黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

地域を守った御神木(赤堀・飯玉神社)

2020-08-31 20:37:41 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社の向こうの高台に行こうとしています。

左の森は山上城、右奥の森は膳城です。

クンクン、きょうだい仲良く情報収集です。

この間の日本犬ミックスが通ったかな?

ひめちゃんが、振り向きました。

小次郎パパとタバサねーちゃんがやって来たのです。

今朝は少し曇っていたので、パパも頑張って来れたようです

 

 

鎌倉時代に上野国山上の行仙上人によって編集されたという『念仏往生伝』には、(旧佐波郡赤堀村の)赤堀の人が出てきます。

彼らはどこに居たのか?

一番可能性が高いのは、市場町の地名のあたりと思われます

 

赤堀のことは隣村ですけど、ほとんど知りません。

市場町の周辺の地図を眺めると、西方に粕川が流れ、飯玉神社があります。

市場町ではありませんけど、飯玉神社と粕川せせらぎ公園に寄り道です。

 

まず国道50号線赤堀橋で、粕川と鏑木川の合流地点を確認です

粕川は赤城の小沼から流れ出し、はるばるとここまでやって来ました

そして、まだまだ旅は続きます

鏑木川は新里の山奥から流れ出し、山上の東の方を流れて、赤堀城の脇を流れて、ここで粕川に合流します

 

赤堀橋の信号で、南に下ります。

せせらぎ公園脇を南下してまもなく、参道脇から飯玉神社の駐車場に入れます。

お隣が工事中で、なんとなく落ち着きません。

鳥居から入り直しです

こじんまりとしたこぎれいな社殿です

 

御神木が2本あるようです

御神木の脇に説明板です。

昭和28年、当寺の赤堀村赤南上・下地区に地元の消防団で使うポンプ車を購入する際、その費用を捻出するために切り出した当飯玉神社のご神木のものです。

御神木を売って地域を守るポンプ車を買ったのですね

 

この御神木は、参道にあったのですか

 

拝殿に参拝です。

参拝の仕方や、神社の由緒もあります。

2礼2拍1礼で参拝です

那波郡堀口村の飯玉明神の分霊を奉還鎮座したのですね。

保食神とは、「芦原中国(とよはらのなかつくに)にすみ、月読尊(つくよみのみこと)を供応するために、口から食物を出したので、起こった尊に殺されるが、その体から牛馬、五穀や蚕が生じたという」神様です。

その体から、牛馬が生まれたということで、東日本に多い駒形神社で祀られたり、馬頭観音と同一視されることも多いと言います

粕川の畔の平地にはふさわしい神様です

ここに鎮座されているのも納得です

それでは、粕川せせらぎ公園にも寄ってみましょう

 

 

 

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早川物語番外編・早川の起点(これが本当の早川物語第一章)

2020-08-30 21:27:36 | 早川物語番外編

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出てお散歩です。

今朝は、赤城山の姿が、いつもよりはっきりしています。

桜が咲いています

この桜は確か秋にも咲く桜だったと思います。

でも、ちょっと季節を間違えたかな?

ご機嫌で帰って、朝ご飯が配られるのを待ちます。

早くしてね

 

 

 

(桐生市新里町)奥沢の山奥に、早川の起点があるとの情報を得ました。

一級河川早川は、早川貯水池から流れ出して、長い長い旅をして尾島町堀口あたりで利根川に壕注します。

でも、早川貯水池以前の早川があるはずです。

なかなかたどる機会に恵まれませんでした。

情報を得て、さっそく出掛けて見ました。

奥沢神社からさらに遡り、奥沢3沼の西の方に行きます。

 

三堤碑といわれる碑があります。

奥沢3沼は、実は人工の沼だったのです

上沼は天保年中から弘化3年(1846)、中沼は嘉永安政の頃(1850年前後)、下沼は明治31年(1898)に完成とあります。

 

この碑の前を左折します。

早川です

橋の名は、弘法橋(こうぼうばし)です。

この上流が、早川の起点らしいです

川の縁になんとか駐車して、いざ上流へ

だいぶ上ってきました。

振り返って、あの橋は弘法橋です。

すこし雰囲気が変わってきました。

 

行く手に白いポールが見えます

ちょっと川は行き止まりです。

ここが早川の起点です

川としてはここから、でも水が流れ込む水路があります。

周辺の水を集めて、ここから早川が始まるのです

 

起点の奥に、小高い山というか丘があります。

古墳か赤城山の流れ岩か?

どうも古墳ではなく、流れ岩の感じです。

 

こだわり続けた早川の起点が確認できました

ありがとう

 

故郷尾島を流れる早川と、新里の早川貯水池から流れ出す早川が、同じ一つの川だと知ってから、もうう何年経ったでしょう?

やっと早川の起点が確認できました

さて、戻りましょう。

 

早川にかかる最初の橋です。

名前はないようです。

右の林の中に墓地が見えます。

ちょっと寄ってみます。

 

失礼します

宝篋印塔等もあって、立派なお墓です。

おや、片目がえぐられた小さなお地蔵様です

意図的にえぐられています

胸が塞がるような世界です

この子は、きっと病気で片目を失ったのです。

もしかして、天然痘(疱瘡)で、片目を失い命もなくしたのかもしれません。

 

ここら辺には、常広寺の檀家が多いと言います。

そういえば、常広寺の竜骨は痘疹(天然痘)にも効くという触れ込みでした。

「竜骨伝記」には、「痘疹の流行る時には男女ともににほひを嗅してものがれ又軽し」とあります。

もしかしたら両親は必死に求めたけれど、残念ながら彼女(女子に見えました)には効なかったのかも知れません。

なんとなくそんな情景が浮かんできました。

もしそうだとすれば、なんという奇遇でしょう

さようなら、逢えて良かったです

心を込めて合掌

「竜骨伝記」番外編の物語もありそうです

 

 

 

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続・柴犬がお出迎え(愛宕山全東院)

2020-08-28 17:14:46 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。

高台にさしかかると、日本犬ミックスの大きな犬がやって来ます。

獅子くんは戦闘モードです

見たことあるおじさんが連れています。

バイバイ、なんとかやり過ごします。

あれ、確かもう 1匹いたはずだぞ

どうしたのかな?

ひめちゃんは、静かに見送ります。

今朝の赤城山は、雲が沸き立ってます。

西の空も、雲が沸き立ってます。

中央に白く見える建物は、(前橋市粕川町)月田小学校です。

畑中の道を通って、山上の元蓮田をちょっと覗いて帰ります。

後ろ姿で失礼します。

生き残った蓮は、まだ健在のようです

 

 

御朱印をいただいて、本堂を出ます。

ゆずちゃん、お見送りです

 

この方は、十一面観音かな?

 

カエルベンチ、いいですね

 

双体道祖神です

七福神もいます。

 

ちょっと振り返ると、二宮金次郎です。

 

「不許軍酒山門」があるので、ここが山門かな?

象にこだわりがあるのかな?

ここも牙が6本の象です

「南無十一面観世音菩薩」の幟が、何本もはためいています。

そういえば、ここは確か十一面観音がご本尊でした。

今度は、ご本尊の御朱印を頂かなくては

 

むむ、これは何だろう?

 

石宮があります。

真ん中の石宮には、秋葉の文字があります。

 

山門脇には、古い石造物です。

ぽつんと、この方だけ離れています。

右下の不思議な石造物には、「愛宕山」の文字がみえます。

 

もう一つ外側にも山門です

こちらから入った方が駐車しやすいです。

こんどはこっちから入りましょう。

 

外側の山門を出ずに、ブロック塀の内側を散策です。

あれ、指さし地蔵は、迦葉山の黒門にあった石造物を彷彿させます。

しあわせ地蔵、いいですね。

 

さて、お外の柴ワンコにもう一度ご挨拶です

バイバイ、また来るね

 

愛宕神社があったところではないけれど、でも愛宕山全東院です。

愛宕神社は近くにあったのでしょう。

 

目に付いた石造物は、みな比較的新しいです。

けれども、まったく違和感なく参拝し癒やされました

新しいお寺のあり方ですね

 

 

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柴犬がお出迎え(愛宕山全東院)

2020-08-27 16:52:53 | 群馬県・中毛

少しだけ穏やかな朝でした。

ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場の方に行きました。

ママとボクです。

おはよう

何を思ったのか、獅子丸はフエンスの四角に首を突っ込みました

獅子くん、抜けなくなっちゃうよ

なんとか抜けました

まだまだ、何をするかわからないやんちゃ坊主です。

 

獅子くん、何を考えてるんだろうね

ヤギパパは、川を渡った橋のたもとにいました。

みんなバイバイ、また来るね

 

サマンサ坂の右の田んぼ、今朝はタカのカイトが翼を広げています。

赤城山は、はっきりとはその姿を見せていませんでした。

 

 

 

少し寄り道をしましたけど、「目的地に到着しました。」とナビのアナウンスです。

え、確かにお寺の前です。

なんとかUターンして、境内に駐車です。

 

先日参拝した、波志江の愛宕神社は、明治初期の『上野国郡村誌』には、「村ノ西方二アリ」とあります。

全東院の山号は愛宕山です。

『上野国郡村誌』には、「村ノ西方有税地ニアリ、曹洞宗伊勢崎町同聚院ノ末ナリ、開基創建詳ナラズ」とあります。

まあ、愛宕神社も近くにあったのでしょう。

 

おや、黒柴です

後ろには赤柴です。

女の子かな?

お出迎え、ありがとう

ちょっとご挨拶して、本堂の方へ行きます。

六牙の象、初めてです。

本堂の中にも、柴犬です

入り口にも、柴犬です。

「ゆずの脱走防止のためイスを置いています」とあります。

ゆずちゃんは、引き戸を開けることができるようです

実は、ひめちゃんのママ・七海ママも、引き戸を開けます。

柴犬の中には、その能力を持った子がいるようです

ママだけではなかったんだ

 

ご本尊に参拝して、御朱印をお願いします。

 

ゆずちゃんと直接対面です

うわー、みごとな巻尾です

 

待っている間、本堂内をうろうろです。

 

新しい仏様のようですけど、仏像とは本来こんなに鮮やかなものなのですね

ふすま絵もいい感じです

ふと上を見ると、天井絵です。

花がメインですね

 

ほどなく、御朱印ができあがってきました

まず、直書きの1枚です。

8月限定だそうです。

「九夏三伏」とは、夏の暑い盛りのことですね。

 

もう1枚、書き置きをお願いしました。

太陽は向かってくる者だけを照す自分の太陽に向かってすすめ

元気になれそうな言葉です

 

一緒にいただいた、メッセージカードです。

ゆずちゃん、大活躍ですね

 

 

(つづく)

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変形板碑と疱瘡神(新宿の変形板碑)

2020-08-26 16:18:29 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、お散歩してきました。

今朝は、田んぼを守るバットマンに初めて会いました。

ひめちゃんと獅子丸は、全く関心なしです

ひめちゃんの足下のマンホールの蓋、「やまかみ」とあります。

バットマン、関係ないよ

今朝も元気にお散歩できました

 

おうちに帰ると、ジャーマンアイリスが咲き始めています

二季咲きの品種だったんですね

雑草に負けずに咲いてくれてありがとう

 

 

 

愛宕神社・金蔵寺を過ぎて、波志江の信号を右折して、全東院を目指します。

少し行くと、左側に史跡の説明板があります。

急遽、路上駐車です。

新宿(あらじゅく)の変形板碑です。

本来の秩父産の緑泥片岩ではなく、安山岩を似せて作ったのです。

 

説明板の後ろに回ります。

 

足を踏み入れると、たくさんの石造物です。

道路の反対側には墓地もあるし、もしかしたらお寺があったかも。

 

板碑の横の方は、どなたでしょう?

 

朱の残る不動明王もおいでです。

天保4年(1833)の建立です。

約200年も頑張ってきたのです。

おつかれさま

 

この方はどなたでしょう?

石橋供養とあります。

りっぱな供養塔が立つのだから、大きな川に架かっていた橋が架け替えられたのでしょう。

ちょっと今の地図では、川はわかりません

後ろに疱瘡神(ほうそうがみ)が見えます。

 

疱瘡神は、疱瘡(天然痘)を疑神化した神で、本来は悪神です。

でも時には疱瘡は人間の悪い要素を体外に出す通過儀礼とし、疱瘡神はそれを助ける神とする信仰もあった(ウィキペディア)といいます。

祀ることで力をもらうのです。

 

疱瘡神を検索していると、『椿説弓張月』に、八丈島に流された源為朝が、八丈島から疱瘡神を追い出した話があることを知りました

そうすると、為朝大明神は、疱瘡を追い出してくれるのです

ありました、ありました、ひめちゃんの住む新里村にも

新里の南部・小林の大日堂といわれる所にありました。

訪問は去年の春です。

その時は、なぜここに、為朝大明神があるのかわかりませんでした。

疱瘡を撃退して欲しいという願いのこもった、為朝大明神だったのです

 

 

 

 

 

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