黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

六弥太神主の二宮赤城神社

2019-10-04 15:31:19 | 赤城神社

今朝は久しぶりに雨になりました。

ひめちゃんと獅子丸は、少し小ぶりになるのを待って出掛けました。

堀之内を北に出て、内曲輪跡の西を歩いてきました。

神社の方から、小学生の列がやってが来ます

ひめちゃんは逃げる体制です。

「すぐちょっと通り過ぎちゃうよ。ちょっと待ってようね。」

交差点かなり前で、待機です。

そわそわしながらも、通り過ぎるのを待てました

獅子丸は、子どもが苦手だということはないようです。

 

 

 

赤城神社の本宮ではないかという説もある、二宮赤城神社を訪れました。

さすがの雰囲気です

参道を進みます。

あれ、神社なのに鐘楼堂がある

どうしてでしょう?

参道には灯籠がいくつもあります。

重い灯籠をささえる邪鬼がかわいいです

 

いよいよ向こうに社殿がみえてきました。

向こうにクラシックな建物がみえます。

 

赤い「じんだい橋」を渡りると、左に神社の由緒があります。

日本武尊(やまとたける)が東征の時に2泊した所だとあります

 

随身門をくぐります。

 

門をくぐってすぐにプレハブの社務所(?)があります。

無人ですけど、「御用の方はブザーをならしてください」とあります。

御朱印を頼んでおこうと、何度もならしましたけど、反応はありません

 

まあ、とにかく参拝です

 

拝殿です。

 

本殿です。

 

本殿の裏にもしっかり廻りました。

二宮赤城神社の前橋市の文化財という大きな掲示板があります。

さっきあった鐘楼堂の梵鐘は、神仏習合の時代に奉納されたものだったのですね。

宝塔(赤城塔)は南北朝期のものと考えられるとあります。

 

そばに宝塔(赤城塔)があります。

写真と少し形が違います。

崩れ落ちてしまったのでしょうか?

 

広い境内を、貸し切りで散策です。

人の影はまったくありません

さっき見えたクラシックな建物が気になります

どうもこちらが本来の社務所のようです。

人の影が動きました

「こんにちは。御朱印いただけますか?」

年配の神主さんが出てきて、さっきのプレハブの社務所に行きます。

跡をついて行って、御朱印帳を渡します。

神主さんは終始無言です。

待つことしばし、御朱印帳がさしだされました。

神主さんは無言です。

「300円でいいですか?」

神主さんはうなずいて、無言で受け取りました。

御朱印です

一緒にいただいた由緒書きにまたビックリです

「六弥太神主について」という一項があって、

当神社は一時(天正年間)焼打ちにあい荒廃していたが、岡部忠澄が起こした六弥太氏の子孫が何時頃かさだかではないが、この地に移り住み慶長十六年(1611)に六弥太左衛門尉重次が吉田神道の裁許状をとり神社を再興し、その後近代の一時期を除いて代々社家として続いている。

神主さん、岡部六弥太忠澄(おかべのろくやたただずみ)の子孫だったんですか

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三夜沢赤城神社(たわら杉と上泉伊勢守)

2019-06-18 16:16:46 | 赤城神社

獅子丸は、とりあえずぬいぐるみ的なものをもらいました。



犬に与えるぬいぐるみには、いろいろな配慮が必要です。
これは、少し前にジョイフル本田のペットショップで購入してきたものです。
ひめちゃんにあげると、すぐに解体新書してしまうので、待機していたのです。

タバサねーちゃんに負けないウエルカムダンスです




元号が変わってしまいましたけど、平成31年4月27日の参拝です。
国道353号線沿いに、「風の駅やげんじ」があります。
まあ道の駅です。




周辺の案内図をみると、三夜沢(みよさわ)赤城神社がすぐです。
久しぶりに寄ってみよう

次の信号をまっすぐ北上します。
鳥居の脇が駐車場です。




周辺の案内図で、現在の位置を確かめます。



神社の由緒もあります。



赤城神社の本宮と推測されるうちの一つということです。

狛犬も落ち着いて威厳があります。



神代文字の碑があります。

一般に日本民族は感じが伝わる以前は、文字というものをしらなかったとされているが、伝説では神代文字という者があったとされ・・・・・・





さらに進むと、藤原秀郷(俵藤太)が平将門を討伐するために、上野国府に向かう途中、献木として植えたという「たわら杉」です







大きくてとても一枚の写真に収まりません


本殿も神聖な空間という雰囲気です





参拝をすませてうろうろしていると、ビックリするものがありました。






剣聖上泉伊勢守は赤城山中で修行したといわれていますけど、ここだったのですか



久しぶりに落ち着いた清浄な空気を味わえました

御朱印をいただいて帰ります。





下界に降りる途中(参道沿いの道)、レンゲツツジが咲き始めていました





そういえば、秀郷に討伐された、将門の故郷に行ってきたことがありました






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もしかしたら赤城神社の小林石造大日堂

2019-04-05 22:23:48 | 赤城神社

今日は暖かい一日でした。
あちこちで桜が見頃になっているようです。
昨日の葛塚の桜と赤城山のコラボです。



堀之内の西側になります。
ひめちゃんたちは、よくここを通ります




笠懸のカタクリの花を見た後、そのまま西に向かいました。
よいお天気で、誘われるように脇道に入ってしまいました。
あれ、石造物がある
集会所らしき建物もあります。





「小林の石造大日堂」とあります。
この石宮が大日堂なのです
大きくて立派です。
残念ながら邪魔なおじさんが映っていないので大きさは実感できません。

いちおう桐生市の指定文化財にもなっているということで、市のHPに大きさがあります。
堂身は高さ65センチメートルで幅は61センチメートル、奥行き62センチメートルあります。~中略~総高は2.6メートルあり、道内には高さ60センチメートルの大日如来が安置されています。


大日様、ちょっと失礼します。






本来は、ひざまずいて合掌するべきなのでしょうけど、立ったまま合掌です。


周りには石造物がいっぱいです。





大黒天、馬頭観世音、赤城大明神、為朝大明神(ためともだいみょうじん)、庚申塔などです。
赤城大明神の社額もあります
ということは、ここは赤城神社だったかもしれません

桐生市新里町小林は、ひめちゃんちのある堀之内を含んだ山上(やまかみ)の南になります。
当然ながら、赤城山も背景になります。



石造物はあちこちから寄せ集められた感じもします。
為朝大明神は、よそではあまり見ません。
滝沢馬琴の『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』の影響でしょうか?
『椿説弓張月』は、とにかく人々に大反響だったらしいですから。
馬琴の歴史小説としては最初の作品で、次に書いたのが『南総里見八犬伝』だそうです。
ここには、為朝伝説はないようです。


南は低地になっていて、工業団地が造成されています。



つい先年まで、田んぼだった様な気がするのですけど。

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