目を疑いました。
どうした朝日新聞。
一面に「昭和天皇記念館の改修費募る」って。
そして、松任谷由美による「賛同者メッセージ」。
昭和天皇記念館の改修費を募る募金の募集広告ですよね?
まさか、新聞の一面に全面広告ですか?
あるいは、朝日新聞が「記事」として載せたのですか?
大本営発表?
広告だってよくないと思いますが、誰からも広告費をもらっていないとなると、朝日新聞が「改修費募金の一面広告」の広告料数千万円をカンパしたことになりませんか?
「昭和の時代 戦争はいつも隣に」というのが大見出し。
そして、「(松任谷由美が)自身の生い立ちや思い出に重ね「振り返ると戦争はいつもすぐ隣りにあったような気がします」と、昭和の時代の激動と繁栄に思いをはせた」と本文にある。
なんだか「戦争」が「昭和」を象徴する「よい思い出」みたいに響くんですけど?
「いつも隣に」あってはいけないものでしょう、戦争は。
しかも「戦争」は、今も世界の複数の国で継続されていて、過去形ではなく現在、日本も深く関与しているのですよ。
この記事のリードは、以下のようになっている。
↓
「昭和への改元から100年となる2026年に向け、東京都立川市にある昭和天皇記念館が大規模改修の費用を募るため実施しているクラウドファンディング(CF)に、シンガー・ソングライターの松任谷由実さんが「今だから見える戦後、今の世界情勢の中で知っておかなくてはならない時代です」などとメッセージを寄せた。 」
ちょっと待て。「昭和の戦争」のことを、「今の世界情勢の中で知っておかなくてはならない」と、決して「反戦」の意味とはとれない言い方で表現しているのではないか。松任谷「メッセージ」も、記事本文も。
「八王子市出身の松任谷さんはメッセージのなかで、かつて祖父と一緒に天皇が眠る武蔵野陵(当時の多摩御陵)を散歩したと懐かしんだ。」
だから何なんだ。「祖父との思い出」と美化して、「天皇の墓」を価値あるものとして受けとらせようとしていないか。
「記念館がある国営昭和記念公園の場所には、1977年に全面返還されるまで米軍立川基地があった。松任谷さんは10代の頃、毎週末のように米軍立川基地を訪れていたという。当時日本では手に入らなかったロックのレコードに夢中になり、アメリカ文化や若者を中心とする文化に影響を受けたと振り返った。」
彼女は「いつしかベトナム戦争の終焉(しゅうえん)とともにフェンスの向こうのアメリカは姿を消し、あるときから立派な公園になりました。」と、自然な変遷のようにいうが、この公園の設立の経緯を辿れば、日米安保に反対する闘争、ベトナム反戦闘争、それらにつらなる立川での米軍基地反対闘争によって獲得された場所が、一部は陸上自衛隊立川基地として米軍から日本に返還され、残りの部分は、昭和天皇在位50年記念事業として、昭和天皇を記念する公園となったのである。
自衛隊立川基地に関して言えば、基地の名目の所有者が変わっただけである。そして昭和記念公園は、ただの公園ではない。緊急時に関東地方の軍事ネットの中心として使用できるように考えられていて、第二首相官邸もある。
昭和天皇記念館は、この公園内にある。建設を進めてきたのは1991年に設立された昭和聖徳記念財団である。この財団の前身は、昭和天皇崇敬会。昭和天皇を「終戦の御聖断」により国民を「救済」し、地方巡業で国民を「鼓舞」し、民心を「安定」させ、その存在が国民の「活力の源」であったと賛美する団体である。日本のアジアへの侵略の事実、統治・統帥権者、戦争指導者としての昭和天皇の戦争責任は隠蔽される。
戦争について決定権を持っていた者は、決して「歴史に翻弄された被害者」ではない。「戦争責任」というものは、確実に存在するのだ。「戦犯」として死刑になった者も、いるのだ。
もはや「過去」「歴史」だから善悪を問うまい、という考え方は、通用しない。 ドイツには、決して「ヒトラー記念館」は、存在し得ないのだ。
松任谷由実が寄せた「賛同者メッセージ」。「米軍基地から、休日になると外国人がたくさんやって来ました。朝鮮戦争が始まっていました。そして10代になった私は、立川基地の近くに住む幼馴染の日系人家族の車で、毎週末のように基地の中まで連れて行ってもらいました。広く長い滑走路、映画館、フットボールコート、ボウリング場、プール、デパートのようなPXはどの売り場もカラフルな商品で溢れ、私はまだ日本で手に入らないロックのレコードに夢中になりました。豊かなアメリカ文化と同時に、カウンターカルチャーの影響も多分に受けたと思います。」という彼女の感覚は、そうして「アメリカ」の反映の上澄みを享受した記憶を美化するばかりで、米軍に占領され、絶対権力としての「アメリカ」に蹂躙されてきた、沖縄等の苦難には、まったく思いが及ばないのであろう。
どうやら彼女は皇室との縁が深いらしい。「大喪の礼」の思い出を綴るが、その日に関しても、私とはまったく違う体験である。その日の記憶を元に「私は日本人に生まれて本当に良かったと思いました」として紡がれる言葉は、空疎かつ無根拠であり、保守的な現状を手放しに肯定しているだけに過ぎない。
「昭和の平和と繁栄は、昭和天皇の言い尽くし難いご苦労とご尽力があってのこと」という根拠は、まったく存在しないし、そのような関わりを可能とする権力が昭和天皇に備わっていたとしたら、それは憲法違反でしかない。
「私は今回の昭和天皇記念館を永続発展させる試みを心から応援いたします」という彼女の言葉を、無批判に掲載し募金の広告をする新聞社が、報道の自由を守れると思いますか?
私自身は、一九八○年代前半、昭和記念公園開園反対闘争を、支援する者でした。
四十年経っても、その時の思いは、変わりません。
https://www.asahi.com/articles/DA3S16026438.html