
予備知識なしで、映画 『ルート29』を観た。
予備知識なしで観るというのは、いいものだ。
先の展開がわからぬまま、先入観なく観られるし、ということである。

しかし、まあ、あまりにも想定外のことが起きる映画で、なんとも不可思議な体験だった。
そういう体験をしたい人は、以下は読まないでくださいね。

綾瀬はるかが主演なのだが、渋いピンク色の作業服というか制服のツナギだけで、通す。言葉は少ない。とにかく、彼女の、すっとした表情が、この映画のあらゆる不条理を乗り越えて、こういう世界があるのだから、とにかく続きを観るしかない、という気持ちにさせる。数日間の逃避行で山の中も歩くし、風呂も入っていないから、顔の皮膚から粉が吹いたっておかしくないのだが、とにかく最後まで、顔はつるん、目はきょとん、としている。それはたんに、この映画が、そういう世界なのだ、というだけのこと、なのである。受け入れるしかないのである。

「女の子」と言われているのに、少年にしか見えない、大沢一菜の存在は、尋常ではない。こんなのは、観たことがない。あまりにもそれが自然だからだ。この映画の後に大沢一菜のデビュー作『こちらあみ子』を観ると、こちらは、まあ、いちおう、女の子に、見える。『ルート29』の性別不詳は、もちろん意図的なはずで、途中まではリアリズムの映画と思って油断していると、とんでもないところに連れて行かれるのだが、その、観客を異界に誘うスイッチは、この人物の存在を受け入れた時点で、既に入っているのである。

大沢一菜・森井勇佑監督のコンビは、『こちらあみ子』に続くものということだが、『こちらあみ子』を観た人はそれなりに心の準備ができていると思うが、いきなり『ルート29』を観ると、まあ、途中から、本当に、困惑させられる。最初の二十分くらいまでは、基本はリアルに行くのだろうと思っていたからだ。それはそれで面白く観ていたのだが、犬を連れた女性の登場で、ちょっと、認識が噛み合わなくなる。犬はいいし、犬のことを「外に御願いします」と繰り返し言う店員もいいし、設定はまあいいのだが、その後の展開で、ちょっと、受け入れられなくなる。もう少しリアルの方で「ずれ」を作っていると思っていたからでもある。そういう意味では、ちょっと違和感のあるシークエンスは、他にもないわけではない。

だが、やがて、この映画が、たんに理不尽さを押しつけるのではなく、ジャンルとしては、鈴木清順の系譜に当たるのだという感じであることに、ふっと、気づいて、その瞬間から、その後は、すっと、受け入れられるようになる。
市川実日子も、堂々としているし、ごく僅かな出番ながら、渡辺美佐子も、この不条理な世界を、ごく自然にあるものとして、受け止めてみせている。
そして、「ルート29」は、姫路と鳥取を結ぶ国道29号線のことで、隣県出身者としては親しみも湧くし、身近なはずの風景なのだが、映画としては特別な時間が過ぎていくから、ここはどこ?となる。

製作はリトルモアだから、かつての同級生というか、悪友・孫家邦が、企画製作者である。
予備知識なしで観たといったが、美佐子さんが出ていることは、孫くんに聞いていたので、実は知っていたのである。
昔は演劇もしていた孫くんは、荒戸源次郎事務所・鈴木清順監督の映画をきっかけに、この世界に入った人なので、この映画が「新しくリアルな鈴木清順」みたいなものだと考えることは、あながち間違っていないのであろう。
『ツィゴネルワイゼン』や、孫君が大車輪だった『夢二』というよりは、どこか、鈴木清順監督が松竹で撮った『悲愁物語』に近いような気も、してきた。
だが、明らかに二十一世紀の映画で、映画がデジタルになって以来の新たな「常識」であるかのような「リアリズム」を選び、そのことは、確かに、活用されている。


劇場公開は、2024年11月8日。一般観客からどういう反応が出てくるのだろうと、楽しみである。
少なくとも私は、物語の展開に奉仕するような動きをいっさいしない綾瀬はるかは、他の作品で観るより魅力的であると感じた。
物語に奉仕しない、ということの美点を無意識に書いたが、物語に罪があるわけではない。表面的な「リアリズム」の羅列なら、それも御免である。
とにかく、新たな可能性を感じたいし、信じたい。
それだけである。


コメント
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