なぜ先週、高知にいたのかというと、複数の理由がある。
その一つは、12月24日に高知地裁で、ビキニ被ばく船員訴訟第10回口頭弁論が
あったからである。
70年前、ビキニ環礁で行われた水爆実験で高知県の漁船も被ばくした。
元乗組員や遺族が「元乗組員らの精神的な苦痛に対しては、日本の法律の民法が適用されるべきだ」と主張し、国に補償を求めてきた。
この日は、室戸から第二幸成丸の元被災船員である久保さんが来られて、意見陳述された。
国側は「『日米合意』から20年という除斥期間が経過しているため損害賠償の請求権は消滅している」という立場を強調している。
被ばくの事実、被害は、消えない。潜伏期間もある。69年前の一方的な「日米合意」で補償を終えたとする考え方は、認めがたい。当時、高知の船は、補償の対象にさえなっていないのだ。
「除斥期間」20年が過ぎていることを盾に、審議そのものを拒否しようとすることは、冷酷非情である。
70年前の被害を証明することは困難であるが、東日本大震災時の原発事故でもこれからも注視されるはずの「低線量被ばく」に向き合うことにもつながる、重要な裁判である。
「政府が、被ばくした可能性のある船員について、もう少しちゃんと、長い目で健康検査をしてくれていたら、私の友だちも早死にすることもなかったのではないかと思うと、とても悔しいです。」という元被災船員・久保さんの切実な言葉が、忘れられない。
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